僕はおもしろいことを生み出すマーケッター!飲食の道を走った先に見えたこと。

複数の飲食店を経営しつつ、様々な企画を行う「マーケッター」としての顔も持つ柴田さん。飲食店経営者を目指し、レストランでの修行や家庭料理を学ぶヨーロッパ旅などを経て、なぜ「企画」の世界に魅せられたのか?お話を伺いました。

柴田 雄平

しばた ゆうへい|マーケッターとしておもしろいことを生み出す
「onakasuita(おなかすいた)株式会社」「株式会社mannaka(まんなか)」の2つの企業を経営しながら、WEBメディア「ケノコト」、日本の地方の魅力を発信する「いいねJAPAN」の運営など、様々な事業に携わる。また、マーケッターとして大手企業のプロモーション企画や、マーケティング講師も行う。

ケノコト

経営者としての一面と、父親としての一面


僕は埼玉県で生まれました。父は経営者で、家の下の階が会社でした。そのため、父が社長として社員に慕われる姿をよく見ていました。社員の働きやすさを重視した環境を整えていて、離職率は0%。夏も冬も長期休みがあり、子どもの授業参観などの時には休める制度もあったんです。

そんな姿を見て、僕も将来は父のような経営者になりたいと考えるようになっていきました。ただ、父は家庭を省みない生活を送っていたので、「なんで会社と家ではこんなに違うのか」と思っていましたね。そして、高校1年生の時に、両親は離婚。母は家を出ていき、父も海外での仕事にかかりきりになってしまい、僕は妹と2人で生活するようになったんです。

父は毎月、高校生が生活するには十分過ぎるお金を振り込んでくれました。ただ、お金で何でも解決しようとする姿は嫌でした。経営者としては父みたいになりたいけど、親としては反面教師だと思っていたんです。

妹との二人暮らしが始まり、最初はデリバリーの食事を頼む生活をしていきました。しかし、1ヶ月もすると飽きてしまったので、僕がご飯を作るようになりました。初めて作ったカレーは大失敗で、妹にも「不味い」と言われるほど。それでも、「妹を食べさせる責任がある」と思っていたので、毎日ご飯を作るようになり、少しずつ料理の腕は上達していきました。

そして、高校卒業後は調理師学校に進むことにしました。将来、経営者になるためには、早く働きたいと思っていて、自分のできることや興味のあることは「食」だったんです。料理や食べることだけでなく、食がある空間も好きでした。食卓、農家で野菜が取られる空間、市場で野菜が売られる場所など、何となくその空気が心地良かったんです。

ヨーロッパを旅して感じた「人それぞれの価値観」


卒業後は東京に出て一人暮らしを始め、調理師学校に通いながら、いくつもアルバイトを掛け持ちました。そして、飲食店を出すためにも最高峰の場所で働きたいと考え、学校修了後は表参道にあるフランス料理店で修行させてもらうことにしました。お店に行き、「お金はいらないので、ここで働きたい」と直談判したんです。

朝の6時から夜の12時まで、毎日働く生活。仕事自体は新しいことにどんどん挑戦できて楽しかったのですが、働き始めて4ヶ月ほどで身体を壊してしまいました。

また、そのレストランは超高級店で、友達を呼べるようなお店ではありませんでした。そのため、どんなに美味しい料理でも、お金が無ければ食べられないことに違和感も持っていたんです。そこで、身体を壊したのを機にお店を辞め、誰でも手軽に食べられる料理を提供したいと思い、ヨーロッパの家庭料理を学ぶ旅に出たんです。

貧乏旅だったので、道中は過酷でした。泊まるお金もないので、ひたすら人の家に泊めてもらったり、野宿をしました。馬小屋に泊まらせてもらうこともあるほどでした。時には子どもたちとサッカーをして仲良くなり、「今日泊めてくれない?」と頼むんです。そして、家に連れて行ってもらい、日本食を作ってあげたりして。そんな生活だったので、当初の目的だった家庭料理はあまり学べませんでしたね。

しかし、ヨーロッパの国々では、日本で見てきたものとは全く違った働き方を目の当たりにしました。スペインでは、毎日お昼の時間には一度家に帰って来て、2時前に午後の仕事に行ったと思えば4時頃には帰ってくる様な生活。何のために働くのかと聞けば、「家族のため」と「遊ぶため」と返ってくる。

また、楽しそうに仕事をしている人にたくさん会いましたね。そんなみんなに共通しているのは、仕事にプライドを持っていることでした。そして、経営者も自分よりも従業員への還元を考えている人ばかりだったんです。

その姿を見ていくうちに、「価値観は人によって違っていいんだ」と気づくことができました。お金のために働くんじゃなくて、自分の好きなことをやる。それが自分の目指したい生き方だと思えたんです。また、飲食店を経営したい気持ちも少しニュアンスが変わり、個人店ではなく、従業員を雇う形でお店を持ちたいと考えるようになりました。

社会をリードするインパクトがある「企画」の仕事


半年ほどの旅を終えてからは、飲食店を経営する会社で働き始めました。そこでは料理人として店舗に立ち、副料理長にまでなりました。ただ、飲食店経営に関してはそこまで学べませんでした。

