自分の経験や思いの提供こそ、価値がある。患者であることの新しい生き方へ。

腎臓病・透析患者のための情報交換・発信ポータルサイトなどを運営する宿野部さん。ご自身も3歳の時に慢性腎炎を患い、その後18歳から現在まで人工透析を続けています。 大企業で着実にキャリアを積み上げながら、それを手放してまでなぜ現在の事業を始めたのか、そしてその時の思いとはどのようなものだったのか、お話を伺いました。

宿野部 武志

しゅくのべ たけし|腎臓病・透析患者向けポータルサイト運営
「腎臓病・透析に関わるすべての人の幸せのために」という理念のもと事業展開を行う、株式会社ペイシェントフッドの代表を務める。

株式会社ペイシェントフッド
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「物心がついた時には、既に病気でした。」


私は埼玉県の川越市で生まれ育ち、3歳の時に慢性腎炎を患って、毎月大学病院に通い、年に1度は入院するという生活を送っていました。

物心ついた頃から病気と向き合ってきましたが、病気だからといって何かを我慢したり、周りと違うことをしたりすることは嫌だと思っていたんです。そのため、小学校では、体育の授業に参加することを医者から禁止されていたにもかかわらず、休み時間にはサッカーや野球をして遊んでいるような子どもでした。

しかし中学に入学し、副作用の強い薬を投与してもらうようになってからは、顔がまん丸くなる「ムーンフェイス」という症状や、足腰の弱りに悩まされるようになりました。そしてそれが原因でいじめられるようになり、更にもともと病気の原因が不明だったことへの理不尽さも相まって、気持ちが荒んでいくようになったんです。

ただ、高校入学頃から治療の方針が変わり薬の投与を止めると、徐々にその辛い気持ちも収まっていきました。通院があるために、同級生と一緒に修学旅行に行けなかった時はとても寂しい思いをしましたが、それ以外はできるだけ他の同級生と同じように暮らし、楽しく学校生活を送っていましたね。

その後大学受験が近づいてきた18歳の時、ついに腎臓の機能を人工的に代替する治療法である、人工透析を導入することになりました。週3回4時間必ず通院しなければならなくなり、当初は大学受験を諦めた方がいいのではないかと周りから勧められていたんです。

しかし負けず嫌いな性格から、やってみなきゃわからないという思いが強くなり、受験に挑戦しました。結局その年の受験は全て落ちてしまったのですが、翌年も通院と並行して予備校に通って勉強を続けました。

夢のキャンパスライフ、その後大手のメーカーへ


そして、1浪の末、自宅や病院から近い都内の私立大学の法学部に入学することが決まりました。その時何かやりたいことがあったわけではなかったのですが、仲間とともに何かをして、華やかなキャンパスライフを送りたいと考えていたんですね。

そこで、オールラウンドのサークルを立ち上げたり、全員でディベートを行う外交史のゼミに入って学んだりしていました。

特にゼミでの活動は積極的に参加し、毎回様々な外交史のテーマを設定して、それについて賛成派と反対派に別れて議論をし、お互いの知識を高め合っていました。

そんな充実した学生生活を送った後、就職活動の時期になり、身体障害者手帳1級だった私は、就職部とも相談し企業の障害者採用枠の選考を受けることにしました。

選考を受けていく中で最終的に2社で迷いましたが、その会社が世の中にどれだけおもしろいものを提供しているのか、更に自分がより純粋に仕事を楽しめそうであるかということを重視し、ソニー株式会社に入社することに決めました。

入社後は人事グループに配属され、総務部で社内の安全衛生管理に関する業務を行い、その後数年して労務の仕事を担当するようになってからは、労働組合との交渉や、休職者と面談などの業務も行っていました。

また、仕事と並行してもちろん透析に通わなければならなかったため、職場の周りの方々に理解をしてもらい、週に2回17時に退社して通院も続けていました。

「万が一の時、本当に後悔しないだろうか?」


このように、人事としてのキャリアを着実に積んで行き、入社して9年が経った頃、給与課へ異動して、会社全体の給与支払の取りまとめの業務を担当するようになりました。

すると、その業務の中で、自身の病気や家族の介護等の理由で休職するという社員の方々の情報が入ってきたんですね。その時に、医者ではないながらも、彼らのために自分も何かできることがあるのではないかと考えるようになりました。

これまでも、労務の仕事で休職者の方と面談をしたり、自分の通院先でもたくさんの人と話す機会があったりして、その度にも何かできないかと漠然と考えていましたが、その思いを自分の中で明確に感じるようになったんです。

そして、患者やその家族の心理的・社会的な問題解決を援助する、医療ソーシャルワーカーの仕事を思い出し、そのために社会福祉士の専門学校に通うことを考えたんです。

ただ、これまで透析に通いながら通常業務をこなすことだけでも大変だったため、加えて学校にも通うことは難しく、会社を辞めることを視野に入れ始めました。

そこで、そのことを両親に伝えてみると、反対され泣かれてしまったんです。そのため、さすがに決心ができず、会社を辞めることは諦めてしまいました。

ところがそれから少し経った頃、長年の透析からくる合併症を発症してしまい、全身麻酔を伴う手術をしなければならなくなったんです。全身麻酔手術は身体に大きな負担がかかり、何があるかわからないため、手術をする際、同意書にサインをしなければなりませんでした。

