「音楽に挑戦することへの恐怖」を、今乗り越えます。

新卒でリクルートに入社し、営業担当としての成果を出しながら、三年目を前にして退職。シンガーソングライターとして、自身にとって一番やりたいことだった「音楽」への道をスタートする福井さん。NYでの挑戦するための渡米を控え、もう一つの人生を一歩踏み出す日に、不安と希望の本音を伺いました。

福井 彩香

ふくい あやか|シンガーソングライター
シンガーソングライターとして、ワールドワイドに活動を行う。

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こうやって人は幸せになるんだろうな


小さい頃から音楽が好きで、高校から音楽部に入り、ミュージカルや合唱に打ち込みました。

入った高校がコンクールで全国優勝するような強豪校で、入学前からすごく憧れていたんです。
晴れて入部してからは、三年間、とにかく音楽に対して納得いくまで向き合い、根性で練習していました。
熱があっても「声は出る!」と言って、冷えピタを貼って歌っていたのは懐かしい思い出です。(笑)

進学校かつSSH(スーパーサイエンスハイスクール)という、
科学技術を重点的に教えるクラスに在籍していたこともあり、授業との両立にはとても苦しみましたが、
顧問の先生のアドバイスにも支えられ、
部活で成果を出すことが出来、何にも替え難い成功体験を得ることが出来ました。

ずっと憧れていたミュージカルでも主役を務めさせてもらい、
私の表現で人が涙を流してくれたことに、本当に感動しました。

ステージに立ち、喜んだり泣いたりしてくれる方を見つめる中で、
ぼんやりとですが、

「こうやって人は幸せになるんだろうな」

と感じたんですよね。

人を感動させることの素晴らしさを、身を以て感じるとともに、
音楽を通じて、「人をつなぐ架け橋になりたい」と思うようになりました。

怖くて決心がつかなかった


そんな調子で、大学受験ギリギリまで部活に打ち込んだ後、
将来の進路について真剣に考えるようになりました。
最初は音楽の道に進もうと思ったんですが、怖くて決心がつかなかったんですよね。

「自分にはそこまで才能がないんじゃないか」とか、「親に迷惑がかかる」というような不安があったし、
昔から人一倍色々なことに関心が強く、経済や社会問題にも関心があったんです。

揺れ動いた結果、私は音楽を離れ、ビジネスの方向に進むことに決めました。
目指す大学や学問も決め、大学受験に向け勉強に集中しました。

ところが、迎えた大学受験本番で失敗してしまったんです。
難関校を目指そうとして一浪しましたが、浪人時代の入試でもうまくいかなかったんですよ。

周囲が難関大学に進学する人が多いこともあり、受験で失敗したことは屈辱的な挫折でした。
部活で忙しかったこともあったので、失敗を音楽のせいにしてしまいそうになったことすらありました。

その挫折は、向上心を越えて焦燥感に変わることもあり、
大学に入ってからは、とにかく加速度的に誰よりも成長しなければいけない!と思っていた頃もありました。
入学してすぐにビジネスプランコンテストを主催したり、
海外へのインターンやスタディツアーに参加したり、とにかく精力的に活動していましたね。

今考えると異常でした。
エリートと言われるような道にしがみつきたかったのかもしれません。

自分の原点を思い出したような気がしました


ただ、活動自体は本当に得るものが多く、社会問題にチャレンジしたいという思いで、海外を訪れる機会が増えていく中で、
段々と「世界の架け橋になりたい」 というビジョンを抱くようになっていきました。

そして、海外でたくさんの人と触れ合うことで、
共通言語としての音楽の可能性を、強く再認識したんです。
一度諦めた音楽を、また意識するようになりました。

そうしているうちに就職活動の時期を迎え、様々な活動のおかげもあってか、
希望していたリクルートに内定を頂くことが出来ました。
ただ、志望していた企業に入社できる喜びはありながらも、なんだか自分の中で、すっきりしない部分がありました。

まだ音楽に対して心残りがあったんです。

思い返せば、人生で一番感動したのは、音楽で舞台に立っていた時でした。
本能で「やりたい」と思えることがあるのに、挑戦しないのは違うんじゃないか、と思ったんですよ。

