食を通じて、人の心の支えとなる居場所を。行政栄養士としてつくりたいコミュニテイとは。

大学院に通いながら「えいようのわ」「キッチンの科学プロジェクト」など、食に関わる様々な活動に取り組み、行政の管理栄養士として就職する鹿島さん。「将来は食を通じてみんなが幸せになるコミュニティをつくりたい」と語る背景には、どのような思いがあるのか。お話を伺いました。

鹿島 日布美

かしま ひふみ|管理栄養士
管理栄養士。大学時代は「えいようのわ」「キッチンの科学プロジェクト」など食に関わる様々な団体運営を行い、大学院卒業後、行政の管理栄養士として働く

人間関係で挫折した高校時代


私は東京で生まれました。小学校入学の時にお受験をし、都内の女子大の付属小学校にご縁がありました。小学生の頃はあまり人前に出るタイプではなく、絵を描くのが好きで、将来は画家になりたいと思っていました。しかし、好きだったドッチボールの部活を友達と立ち上げたこともあり、好奇心旺盛な一面もありました。

そのまま内部進学をしていき、中学では弦楽合奏部に入り、高校では友達に誘われるまま舞台系の部活に入りました。しかし、私にとってこの部活はあまりにも厳しい環境でした。華やかな舞台とは裏腹に内部は荒れに荒れていたんです。

上下関係は厳しく、先輩は絶対な存在で、部員にとっては先生よりも権力のある存在でした。先輩より早く学校に着かなければならないため、始発で学校に向かい、両手両肩に衣装や裁縫道具を詰め込んだ荷物を抱え、駅から学校への坂道は全力疾走し、ついたら即座に掃除をする。授業は衣装作りの続きをしたり睡眠を取る時間になり、帰宅後も衣装を縫ったり買い出しに行ったりで、睡眠時間どころか休む暇すらありませんでした。

ミスをすると先輩には叱られ、仲間同士では責め合いになり、陰湿ないじめも頻繁に起こり、部活に入る前は親友のように仲良しだった友達も、気がつけば絶交状態に。それまで文化系の部活だった私にとっては体力的にも精神的にもかなり厳しく、心身ともにボロボロになりました。

仲間に比べてダンスや裁縫が苦手だった私は、頻繁に責められる対象になり、教室には居場所がなく、携帯電話が怖くて怯え、部活に行くと叱られる、そんな毎日を送っていたんです。いくら辛くても周りを責めることができず、「できない自分が悪いんだ」と自分を責め続けながらも、踏ん張って部活に向かっていました。

しかし、いつしか学校に行こうとすると自然と涙が溢れるようになっていて、この世から消えてしまいたいと思い、何度か消えようとするも、怖くて決定的なことはできず葛藤する毎日でした。

支えてくれた人がいるから生きていられる


そんな状態になりながらも、朝になると「部活に行かなくちゃ」と家を出ようとする私を、ある時ついに親が止めてきました。「あんたおかしいよ。いつも寝ぼけてて話が全然通じないし。」と。

私はそれでも必死に抵抗して学校に行こうとしましたが、命の危険を感じた親は学校に連絡し、公演前で忙しい時期にもかかわらず、私は部活を辞めさせられることになりました。

「私が甘い」それしか考えられなかった私を救ってくれたのは、親や、心の優しい数名の友人でした。中には毎週のように手紙をくれる人もいたんです。

そして、あたたかい心に触れていくうちに、一度は辞めるしかないと諦めていた高校にも、なんとか再び通い始める事ができました。関係性が悪かった人たちとはクラスを離してもらえたおかげで、2年生からは心も身体も少しずつ回復し、クラス委員や応援団を引き受けるまでになりました。

「一度は死のうと思ったのだから、生き延びられた今なら何でもできる」と、私は生まれ変わったかのように元気になっていきました。次第に、身近で支えてくれる人たちの存在に感謝の気持ちが溢れてくるようになり、自分は「生かされている」と、その実感を得ていったんです。

そして、私を支えてくれた人がいたように、「1人でも多くの人のそばに、支えてくれる人がいてほしい」と思うようになりました。誰しもが誰かの命を支えることができると実感したからこそ、同じような状況で悩んでいる人たち、そしてその周りにいる人たちに支えられることを伝えたかったんです。

「食」を通してみんなが幸せになれるコミュニティを


人の心に興味があった私は大学進学の際、心理学科に行きたいと思うようになっていましたが、命の恩人でもある親の勧めがあり、食物学科の管理栄養士専攻に進むことにしました。