その時に、

「万が一のことがあった時、後悔しない生き方を今しているだろうか?」

と考えずにはいられなくなったんです。

そこで、再度両親に現在の仕事を退職し、新しい道に進むことを精一杯頼みました。そして、何度も話し合いを重ねるうちになんとか理解してもらうことができ、本格的に社会福祉士の専門学校に入学することを決意できたんです。

そして入社から14年、ついに会社を退職しました。仕事は順調でやりがいもあり、私の将来を心配して会社に留まるように引き止めてくれた方も多くいる程、その環境には全く不満はありませんでした。しかし、自分が後悔しないように生きようと決意をしたため、引き下がりませんでしたね。

本当にやりたいことならば、やれることは全てやる。


退職後すぐに合併症の手術を受け、その翌年の4月に社会福祉士養成のための専門学校に入学しました。ここでは資格のための勉強はもちろんのこと、福祉施設での実習も行い、1年間の養成期間を終えて、医療ソーシャルワーカーとして働くスキルを身に付け、ついに社会福祉士の資格を取得しました。

そして、すぐにいくつもの病院の求人に応募しました。しかし、医療ソーシャルワーカーはもともと病院の中で数人しか採用枠がない職種であるため、どこからも採用してもらうことができなかったんです。

それでも、なんとか社会福祉士の資格を活かして困っている方の力になりたいという気持ちは変わらなかったため、同じように働けるところを探し、地域に密着しながら、一人一人の方と向きあって課題の解決にあたることができる、練馬区の社会福祉協議会に勤めることを決めました。

それからは、地域の介護問題に取り組んだり、ボランティアの相談に乗ったりするなど、社会福祉の現場にどっぷりと浸かって充実して仕事をしていました。

しかしそんな生活も1年ほど経った頃、持病が悪化し、福祉協議会を辞めざるを得なくなってしまったんです。

その時、「自分にこれから何ができるのだろうか?」と改めて問い直しました。

すると、透析患者としてのこれまでの自分の経験やその思いを活かし、困っている人たちの助けになれるのではないかと改めて強く思ったんです。

そして、こんなにも自分が本気でやりたいと思うことなのであれば、どんなことでもやってやろうと決心し、株式会社ペイシェントフッドを立ち上げました。

運営方法としてはNPOなどの選択肢もありましたが、自分の経験やその時の思いを社会に提供してこそ、対価を受け取る意味があると考えたため、株式会社という形で運営することにしたんです。その後は、透析クリニックに医療ソーシャルワーカーとして雇ってもらえないかと営業をかけてみたり、前職の会社から広報の仕事を請け負わせてもらったりもしました。

すると知人の紹介で、今度は「ある透析患者の起業日誌」という形で、ある月刊院内情報誌の連載をさせてもらうこともできました。

そしてそんな時に、広告代理店に勤める妻から、腎臓病・透析患者のためのポータルサイトを立ち上げてみてはどうかという提案を受けたんです。

院内誌の連載をさせてもらった経験からメディアの影響力や、自分の思いを発信することの価値を強く感じていました。そのため、早速どのようなポータルサイトにするのか企画から考え始めたんです。

医療関係のメディアは世の中にたくさんありますが、他と同じことはしたくないし、見てくれる全ての人が楽しめるものにしたいと考え、企画を構想したり、実際に記事を書いたり、内容を詰めていくようになりました。

患者であることの新しいあり方を提供する。


そして1年の準備期間を経て、2013年4月「じんラボ」を開設しました。

このサイトでは、患者が自分もチーム医療の一員だととらえ、医者に任せきりにするのではなく、主体的に治療に参加するための様々なツールを用意しています。

サイト内には例えば、「とうせきくん」という血液検査の検査値などを入力できる透析管理マネージャーWebアプリケーションや、「世渡りナビ」という、透析患者の就労や患者として実際に生きていくことを伝えるコラムページなども設けています。

また、現在では製薬メーカーなど医療関係者の方向けに患者の実際の生活について考えてもらえるようなワークショップの開催や、透析施設に特化した就職・転職・再就職サービスである「じんラボのじんざい」の運営も行っています。

このように、腎臓病・透析に関わるすべての人の幸せのための事業を行っていますが、これからもこの思いが変わることはありません。

まだやれることはたくさんありますが、そのひとつとして患者としての自分の経験を活かしながら、患者と医療職がより良い関係でお互い幸せなクリニックづくりに関われたらと考えています。

そして最終的には、現在ウェブサイト上で提供しているメンタルサポートや食事サポートなどを実際に行い、患者に寄り添い自覚と自立をサポートするリアル版「じんラボセンター」が作れたら、なんてことも考えているんです。

いずれにせよ、腎臓病・透析に関わるすべての人の幸せのために、そして僕の経験や思いを活かして、僕だからこそできる価値提供をしていきたいですね。

2015.04.07

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