クリエイティブの力で、人材業界に貢献する!無気力社員だった私を変えた「想い」。

企業向けに動画マーケティング支援を行う企業にて、採用支援事業を立ち上げた池端さん。新卒で入った会社では、「月のうち1週間くらいしか仕事をしていなかった」と話す池端さんが、仕事の楽しさを見出すきっかけとは、どんなものだったのか?自らを「馬鹿だけど、想う力・伝える力はある」と語る池端さんにお話を伺いました。

池端 威

いけはた たけし|クリエイティブを用いた採用支援
株式会社LOCUS(ローカス)にて、採用支援事業を担当する。

何となく流されている、くだらない自分


私は鹿児島県で生まれ、3歳の頃に石川県に引っ越しました。父は船乗りだったので家にいないことが多く、祖母と母と2人の姉に囲まれ、育っていきました。

小中学生の頃は勉強も運動もそこそこできる方で、高校は進学校に進みました。ただ、サッカーに夢中になり勉強を一切しなかったため、そこで明らかに学力の差ができてしまいました。10校受けた大学受験では全て不合格。正直、大学に行かなくてもいいかと思っていたのですが、父に「一度くらい“努力”する経験をしろ」と言われ、京都で予備校の寮に入って1年間浪人し、神戸にある大学に進学することができました。

大学1年目はそれなりに真面目に授業に出ていたのですが、とにかく要領が悪く、8単位しか取れませんでした。また、2年目は大学の近くにある授産施設に入り浸り、大学にはほとんど行きませんでした。

授産施設へは、ヘルプスタッフを募集していると知り何となく行ってみたのですが、日焼け・金髪でチャラチャラした身なりの自分でも歓迎してくれたのが嬉しかったんです。また、障がいを持つ方と深く触れ合うのは初めてで、自分が知らなかったことをたくさん知り、とても新鮮な感覚でした。

個人的には、あくまで「時間があるから行く「行きたいから行く」という感じだったのですが、同じように出入りしていた地元の主婦の方々から、一方的な「ボランティア論」を押し付けられるようになり、通い始めてちょうど1年が経つ頃、行くのを止めてしまいました。

それからまた大学に行き始めましたが、やはり思うように単位を取ることができず、結局2回も留年してしまいました。自分のことを、何事も深く考えることなく、何となく流されている「くだらない人間だな」と思いつつも、特に焦りなどはありませんでした。

小説家を夢見つつ、経済誌の記者となる


いつの頃からか、漠然と「小説家になれたらいいな」という思いはありました。何かを空想したり、それを表現したりするのが好きで、メール全盛の時代でも、私は手書きのラブレター派でした(笑)。

しかし、いろんな本を読めば読むほど自分の才能の無さを感じ、このままでは小説家にはなれないと思っていました。そこで、まずは新聞記者になって「書く訓練」をしようと思いましたが、新聞社への就職は甘くはなく、すべて筆記試験で不合格に。

大学6年目の2月に卒業が決まった時も、就職先は決まっていなかったので「とりあえずはアルバイト生活かな」と考えていましたが、一応職探しを続けていたところ「記者」の求人を見つけ、運よく2社から内定をもらえました。1社は風俗情報誌の会社、もう1社は経済誌の会社でした。正直悩みましたが、最終的には経済誌のほうを選びました。

その会社は月刊の経済誌を発行しており、私は経営者インタビューのコーナーを担当することになりました。まずは新社長就任や新規上場、新サービスリリースなどのタイミングを狙って「5分だけでも」と言って取材を打診。アポイントがとれたら取材に行って、自分で記事を書く。

ただ、月刊誌でしたし、私が担当していたのはトップインタビューのコーナーだけだったので、かなり暇でした。1ヵ月のうち1週間ほどしか仕事はせず、他の日は出社後すぐに取材と称して外出し、自宅に帰って夕方まで寝たり、夏場は甲子園でビールを片手に高校野球を観たりしていました。

最初は薄給でしたが、月に1回、東京本社から役員が来た時に「給料を上げてください」と頼むだけで毎月5000円給料を上げてくれたので、特に仕事を頑張ろうとも思いませんでした。打ち込むものも何もない、とにかくダラダラとした生活を送っていました。

ようやくスイッチが入った瞬間


そんな生活も2年続けると、さすがに焦りを感じるようになってきました。「このままで良いはずがない」と。その環境でも自分の意志次第でできることは山ほどあったはずですが、私は「とにかく環境を変える必要がある」と思い、転職を決意しました。厳しくても、人として成長できる職場に行こうと。

そして、求人サイトを運営するエン・ジャパンに転職し、新卒就職サイトのコピーライターとして東京で働き始めました。ただ、環境が変わっても自分自身は変わっていなかったので、入社当初は朝まで飲み歩いては遅刻を繰り返すような生活で、仕事にも情熱を持って取り組んではいませんでした。

そのまま2年ほど経とうとしていた頃、1人の女性に出会いました。その人はデザインの専門学校に通っていて、私がコピーライターの仕事をしていると知ると興味を持ってくれて、いろんな広告やデザイン、キャッチコピーなどについて話をしてくれました。しかし、真面目に仕事をしていなかった私は、彼女の話に全くついていけなかったのです。

