30歳までに独立という目標をセブ島で叶える。世界に挑戦する日本人を増やすための挑戦。

フィリピンのセブ島にて、社会人向けの語学学校を経営する鈴木さん。「社会に関心が無く、無知だった」という学生時代を経て、フィリピンで起業に至るまでにはどのような背景があったのか。30歳で独立するという目標を海外で達成した鈴木さんにお話を伺いました。

鈴木 光貴

すずき みつたか|フィリピンの語学学校経営
フィリピンのセブ島で語学学校を運営するユナイテッド・リグロース株式会社の創業者・CFOを務める。

社会に無関心な学生時代を経て、不動産業界へ


私は埼玉県川越市に生まれ育ちました。小学校からサッカーを始め、サッカー少年として友達と楽しく過ごす一方、教育熱心な親に薦められ、中学受験をする塾にも通う真面目な少年でした。残念ながら中学受験には失敗しましたが、お陰で勉強をすることに苦は感じず、中学校時代では比較的優秀な成績を修めることができました。
 
高校受験では、「もう暫く勉強はしたくない」という思いから大学附属の学校のみを受験し、進学しました。高校では、一度勉強から離れ、自分の時間を有意義に使おうと考えるようになり、たくさんの仲間たちと遊ぶ時間や恋人と過ごす時間を大切にしていました。

大学の学部は、なんとなくの気持ちで経済学部を選びましたが、正直、経済と経営の区別もつかないような学生で、将来のことや仕事のことにも無関心でしたね。

しかし、そんな生活を経て大学3年生を迎えると、「久々に何か勉強したい」と思い、国家資格の中でも比較的受かりやすい宅建の資格勉強をするようになりました。そして、安易に合格してしまったこともあり、自分には不動産業界が一番合っていると思い、就職活動では他の業界などもろくに調べずに不動産業界一本に絞って活動していました。企業も大手企業から順々に選んでエントリーし、その中でも勢いのある会社を選び入社しました。

30歳までに起業という目標を掲げる


その会社は営業会社だったこともあり、自分もゴリゴリの営業をする意気込みでいました。実際の営業店舗に配属される前に新人研修として1ヶ月間、研修施設に篭ってビジネスマナーや業務について学ぶ期間がありました。そこで周りの同期が優秀なことに焦り、同期が飲み会に参加する中、一人でロールプレイをしたり、新聞を読んで気になる記事を切り抜いたり、必死に努力する日々を過ごしました。

すると、そんな姿を人事担当の方に注目してもらい、いざ迎えた配属では、120人同期のうち唯一営業の部門ではなく本社勤務となったんです。それまでは不安ばかりだったので、初めて脚光を浴びたことが、本当に嬉しかったですね。

しかし、実際に業務を始めてからは、それまで以上に大変な環境に身を置くこととなりました。その部署は不動産証券化部門という新しい金融商品を作る部門だったため、不動産の知識はもちろん、各種法律等含め、求められる知識が圧倒的に多かったんです。持ち合わせている知識では全く足りず、人生で一番勉強する日々を過ごしました。

ただ、大変さは感じつつも、学ぶことや知ることを楽しいと感じることができ、仕事は非常に楽しかったですね。中学時代にも勉強は打ち込んでいましたが、詰め込み教育とは異なり、自分の視野が広がっていくような、初めての感覚がありました。

そして、そんな風に知識量が増えていくと、社会や経済に対しての関心はどんどん増していきました。特にITバブルの時期でベンチャー企業やM&Aが盛んになっていたため、その規模やスピード感に憧れを抱くようになっていきました。新聞やTV等で外から見ているだけでなく、いつしか「そっち側の人間になりたいな」と感じるようになったんです。

しかし、スキル的にも経験的にも、今すぐには挑戦できないという感覚もあり、30歳までに起業して同じステージに立とうという目標を決めました。

29歳、夢を諦める危機感


目標が定まってからは、そのための経験をしたいと考えるようになり、事業投資に関心を抱くようになりました。25歳という年齢もあり、3年程事業投資を行うファンドで働き、また他のどこかで2年働いて独立しようというイメージを抱くようになったんです。

そこで、転職先を検討し始めると、大学時代の先輩から、福岡を拠点に九州で投資を行うファンド会社を紹介してもらいました。その会社は、地元の地銀からお金を集めて九州の会社に投資をし、地元に雇用を生んで九州を成長させることを理念とした会社で、その雰囲気や事業の意義に強い魅力を感じました。そのため、25歳のタイミングで不動産会社からの転職を決めました。

ファンド会社への入社後は、投資先企業の企業価値を高めるために、実際にハンズオンで経営支援を行う部署に配属となりました。この環境でも全く新しい知識が必要になったことに加え、不動産投資などの物件投資とは異なり、会社という生ものへの投資とあって、新鮮なことばかりでしたね。幅広い業務に携われることへのやりがいを感じながら、自らへの試練として新しい分野への挑戦を続けました。

特に、プロジェクトごとに全く異なる業界に関われる経験は貴重でしたね。それぞれの仕事から学べることが異なるため、1社にいながら複数社で働くような感覚でした。そのため、ぼんやりと掲げていた3年を越えても会社で働き続け、気づけば29歳を迎えました。