最初は「食」に対してはあまり興味がなかった私ですが、大学に入り毎日のように「食」についての勉強をしていると、すっかりそのおもしろさの虜になっていきました。「食」は、ストレス問題など想像以上に身体と心につながっていて、しかも戦争など含めた社会問題にも密接に関係していたからです。

そして、それに気がついた時、私は決めたんです。「どんな栄養士になるか」ではなく、どんな職場でも、この「食」を通して「みんなが幸せになれるコミュニティをつくること」を目的にしようと。

その時から、様々な挑戦が始まりました。栄養士・管理栄養士の学生団体に入って、栄養士として働く先輩にインタビューに行ったり、同じ志を持つメンバーと一緒に、食育を学ぶ団体を立ち上げたりしたんです。

その中で、自分自身がリーダーとして活動する団体もありました。しかし、初めてのリーダーはうまくいかないことも多く、徐々にトップダウンの組織になっていき、空気もどんどん悪くなっていきました。周りが我慢している状態が続き、気づけば自分が一番なりたくなかった姿になっていたんです。

この時、これではダメだと痛感しましたね。物事を勧めることはもちろん大事だけど、何よりも組織の雰囲気を大切にしたいと思い、その雰囲気を創るのが自分の役割だと、団体運営に対して自分が大切にしたいことが少しずつ分かっていったんです。そして、様々な悩みやぶつかり合いがあっても、決して誰かを「傷つける」ことは起こらないよう、尽力していきました。

「これだ!」と思えた働き方


全ては「食」を通してみんなが幸せになれるコミュニティをつくるそのために活動をしていき、その中でもどの方法が一番かは模索し続けていて、大学卒業後は大学院に進学することにしました。

そして様々な活動と研究で奔走する中、私の運命を変える、墨田区の行政栄養士さんとの出会いがありました。その栄養士さんは行政栄養士として様々な取り組みをしていて、これまで大学で習ってきたような福祉分野の食育だけではなく、「食」をツールとして地域の人たちをつなぎ、あたたかい生きたコミュニティづくりにも力を入れていたんです。

私は、公務員栄養士だからこそできる「つなげる」という仕事に魅力を感じ、その日からその行政栄養士さんの取り組みにもどんどん関わっていきました。話を聞いていくと、その行政栄養士さんも様々な人間関係で深く悩み葛藤していたことがあり、そのエネルギーが今こうして仕事のパワーにつながっていると教えてくれました。

それまでどんな栄養士さんを見ても、「こういう働き方がしたい!」と強く思える先輩はいなかったのですが、その行政栄養士さんと出会い、関わっていく中で、初めて「これだ!」と思ったんです。

将来の働き方に対して、強い動機を持つことができた私はそれから公務員の勉強をし、無事にある自治体で、2015年4月より行政栄養士として働くことが決まりました。

「食育」を通じて社会問題を解決したい


行政栄養士として働き始めることに不安も少しありますが、それ以上にわくわくでいっぱいです。公務員だからこそできること、できないことがあると思います。ですが、地域に密接に関わる行政栄養士として、「食」を通してみんなが幸せになれるコミュニティをつくり続けることができるよう、頑張っていきたいと思います。

高校時代の部活のことを振り返ると、当時は「自分が悪い」とばかり思っていましたが、今はそれだけでなく、あの環境が悪かったのだとはっきりと思います。確かに、私に甘い部分があったことは原因の1つだとは思います。しかし、私以外にも、それこそ上の年代にも下の年代にも、あの環境で心身ともにボロボロになり、不登校になったり、自殺未遂をしたり、学校を辞めた人たちが沢山いるのは事実です。

かといって他の子たちはどうだったかと言うと、みんな必死でしたし、だからこそ周りにつらく当たっていたのです。先輩に怒られたくないからこそ、良い舞台を作りたいからこそ、足手まといになるメンバーを蹴落としていたのです。

そのため、私は当時の仲間や先輩を恨んではいません。環境がおかしかったんだと。しかし、あの環境で感じた苦しみを、他の人には味わって欲しくありません。だからこそ、私は人が不幸になるのではなく、幸せになるコミュニティをつくり続けたいんです。

そしていつしか、いじめ、自殺、窃盗、孤独死、虐待などの悲しい社会問題を、「食育」を通じて減らしていけるような管理栄養士を目指していきたい、そう思っています。

2015.04.18

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