そう感じてからはすぐに行動に移しました。
大学4年生でアーティストのオーディションを受け、グランプリこそとれなかったのですが、
ある事務所の育成アーティストになったんです。
それから、大学最後の一年は、とにかく音楽のために費やすことに決めました。

まずはカナダに音楽留学をし、ABCの発音の基礎から徹底的にやり直し、
タイでライブに飛び込み参加し、異国の見知らぬ人の前で歌ったこともありました。
エンターテイメントの本場ニューヨークを訪れたときは、その辺りにいる人の歌唱力、表現力がものすごくて、衝撃を受けました。
そうやって日々音楽と向き合う中で、自分の原点を思い出したような気がしました。

「この道でいいのか?」という不安を払拭するため、無心でひたすら走り続けたんですよね。

自分の挑戦を許してあげたい


そうやって再び音楽に打ち込み始めたので、卒業が近づいてからは、正直リクルートへの入社も迷いました。

でも、経済的な意味で親に迷惑はかけたくないという気持ちがありましたし、
ビジネスの世界でキャリアを築き、自分の目標を達成することにも、強い思いがありました。
大学4年の3月31日、本当に最後まで迷った結果、私は、「両方やってみる」ことに決めました。
欲張りなので、両方チャレンジしたかったというのが本音です。
でも、どちらかを本当にやりたいと決めたら、そちらにシフトしようと思ったんです。

入社してからは、仕事と音楽を完全に並行で走らせました。
仕事がどれだけ忙しくても、必ず毎日一時間はスタジオに行き、歌の練習をしていました。
なんだか、「仕事がダメだったら歌もダメ、逆もまたしかり」という様な感覚があったんですよ。

さすがに体力が持たず、体調を崩してしまったこともあったし、
今の仕事が私のビジョンにつながっているのかどうか迷い、辛いときもありました。
でも、二足のわらじを言い訳にしないよう、とにかく両方全力を尽くしました。

そして、一年目の最後にMVPをいただき、二年目に社内で一番の質の仕事を決めるコンテストで、
準グランプリを獲得することができたんです。

入社以来、「この舞台に立てるくらいの仕事をしたい」と思いながら仕事をしていたこともあり、
私にとっては本当に大きな達成感がありました。

「ここまでやったから、自分の挑戦を許してあげたい」

私の中に自然に浮かんだのは、そんな感情でした。

仕事を突き詰めたとは全く思いませんでしたが、
やっと、「リクルートを辞めた後」を楽しめる所まで来たような気がしたんです。

ずっと私の中にあり続けた「音楽に挑戦することへの恐怖」を超えて、
「やりたいことをやりたいと言っていいんじゃないか」と思うようになったんですよ。

ついに、会社を辞め、音楽に踏み出す覚悟が決まりました。

自分の運命は自分で切り拓く


これからは、「世界の架け橋になりたい」というビジョンに向けて、
音楽で挑戦をしようと思っています。

歌唱力はもちろんですが、人として一周りも二周りも大きくならなければいけないなという危機感がありますね。

周りの友人から、「あやかはいつも頑張っててすごいね」と言われることがあります。

でも、実は全然自信がないし、すごく不安です。
自分の拠り所を持ちたいし、自分で納得できるようになりたい。
ブレークスルーしたいという気持ちがすごくあるんです。

音楽のために努力をしても、今すぐ何かあるかは分からないです。
でもその先には何かあると信じたいんです。
自分の運命は、自分で切り拓くと信じて生きていきたいんです。

これまで、自分の目標のために走って来た中で、あまりにも多くの人に支えられました。
だから、私も、周りの人の挑戦を応援できる自分でありたいと思うんです。
そのためにも、まずは私が目標を達成しなければいけないと思っています。

再スタートは、衝撃と悔しさを感じたニューヨークで切ろうと思っています。
日本人として、どこまで現場のエンターテイメントに挑戦できるのか、試してみたいんです。
今は、ただがむしゃらにやってみるしかないと思っています。

「自分の炎に燃えているか?」

そんな問いかけを自分自身にしてみるんです。
そして、その後は走ってみるしかないと思うんです。

2014.04.19

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