すると、「ああ、そういえば、30歳までに独立という夢を持っていたな」とふと思い返すタイミングがあったんです。居心地が良い環境であるからこそ、そのまま挑戦せずに終わってしまう危機感を感じたんですよね。企業経営に携わりながらも、ファンドという特性上、人のお金で会社を運営しているため、他人のふんどしで相撲をとっているような感覚で、一から自分が生み出すことをしたいという思いを再び感じるようになっていきました。

そこで、ちょうど同じように30歳を目処に独立を考えていた前職同期の呉と再会する機会があり、お互い起業に向けて盛り上がり、それからは、福岡と東京と離れていたこともあったので、毎週水曜日の朝6時からskypeにてビジネスプランを考える会議を始めました。

そして、数多くの案を検討した結果、1つのwebサービスを作ろうという構想が固まったんです。開発のための費用見積もりや事業計画の作成なども行い、会社への辞意も伝え、いよいよ独立に向け動き始めました。

退路を断って臨んだフィリピン留学への違和感と可能性


しかし、実際に事業案を固めていく過程で、どうしでも国内向けのサービスにしか辿り着かないことにもどかしさを感じ、もっと世界に通用するものを創りたいという気持ちが強くなりました。

そもそも自分たちが世界を知らないことも理由にあり、それであれば、まずは自ら世界を見てみよう、特に急速に成長するアジアを自らの目で見たいという気持ちを抱いていたんです。

とはいえ、それまで英語に関しては、逃げてきた状況でした。そのため、まずは英語と思い、呉から教えてもらったフィリピン留学に一緒に行くことにしたんです。会社を退職した2012年8月から1ヶ月間、退路を断ち、覚悟を持っての渡航でした。

ところが、実際に現地の学校で授業に参加してみると、周りは大学生中心で、温度差を感じてしまったんです。TOEICの点数向上を目的にした人も多く、遊び半分の雰囲気もあり、「自分たちとは目的・目標が違うな」という感覚がありました。

ただ、そんな経験をしたからこそ、我々より一足先にフィリピン留学を経験していたファンド時代の同僚・渡辺のアイディアのもと、「留学生の対象を社会人に特化した尖った学校を創ったら面白いんじゃないか」と盛り上がるようになりました。

そこで、語学学校業界やフィリピンについてもっと知る必要があると思い、1ヶ月留学を延長してセブに滞在することを決めたんです。そこで、英語の勉強する傍ら、マーケット調査や人脈を拡げることに注力し、週末は3人で集まり、商品企画や事業計画の策定などに時間を費やしました。

正直、海外での起業ということもあり、不安もありましたが、3人で挑戦することで、お互いに不安をカバーし合うような感覚でしたね。また、他の分野ではなく、自分たちの原体験のあるフィリピン留学の分野で挑戦することへの想いもありました。 そんな想いから留学して2ヶ月後の2012年10月に日本でユナイテッド・リグロース株式会社を設立し、2013年1月にフィリピン現地法人の設立、3月に「オトナ留学」をコンセプトに社会人限定の語学学校MBAを開校しました。

世界で挑戦する日本人を増やしたい


ところが、実際にプログラムの募集を始めてみると、応募者が1名しか集まらず悲惨な状態でした。それでも、英語ニーズやフィリピン留学の市場自体は伸びていく確信はあったので、気を取り直してプログラム自体の見直しを始めました。

そして、自分たちが作りたいものではなく、皆が欲しいものを作ろうと気持ちを切り替えたんです。例えば、最初は管理側の都合上3ヶ月間限定のプログラムとして運営していたのですが、一般的な社会人がその長さで参加することが難しいことを理解し、最終的には1週間から受け入れるようにしました。

そのように顧客の声をプログラムに反映させることを続けていくと、1年程でリピーターや口コミにより認知度が上がり、ブレークスルーしたような手応えを感じることができました。

現在では、30歳前後から40代、50代の方々など幅広い層から選んで頂いています。“安い”だけのフィリピン留学ではなく、私たちは“高い”パフォーマンスで付加価値のついたサービスをコンセプトに、滞在先は寮ではなく、ホテルを提供しています。カリキュラムもビジネスイングリッシュに特化し、実践で使える生きた英語が学べるものをご用意しています。

1週間で10万円という価格帯だということもあり、まず1週間来て、そこから長期間のリピーターになる方も多いですね。また、英語に加えてマーケティング等、ビジネスのコンテンツもフィリピン人講師が英語で教えていることも特徴です。

私たちはいわゆる「教育事業」をやりたい訳ではなく、もっと日本人が海外に出てほしいという思いを込めて今の事業を行っています。そのためにも、まずは学校事業でセブのナンバーワンを目指しつつ、今後は、日本人が海外に出るような他の仕組みも作っていきたいと考えています。

また、個人的には、自らの経験も踏まえ、「海外起業家」を増やしていきたいという想いがあります。人のお金ではなく自分のお金で、机上の空論ではなく実際に現場でチャレンジをしたからこそ、成功も失敗も次の世代に伝えられることがあると思うんです。

当社の従業員に限らず、僕らのサービスや支援を通じて、海外起業家をまずは100人生み出すことを目標に頑張っていきたいです。

2015.06.02

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