そこで、1年ほどで、飲食店を複数点経営するベンチャー企業に転職して、既存店舗の売上向上のための企画をするようになりました。ただ、店舗で意思決定権があるのは店長。僕はその立場ではなかったので、とにかく企画を練って、店長やその上のポジションにあたる次長に提案していきました。すると、企画内容に対して色々とツッコミが入るんですよね。その内容は、マーケティングに関わることが多く、夜な夜なマーケティングを勉強するようになっていったんです。

そして、1年毎にできる新規店舗の立ち上げ企画やプロデュースをするようになっていき、24歳の時、関わって4店舗目の立ち上げは完全に僕に任せてもらうことができたんです。この時、予算を大きく超える成果を出せ、会社の中でのポジションも大きく上がりました。

自分のお店を出すのであれば、お金はだいぶ掛かりそうだと思っていたので、出世によって世界観が変わりましたね。また、会社では飲食事業の他にもマーケティング支援や商品開発サポートも行っていて、その仕事にも携わるようになったんです。

ある時、コンビニの商品開発・マーケティングを手伝うことがありました。少人数のチームで考えた新商品が運良く採用され、実際に販売されました。すると、爆発的に売れたんです。さらに、他の競合コンビニも、同じようなコンセプトの商品を出すようになり、世の中の一種のムーブメントになっていきました。

この時、「企画の力」を大きく実感したんです。社会をリードするとはこういうことなんだと。また、この企画によって得た収益は、飲食事業の何十倍もあり、かけた時間やコストに対してのリターンも桁違いでした。この時から、企画の仕事をもっとしたいと考えるようになっていったんです。

「現状を積み上げる」「理想から描く」2つの思考法


そして、自信がついてきた2013年、6年以上働いた会社を辞めて、27歳で独立することに決めたんです。同じ会社の飲食事業でエースだった同僚もついてきてくれ、3人で立ち上げたのが「onakasuita(おなかすいた)」という会社です。最初は、元々考えていた通りに飲食店の経営から始めました。

すると、初月から黒字で経営することができ、その半年後には2店舗目を出しました。また、事業としては飲食事業だけでなく、マーケティング支援、商品開発、地域振興、企画開発の領域に広げていきました。

僕はやはり企画の仕事が大好きで、経営大学院でマーケティングを教えている方に出会い、師事するようにもなりました。それまでの僕のマーケティング手法は、現状を徹底的に分析して、その延長上にある解を導き出す「パスト・プッシュ」型でした。しかし、師匠からの教えにより、理想の状態から考える「フューチャー・プル」型の思考も身に付けることができたんです。

そして、理想を描きつつ、マーケティングの論理・分析の裏付もある企画を得意とし、大企業からの仕事も多く行うようになっていきました。また、マーケティングや企画の講師として、教える機会も増えていきました。

次第に、飲食事業は相方に完全に任せ、僕は企画の仕事に集中するようになりました。そして、同じくフリーで企画を仕事としているメンバー5人と、総合的にマーケティング支援や企画、クリエイティブの制作を行っていくための会社、「mannaka(まんなか)」を立ち上げることにしたんです。

稼げる若い人を育てていく


2015年5月には、mannakaでメディア「ケノコト」を立ち上げました。これは、食を含んだ「暮らし」に関わることを伝えていく媒体です。読み手の暮らしの中で使われることを意識していて、例えばレシピ情報なんかは、料理の作り方が書いてあるだけなくで、どんな時にこの料理を作るかと一言添えることで、読者が利用シーンを想起できるようなコンセプトにしています。

現在は、2つの会社の代表を勤めながら、3店舗の飲食店を経営しつつ、「マーケッター」として、様々プロジェクトに携わっています。日本の地方の魅力を伝える「いいねジャパン」や、「大人のダイエット研究所」と呼ばれる社団法人、学生起業家と一緒に新しい事業を立ち上げたりもしています。

僕の軸は、「おもしろいことを世の中に企んでいくこと」なので、これからもおもしろいと思うことにはどんどん首を突っ込んていきます。それがお金になるかならないかは関係なくて、価値を生めるかどうか。価値さえあれば、お金なんていくらでもついてきますから。

僕自身、世界一のマーケッターになる野望はありますが、それ以上に若い人にチャンスを与えたいと思っています。今、企画で有名な人はほとんどが40代以上で、あまり同世代が活躍していないんですよね。でも、実際若い人の発想がおもしろくて、それこそ10代がもっと企画するべきなんです。

そのため、経営する飲食店では、企画に興味があるスタッフも多いので、なるべく昼の時間に打ち合わせをして、実際にどんな提案をしているかの現場を見てもらったりもします。学生起業家の支援をやっているのも同じようなもので、おもしろいことを考えられる人にどんどん投資していきたいんですよね。

経営者として、自分が個人で稼げるのは当然として、いかに社員や後輩を稼げる人間に育てていくかが勝負だと考えています。その方法を伝えるのも自分の役目だと。今年は20代最後の年なので、とにかく動いていきますよ。そして、おもしろいことをやり続ける人生を送っていき、社員も家族もどちらも大切にしていきます。

2015.06.18

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