介護の現場で自分らしく生きる人を増やしたい!私が感じた音楽の力での挑戦。

【共同創業の選択特集】第三弾は、介護の現場で誰もが楽しめる音楽の空間を生み出す、株式会社リリムジカの柴田さんです。介護施設で月に20回ほど参加型の音楽プログラムを提供していますが、昔は高齢者に苦手意識を持っていたとか。そんな柴田さんの考え方が変わるきっかけとは?お話を伺いました。

柴田 萌

しばた もえ|心に響く音楽を介護の現場に届ける
株式会社リリムジカ創業者であり、取締役共同代表を務める。

理系から音大への進路変更


私は群馬県で生まれました。両親ともに音楽が好きだったこともあり、4歳の頃からYAMAHA音楽教室に通ってピアノとエレクトーンを習っていました。特に、色々な音を出してカッコよくアンサンブルできるエレクトーンが好きでした。

また、小学生の頃から吹奏楽や合唱も始めました。ただ、管楽器はあまり得意ではなかったので、長続きはしませんでした

それでもエレクトーンは続けていて、次第に周りからは、「音大を目指すのか」と聞かれるようになりました。ただ、音楽はあくまで趣味だったので、プロの演奏家や音楽の先生になろうとは考えていませんでした。

高校生の時には地域のボランティア活動に熱中していましたね。学外で知らない人と触れ合えるのが面白かったんです。また、将来は理系の大学に進み、コンピューターに関わりたいと考えていました。父が昔からパソコンを使っていたので、何となく興味があったんです。

そんな生活を送っていた高校3年生の5月に、母から「音楽療法」について聞かされました。母は昔ピアノを弾いていたこともあり、「若かったら私がチャレンジしてみたいくらい」と言っていたんです。その言葉に私も興味を持ち始め、母の買ってきた音楽療法の本を読むと、面白そうだと感じました。

それまで、音楽は「演奏する側か、聴く側」「教える側か、教わる側」しかないと思っていたので、それ以外の関わり方があることに驚いたんです。また、私自身、音楽の中に「居場所」を感じていたこともあり、そういうものを他の人にも提供できるんだと。とは言え、面白そうだとは思いつつも、進路を変更しようとは思っていませんでした。

ところが、音楽療法の話を周りにしていると、学校の先生に「音楽の話をしている時が一番楽しそうにしているよね」と言われたんです。

「そうなのかな?」と思いつつも、母には反対されると思い、試しに「音大に行きたいって言ったらどうする?」と聞いてみました。すると、「いいんじゃない?」とあっさりと言われてしまって、「じゃあ音大に行こう」と進路を変更することに決めたんです。

音楽療法の力を実感するものの、働き先の少なさを知る


それから音大受験のための勉強に切り替え、神奈川県にある昭和音楽大学の音楽療法コースに進学することができました。ただ、実際に音楽療法の勉強を始めると、それまで抱いていたイメージとギャップを感じるようになりました。それまでは本を読んだ知識しかなかったので、音楽療法の「キラキラした部分」しか見えていなかったんです。

しかし、先生から患者さんを看取った話を聞いたり、障がいを持つ人や病気の人と触れ合うとはどういうことか学ぶうちに、「大変な世界に足を踏み入れてしまったのかも知れない」と思うようになりました。また、1,2年生の頃は座学が多かったこともあり、働く実感は持てずにいました。

3年生になると、「高齢者」「障がい者」「精神科」の3つの領域で、福祉施設に出向いたり、学校の教室での実習が始まりました。そして、私は実習で小学2年生の自閉症の子どもの担当になりました。しかし、最初は全く私に関心を示してもらえず、どうコミュニケーションを取れば良いのか分かりませんでした。太鼓などでいくら呼びかけても反応がなく、まるで人と認識してもらえていないような感覚で辛かったですね。

