クリエイターを目指す学生の未来を創る。美大からスタートアップを経て描く、次の挑戦。

フリーランスとして、クリエイターの新しい働き方を考えるイベントや、クリエイターを目指す学生のミスマッチを防ぐための活動を行う後藤さん。美術系の高校から、美大・スタートアップ企業を経て独立というユニークな経歴の背景にはどんな思いがあったのか、お話を伺いました。

後藤 あゆみ

ごとう あゆみ|クリエイター支援
「『ツクル』を仕事にしたい未来の子供たちのために。」をコンセプトに、クリエイター支援、スタートアップ支援を行い、東京都内を中心に、関西、九州と全国各地でフリーディレクターとして活動。

アートへの関心から美大へ進学


私は大分県別府市に、5人兄弟の4番目として生まれました。物心ついた頃から絵を描くことが大好きで、毎日何かしら絵を描いて過ごしていました。田舎に住んでいたため、周りに遊び場が多くないこともありましたし、父親が公務員で、役所の中で美術系のイベントの担当をしていたこともあり、アートへの関心はより一層深くなっていきました。3歳・4歳にも関わらず、「1日3枚は必ず洋服のデザイン画を描く」というノルマを儲けていた時期もあり、ストイックに打ち込んでいましたね。

元々、母がたくさん習い事をさせるタイプだったので、水泳・バスケット・書道・ピアノと色々なことに取り組んだのですが、最終的には美術の教室が一番合っており、その先生の薦めもあり、高校は県立の芸術高校の美術科に進学しました。特に将来何になりたいか決まっていた訳ではないものの、純粋に「美術が好きだから、その分野をより深く学べる学校に」という一心でした。

高校からは、英語・数学以外の勉強系の科目が1年目で終わり、後はほとんど実技の授業という、徹底的に美術に取り組む環境となりました。特に、半年に一回、成果に対して順位がつく機会があったため、皆朝から晩まで実技に取り組むことがあたりまえのような状況でした。

特に私自身、負けず嫌いな性格のため、朝は始発で学校に行き、学校が閉まるまで教室にいました。「絶対に1番になってやろう」という気持ちに駆り立てられて生活していましたね。

その後、2年生になってからは将来の進路についても考えるようになっていきました。元々、5人兄弟で他の兄弟は大学に進学していないこともあり、親からは専門学校に進学するよう言われていたのですが、関心があったファッション系の学校を見学してみると、業界自体の雰囲気が合わないと感じてしまったんです。また、それまで必死に努力して実力をつけてきたため、美大に進学したいというのが本音でした。周りで美大の受験勉強をしている友人を見ていてうらやましく感じていたんです。

そこで、生まれて初めて親に反抗し、「美大に進学したい」と伝え続けた結果、最終的に父親から「行きたい所に行きなさい」と言ってもらうことができました。そして、オープンキャンパスを通じて雰囲気に惹かれていた京都の美大にAO入試で進学することに決めたんです。合格が分かった時は、「これで心置きなく4年間勉強できる」という嬉しさで一杯でしたね。

自ら創るのではなく、クリエイターの支援がしたい


しかし、実際に大学に入ってみると、1週間過ごしただけで、周りの学生との温度差を感じてしまったんです。せっかく大学に行かせてもらったからには、社会に出る際に評価を得るためにも、学生時代にどこまで実績を積めるかという点を意識していたからこそ、入学したてで遊びたいという周りの学生に、ある種のぬるさを感じてしまいました。

とはいえ、京都に引っ越したばかりで周りに友達もいないため、どうしようか考えていたところ、京都の美大生が集まるパーティーが開催されるのを知り、参加してみることに決めました。すると、その会に集まっていたメンバーで、美大生の活動を発信する団体を作ろうという話が持ち上がったんです。

元々、高校生の時から美大の情報を調べる中で、関東には美大同士が繋がり、合同でアートのイベント等を行う組織が存在することを知っていました。そして、内に籠りがちな美大生だからこそ、そういった繋がりを作れることは価値があると感じ、関西でもそういった団体を作ってみたいと考えていたんです。

