旅を終えてからは、ニューヨークの美容室で働き始めることにしました。日本よりも自由に働き方を選べる点や、実力次第でカット料金を決められることに惹かれたんです。実際、1回のカットで10万円近く稼ぐ美容師もいて、私もニューヨークの最高峰を目指したいと思っていました。

そして、1年程ニューヨークで過ごし、そのまま長期で働こうと、就労ビザの申請もしていました。そんな矢先、闘病生活を送っていた知人が亡くなり、父も病気になってしまいました。ビザの申請中なので、一度国を出たらビザは取れないことは明白でしたが、家族にはこれまでたくさんの迷惑をかけてきたこともあり、日本に戻る決心をしたんです。

ただ、手ぶらで帰るわけにはいかないと思いつつ、かと言って持ち帰れる成果もなかったので、独立して美容室を経営することにしたんですよね。そして、2008年、24歳にして神奈川県川崎市にヘアーラウンジ「EGO」を立ち上げました。

また、この頃からカンボジアへのボランティアカットに行く頻度も、徐々に増やしていきました。すると、次第にカットを教えて欲しいという人も増えてきて、本格的に美容教育も行うようにもなっていきました。

美容室の経営、カンボジアでの活動、どちらも順調に進んでいました。ただ、東京に2店舗目の進出を考えると、相当のエネルギーが必要だと感じていました。そして、改めてデザイン、生み出すとはどういうことか考え、ゼロから一を生み出すとはどんなものか経験するためにすべてを捨て、無人島ですっぽんぽんで暮らしてみることにしたんです。

すると、1週間過ごしたのですが、股や腕と触れるお腹などはこすれて真っ赤になってしまいました。この時、服は必要だから生まれたんだと実感するともに、デザイン含めて全てのものは「必然」から生まれるものなんだと感じましたね。