しかし、2ヶ月弱、毎週1回会う合計7日間のプログラムを通して、少しずつ心を開いてくれるようになったんです。ある時、先生がピアノを弾き止めると、その子がはっと振り返ったことがありました。その時、この子は音を聴いているんだと分かりました。そして、諦めずにコミュニケーションを続けていくと、最終的には、リズムに合わせてトランポリンを飛ぶプログラムの時に、「一緒に飛ぼう」と言うように、子どもが私の手を引っ張ってくれるほどになったんです。

この時、私は音楽の力を再認識し、音楽療法の仕事に就くことに決めたんです。

しかし、就職活動をしてみても、音楽療法士の仕事はほとんどありませんでした。あったとしてもフルタイムの仕事ではなく、パートタイムだったり他の仕事と併用だったりするんです。

それなら、音楽療法士の「派遣会社」みたいなものがあればいいと探したのですが、それも見つかりませんでした。そんな状況を母に相談すると、「じゃあ自分で作れば?」と言われたんです。確かに誰もやらないなら自分でやればいいと素直に感じ、将来は音楽療法士が働ける環境を作るために、音楽療法士を束ねる会社を作ろうと決めました。

自分とは違う強みを持つパートナーとの出会い


ただ、いつ起業するかは具体的には考えていませんでした。まずは人材派遣を行う会社で働いて、仕組みを学ぼうかと思っていましたね。そして、とにかくビジネススキルは必要になると考え、まずはインターンシップに参加することにしました。

すると、インターン先の社長に、「いつか起業すると言う人はたくさんいるけど、実際にしない人が多いよね。柴田さんはいつやるの?」と聞かれたんです。その言葉を聞き、私は大学卒業のタイミングで起業しようと決めました。

もともと、企業に勤めて成長すると言っても、いつまでにどんな力をつけるか、具体的なイメージはありませんでした。それなら、会社を立ち上げて、事業を行いながら力をつけていけばいいのではと思ったんです。

ただ、現実的に1人で起業するのは難しいとも思っていました。そこで、ビジネスに強く、自分とは違う分野を学んできた人と一緒に立ち上げたいと考えるようになったんです。

そこで、起業の準備として、事業計画を立てる勉強会に参加してみることにしました。しかし、他の学生はほとんど男性だけでしたし、いわゆる高学歴の人ばかりで、私は場違いな存在なんじゃないかと思いましたね。さらに、全4回のところ1回目を欠席していたこともあってさらに焦り、必死に遅れを取れまいと講師に質問ばかりしていました。

ただ、事業のプレゼンをすると、参加者の1人が熱心に質問してくれたんです。今まで、音楽療法の話に食いついてくれる人はあまりいなかったので、単純に興味を持ってもらえることが嬉しかったですね。

さらに、その人に勉強会の終わりにも声をかけてもらいました。そして、その後も打ち合わせをするようになり、一緒に起業することになったんです。私としては、知らない分野のことに対してでも質問できるスキルに驚いていましたし、まさに自分とは違う強みを持つ人と出会えたという感覚でした。

そして、大学を卒業した2008年4月に、参加型の音楽プログラムを行う株式会社のリリムジカを立ち上げたんです。

苦手意識を持っていた高齢者との触れ合い


ただ、会社を立ち上げたはいいものの、うまくはいきませんでした。学生時代の繋がりで、障がい児・障がい者の日中一時支援を行うNPO向けの仕事をもらえましたが、それは月に1度だけでした。他には仕事がなく、営業の仕方も分からないし、どうやってサービスを拡大していけばいいのか全く分かりませんでした。

また、社会企業の育成プログラムに参加した時には、「君たちは音楽療法の対象になり得る人を幸せにしたいのか、もしくは、音楽療法士に仕事を作って幸せにしたいのか分からない」と言われてしまったこともありました。優先順位をつけなさいと言われても答えることができず、悔しくて涙が出ましたね。