そのため、その話が出てからは、自分でゼロからいきなり立ち上げるよりも良いかもしれないと、立ち上げに参加してみることにしました。

活動を始めてからは、フリーペーパーを発行したり、講演会や展示会を開いたり、曖昧だったコンセプトが少しずつ明確になっていきました。そして、2年生になってからは自ら代表も務め、企業と一緒に2000人規模のイベントを開催したり、ラジオ番組やカフェのプロデュースを行ったりと、「美大生と社会を繋ぐ」というコンセプトで活動の幅を広げていきました。才能があり素晴らしい作品を作りながらも、発信力と行動力がなく、せっかくの作品を公開することがないままパソコンのフォルダの中で眠らせる人も多かったため、実際に学生の作品が100万円以上の値段で売れた時はとても感動しましたね。

私自身、その活動を通じて、自らが創ること以上にクリエイターの支援をすることにやりがいを感じるようになっていきました。特に、卒業後に半数以上が就職できないという問題等、「身の回りの知人を、直面する課題から助けたい」というような感覚を抱くようにもなっていきました。それが自分の役回りなんじゃないかと感じるようになったんです。

失った自信と、スタートアップ企業への就職


学生団体の活動を通じて自らのやりたいことが明確になってからは、活動の成果に手応えを感じていたこともあり、将来は自ら起業し、クリエイターの支援をしたいと考えるようになりました。そのため、大学4年生を迎えても就職活動は行わず、より大きな規模のイベントの準備を進めていました。

そのイベントは京都市全体を巻き込んだアートのイベントで、学生だけでなく多数の企業を巻き込んで開催したのですが、実際にふたを開けてみると、あまり人が来ず、反響も小さいまま終わってしまったんです。それまでのイベントとは異なり、自分に熱意があっても成果に繋がらない状況に直面し、ひどく落ち込みました。

特に、プロジェクトの準備段階からも、周りを巻き込めずに抱え込んでしまうことに不安を感じており、結果的にはマネジメントスキルもビジネススキルも、全てが足りないということを痛感したんです。それまでの経験で培った自信が一気に無くなってしまい、「このままの状態で自ら起業しても絶対にうまくいかない」という危機感から、一度就職をしようと考えるようになりました。

そんな背景から、大学4年生の秋に就職活動をスタートすると、学生団体の活動でよく東京に来ていたこともあり、イベントの営業で繋がりのあった会社の話を伺うようになりました。そして、私自身のやりたいことと方向性が近いと感じた会社で、インターンとして働かせていただくことになったんです。

しかし、実際に働き始めると、学生時代の活動とあまり大きな変化が無いように感じてしまい、自らの成長に不安を感じてしまいました。そこで、卒業を2ヶ月後に控えた1月のタイミングで、インターンを辞めて就職活動をし直すことに決めました。年も明けてしまい、「本格的にやばいな」という危機感がありましたね。

すると、SNSで再度就職活動を始めた旨を書き込んだところ、その投稿を見た知り合いの方に「やりたいと考えていることに近いと思うよ」と、株式会社MUGENUPという、クリエイターのクラウドソーシング事業等を行うスタートアップ企業を紹介していただいたんです。

正直、様々な分野がある中でも、唯一ゲームや漫画のイラストは苦手だったこともあり、「大丈夫かな?」という不安の気持ちでお話を伺いに行きました。しかし、実際に話を伺ってみると、最先端の仕組みで急成長を遂げており、すごく魅力的な環境だと感じたんです。特に、大学でITに関わる領域を専攻していたこともあり、事業への関心も強くもっていまいした。そんな影響もあってか、次第にそれまでの考え方とは逆に、「この苦手分野をクリアしたら、まんべんなくクリエイターの支援ができる」と考えるようになり、色々と考えた結果、そのまま同社への就職を決めました。

新しい環境で得た自信、24歳の独立


実際に入社してからは、webデザイナーとして働き始めました。初めて東京に住み、新しい環境での再出発でしたが、社内環境が非常に良く、人にも目恵まれ、すんなりと馴染むことができました。また、それまでは複数のイベントやプロジェクトを並行して動かす状況が恒常的に続いていたので、腰を据えて一つの業務に取り組めることで落ち着きを取り戻し、もう一度スタートを切ったような感覚でした。