そこでようやくスイッチが入りました。彼女と対等に話ができるようになりたい。仕事で成果を残して、彼女に褒められたい。要は「モテたい」と(笑)。動機は何であれ、思い立ったらすぐに行動する性格なので、「やってやる!」と決めた翌日には、上司に「一から仕事を教えてください」と頼みにいきました。

それからどんどん前のめりに仕事をするようになり、それまでは興味もなかった社内の広告コンテストにも応募するようになりました。すると間もなく、コンテストで表彰されたんです。仕事の成果を誰かに認めてもらえるのが心から嬉しくて、仕事そのものが楽しくなっていきました。

時には週に何日も会社に泊まり込んで仕事をするようになりました。頑張れば頑張るほどいろんなことを任されるようになり、ダラダラ過ごしていた時よりも明らかに忙しくなりましたが、それまでとは比較にならないほどの充実感がありました。

もう一度「あの感覚」を味わうために


7年間、採用サイトのクリエイティブ制作の仕事をし、社内でも多数表彰されるほど経験を積んだ後、営業職にキャリアチェンジすることにしました。最初は全く売れませんでしたが、制作の経験を活かした営業スタイルを確立したことで、異動1年目にして新規開拓でトップの成績を収めることができました。

しかし、新卒採用の在り方が時代とともに変化する中、携わっていた新卒採用サイトの閉鎖が決定。私個人としては、別の部署に移り、営業・制作どちらも担当する、自分が望んでいた働き方ができるようになりましたが、心のどこかではモヤモヤするものが残っていました。

そんな時、知り合いのエージェントから「面白い会社があるから、話だけでも聞いてみないか」と声をかけられました。正直、すぐには転職する気はなかったのですが、紹介されたベンチャー企業の役員・社長にお会いしてみて、一気にそのマーケット、会社、そして人柄に惹かれました。また、改めて振り返ってみると、一番仕事が楽しく、充実感を覚えていたのは、会社が急成長していた時期で、そんな感覚を再び味わいたいという思いも、背中を後押ししました。

そこで、次なる挑戦をするため、企業向けに動画マーケティング支援を行っている株式会社LOCUS(ローカス)に転職することに決めたのです。

クリエイティブの力で、人材業界の課題と向き合う


LOCUSに入社して3週間ほど経った頃、採用領域に特化した新しい事業部を立ち上げたいと社長に打診しました。映像をはじめとしたクリエイティブの力で採用領域はまだまだ変えられる、自分が変えたいと思ったのです。

例えば現在の新卒採用・就職活動を見てみても、企業・学生の双方に膨大な“無駄”があることは多くの人が感じていると思います。その一連の流れの中の、どこかのフェーズで、何かしらのアクションを起こすことで、その無駄をなくせるのではないか。そう思うんです。

中途採用やアルバイト採用においても、景気が少しずつ上向いてきている中、人が欲しいのになかなか採用できないという企業は多く存在します。また、せっかく採用しても、すぐに辞めてしまう・なかなか定着させられないという課題を抱えている企業も多いでしょう。

そうした課題に、クリエイティブの力で向き合っていきたいと思っています。それなら、エン・ジャパンにいたほうが良かったんじゃないかと思われるかもしれませんが、私はそれではダメでした。

ある程度、会社の規模や知名度で信頼を得られる状況下でチャレンジしても、それはどこまでが自分の力だったのかは分かりません。「看板」が通用しない、自分たちのアイデアや行動力、クリエイティビティのみが頼りという環境でチャレンジしたかったので。転職前に抱えていたモヤモヤは、そういうところにあったのです。

採用領域における課題も、自分がやらなかったとしても、いずれどこかの誰かが解決するでしょう。それでも、自分が大好きになった人は自分の手で幸せにしたいと願うのと同じように、この事業も「どこかの誰か」が成し遂げるのを待つのではなく、自分たちが成し遂げたいと思っています。

私は昔から要領が悪く、後になって「こうすればよかった」「あんなこと言うんじゃなかった」と後悔することが多々あります。それでも、その後悔や失敗の一つひとつが、貴重な経験だったと胸を張って言えます。そして、取り立てて大きな強みはないですが、「人を想う力」と、「その想いを伝える力」はあると思っていて、それが仕事の原動力にもなっています。これからも、自分が信じた道への挑戦は続けていきたいですね。

また、様々な経験をする中で、私はやはり「自分で何かを創って、誰かに届ける」ということが好きなんだと分かりました。いずれは「童話」を作ることも1つの目標にしています。子どもが生まれたことも影響しているのかも知れませんが、世の中の子どもたちが、自分の創ったお話を読んで笑顔になってくれたら嬉しいですね。

ただ、世の中の子どもたちを笑顔にするには、私はまだまだ人間的に浅いし未成熟だと自覚しているので、当分は仕事を通じて成長を続けていき、いつか満を持して作品を送り出したいですね。

2015.05.13

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