そして、月に1回の音楽療法プログラムを提供するだけの日々を1年ほど送っていたある時、介護施設から依頼がありました。元々、私は大学時代での体験から、障がいを持つ子ども向けに音楽療法を提供したいと考えていて、高齢者には苦手意識を持っていました。高齢者の方や認知症の方は、自分とは違う異世界の人だと思っていましたし、プログラムも子ども向けとは違って、説明など喋る時間が長いのが苦手だったんです。

しかし、仕事を選んでいる余裕はないので、腹をくくることにしました。喋るのが苦手なら、私は聞き手に回ることで、面白く喋れる参加者のみなさんに話してもらうと。また、プログラムの前には参加予定の高齢者の方たちと触れ合う機会があり、話してみると苦手意識はどんどんなくなっていったんです。高齢者の方たちは、「自分の延長上」にいる人だと思えた瞬間でした。

そして、プログラムもうまくいき、その後少しずつ紹介もあって介護施設での仕事が増えてきました。また、福祉施設や介護施設の方々にインタビューに行くと、やはり介護施設での課題が大きいと分かり、そこに音楽の力で価値を提供できるのではと強く感じたこともあり、軸足を介護施設に置くことにしたんです。

とは言え、方向性が決まったからといって、すぐにお客さんが増えるわけではありませんでした。それでも、この仕事を辞めようとは一度も思いませんでした。私は音楽の力を妄信的に信じていただけかもしれません。それでも、形にするまでは辞めるわけにはいかないと思っていたんです。

ありのままの自分をさらけ出せるお手伝いを


そして、少しずつ仕事は増えていき、今は介護施設を中心に、60施設程にプログラムを提供するようになりました。私も月に20回ほど現場に出ています。

私の活動の根底にあるのは、音楽を通じて「素の自分」をさらけ出してもらいたいということです。特に、介護施設にいる方は、体がうまく動かなかったり、1人で外に出られなかったり、色々な制約、制限が多い生活を送っています。すると、次第に、自分らしくいきいきと過ごす時間が減ってしまいがちです。

そういった方が「自分らしい時間」を持てることを目指しています。それは、ご本人にとっても大事ですし、その姿を見た家族やスタッフの方が、「その人らしさ」を意識するきっかけにもなると考えています。高齢者の方と同じ目線で参加してもらうことで、普段は見えなかった一面に気づくことができるんです。

また、身体を動かしたり、声を出したりすることで、筋肉を動かすこともできたり、認知症を遅らせるたりする効果も期待できるので、音楽は高齢者の方のケアには相性の良い手段です。

ただ、私たちが提供したい価値の根本にあるのは「治療」ではなく、「音楽を通じて自分らしくいられること」なので、厳密には音楽療法ではないと考えています。そこで、言葉としても「音楽療法士」ではなく、「ミュージックファシリテーター」と呼んでいます。「楽しい」からみんな身体を動かし、それが結果的に様々な身体機能の改善に繋がるんです。

また、「療法」と言ってしまうと、対象者にどれだけ効果があったかでしか評価できなくなってしまいますが、私たちは、高齢者の方だけではなく、家族やスタッフの人も含めた場作りをしていきたいんです。

今後はこの音楽の力を、高齢者だけでなく、障がいを持つ人や、子どもたち、その他の人にも提供できるような可能性を探っていきたいと思っています。日常の生活の中でも自分をうまく出せなくて困っている人は多くいると思います。そういう人たちが心を開放する1つの手段として、参加型の音楽プログラムを提供できればと思うんです。

私自身、音楽をずっとやってきたので、ある意味では音楽の力を信じ過ぎてしまっている部分もあると思います。そのため、異なる経歴を持つ共同創業者の管でも納得するようなプログラムを作っていくことを1つの目安とし、バランスを取っています。

これからも、介護現場はもちろん、多くの人が音楽を心に響かせることができる場をつくり出していきたいです。

共同創業者、管さんのanother life.はこちら

2015.05.29

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