ただ、スタートアップ業界については全く知らないことだらけで、東京に知り合いもいなかったため、まずは色々な人に会いに行こうと、スタートアップ関連のイベントに参加したり、運営を手伝っていくようになりました。元々起業に憧れを抱いていたこともあり、実際に起業家の方とコミュニケーションを取る機会が増えていくと、尊敬の念に加え、自分への悔しさも感じるようになっていきました。

また、社内では元々希望していた企画の仕事に携わる機会をいただくことができ、クリエイターへの教育関連の事業を行ったり、新規事業としてメディアの立ち上げ等、複数の事業立ち上げも経験させていただきました。そして、2年目の途中からは人事として採用も担当することになり、気づけば社内の部署を一周経験させてもらうことができました。

そんな風に各部署で貴重な経験を積んでいくと、少しずつですが、自らのスキルにもう一度自信を持てるようになっていったんです。また、様々な事業に触れる中で、自分で独立してやりたい事業のイメージも固まっていきました。社内で新規事業として実現させる可能性もありましたが、独立して自分の判断で挑戦してみたいという思いが強くなりました。

そこで、こんなに良い環境は無いと思いながらも、「会社にずっといたら起業できないかもしれない」という危機感もあり、2年目の2月に会社を退職することに決めたんです。まずはフリーランスとして独立して仕事をしてみて、事業が上手く行ったらそのまま会社にしようという計画を立てました。

正直、独立して働くことに不安もありましたが、周りの方からの応援もあり、ワクワクする気持ちが大きかったですね。また、無理をしなければ創りたいものは創れないというような感覚もあり、自分で挑戦してみたいという思いを強く感じたんです。24歳のタイミングでした。

クリエイターを目指す学生のキャリア選択を支援したい


独立を決めて実際に取り組む分野を考えていくと、問題の根源としてたどり着いたのはクリエイターを目指す学生の進路選択でのミスマッチの問題でした。例えば、美大には専門を絞って進学しなければいけないのですが、実際に取り組んでみたら向いていなかったというケースもありますし、私自身、高校生の段階では何がしたいか定まっていませんでした。そういった状況に対し、専門を変えられる大学もあるのですが、そうでない学校に関しては4年間を無駄にしてしまうケースもあるんです。だからこそ、クリエイターを目指す学生へのキャリア教育を活動のメインとして据えていくことに決めました。

そんな背景から、「『ツクル』を仕事にしたい未来の子供たちのために。」というコンセプトのもと、TSUKURUUU PLUSを立ち上げ、現在は3つの活動を行っています。

1つ目は25歳以下のクリエイターを集め、クリエイターの未来の仕事や未来の働き方を学ぶイベント「ワークリ」を株式会社ロフトワークさんともに開催しています。このイベントでは、今後の事業を創っていくために、まずクリエイターのリアルな声を聞ける場をつくり、最初の一年目は特にコミュニティ作りに力を入れたいと考えています。

また、2つ目の活動として、関東・関西・九州の美大や専門学校の学生に向けて、「クリエイターの新しい働き方」という分野で講義を行っています。これからクリエイターを目指す学生はもちろん、学校の先生からも、ITツールの活用方法等へのニーズは強く、地域を問わずお話をさせていただいています。

そして、3つ目として、クリエイターの就職支援を行う株式会社ビビビットにて、6月から立ち上がる予定の「はたらくビビビット」というメディアの編集長を務めています。このメディアでは、美大生が就職活動で気にする点はもちろん、中学生・高校生が、クリエイターの中にどんな仕事があるのか検索して読んでもらえるような、クリエイターを目指す人の辞典のようなメディアにしていきたいです。

その他にも、これまでの事業開発やメディア立ち上げ・採用の経験を活かし、スタートアップ企業の支援も一部受託で請け負っています。実際に独立して仕事を始めてみて、イベントやメディア等全く新しいものを1から創ることを経験できたことや、この3ヶ月でできた繋がりには手応えを感じています。

今後は、キャリアのミスマッチを防ぐために、特に高校生に特化して価値を提供していきたいという思いがあります。早い段階で、自分のやりたいことと得意なことをつなぐ機会を作ることができれば、より、根本的な課題解決に繋がっていくんじゃないかと思うんです。

そのためにも、今後もクリエイターとして働く魅力や、そのために必要な技術・知識について伝えていきたいです。

2015.05.24

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