誰もが気軽にアートに触れられる文化を日本に。環境を変えて挑戦する中で見つけたテーマ。
IT企業にて勤務する傍ら、個人の活動として、アートのキュレーションメディアを運営している植田さん。20歳で実家を出てから、常に自分の環境を変えていく中で、昔から好きだった「アート」を仕事にするまでには、どういった思いがあったのでしょうか?お話を伺いました。
植田 淳平
うえだ じゅんぺい|アートのキュレーションメディア運営
IT企業に勤務する傍ら、身近にいるアーティストや作品の情報を世界に配信するアートのキュレーションメディアを運営している。
MediArt
危機感から環境を変えていく
私は岡山県真庭市という場所に生まれ育ちました。中学校の頃にバンドが流行していたこともあり、中学・高校はバンドの活動に打ち込むようになりました。モテたいという気持ちもあったと思います。(笑)元々、高校は進学校に通っていたものの、バンドに熱中し始めてからは、勉強もしなくなり、卒業を迎えても、将来のことは何も考えておらず、目標もありませんでした。
そして、高校卒業後は一人暮らしの準備をするため、アルバイトをしてお金を貯めて過ごしました。実家の周りは田舎だったこともあり、仕事も飲食店や工場等しか見つからず、「ここにずっといたらまずいな」という思いがありました。
そこで、20歳になった頃、岡山市に引っ越し一人暮らしを始め、これから上場を目指している人材派遣の会社に入社することを決めました。「岡山県にそんな会社があるのか」という思いがありましたし、これからの会社の成長やチャレンジに惹かれたんです。
その会社は営業から管理までワンストップで担当するような環境で、裁量の大きい仕事を任せてもらい、非常に充実していました。特に人材業界の仕事は「人」が大切なので、信頼関係の大切さを学びましたし、仕事柄、どういう人が辞めやすいかなども知ることが出来ましたね。
その後、社会的にITバブルが話題になっていたこともあり、ITの領域に興味を持つようになりました。メディアでもIT関連のニュースが多く出てきていたので、その影響は大きかったですね。この領域はこれから伸びると感じたと同時に、自分自身の知識の無さや、それらを担うことのできない現状の環境に、危機感も抱くようになりました。
そこで、環境を変えるしかないなと思うようになり、IT系の企業が集まる東京に身を置こうと考えるようになったんです。
自分の周りでも、上京して挑戦する人がいたこともあり、そこで刺激をうけた面もありましたね。
創業期ベンチャーへの転職、フィリピンでの子会社立ち上げ
上京後の転職活動では、転職サイトでIT系の会社を検索する中でGMOインターネットという会社を見つけました。たまたま、その前に代表の熊谷さんの本を読んだこともあり、そのまま転職を決めました。
入社後は、SEOやアフィリエイトの販売を行う営業として働きました。最初は自社の商品についてもよくわからない状況でしたが、仕事に打ち込むうちに段々と慣れていき、20代後半になってからは、初めて部下を持つことも出来ました。
それから2年程働くと、漠然と、このまま大きな枠組みの中で同じ仕事を続けるのではなく、新しいことを生み出すことに携わりたいと、考えるようになりました。
ちょうどそんな時、GMOの上司が新しく会社を立ち上げたという話を聞いたんです。そこで、直接話を聞いてみると、創業期ということもあり大変そうではあるものの、すごくワクワク仕事をしている姿に惹かれました。元々、自分自身も一度はベンチャーで挑戦してみたいという思いもあったので、そのまま転職することに決めました。
実際に働き初めてからは、前職と同じく営業として関わることになりました。上場企業からボロボロなオフィスへと環境が一変しましたが、それも予想して入っていたので、全く苦ではなかったですね。その後会社は順調に成長をして80名ほどの会社になりました。
そんな風に仕事をしていたある時、社内でフィリピンに子会社を設立する話が出て、社内公募に手を挙げ、立ち上げのメンバーとして現地で働くことになりました。
元々、英語のスキルや海外経験が無いことに課題感を持っていたので、非常に良いチャンスだと感じたんです。実家への危機感からの引っ越し、IT業界への挑戦のための上京、ベンチャーへの挑戦と、思い立ったら環境を変えることを繰り返していたので、海外でビジネスの立ち上げができる環境はとても魅力的に感じました。
実際にフィリピンでは、現地の子会社の事業責任者として、スカイプ英会話や不動産、WEBサイト制作等の事業立ち上げに携わりました。
海外での現地人の雇用等、特有の問題に悩まされることもありましたが、外国人とのコミュニケーションに対する姿勢が変わり、貴重な経験を得ることができました。
アートの現場で抱いた課題感
ところが、全てがうまくいったわけではありませんでした。複数立ち上げた事業の進捗は、あまり望ましいものではなく、改めて新しい価値を生み出すことの難しさを痛感しました。
そこで、フィリピンにいながらどんな事業に取り組もうか考える中、ふと思い至ったのは、「アート」の分野でした。
というのも、昔から絵を見に行くことが好きだったんです。これから何か新しいことを始めようという時や、気分が落ち込んだ時には、よく美術館へ絵を見に行っており、絵を見ることで気持ちの整理をしていたんですよね。
生活必需品ではないですが、何故か無いと困るものでした。そこで、「自分が好きなアートを仕事にしたい」と思うようになっていったんです。
そんなことをぼんやり考えながら、2年間滞在したフィリピンから日本に帰国し、ある時、東京で美大の卒展へ足を運ぶ機会がありました。
会場を回る中で数多くの素敵な作品に出会うことができたので、ふと思い立ち、学生のスタッフの方に、この作品は展示会後どうなるのか聞いてみたんです。すると、2ヶ月以上かけて作った作品ながら、その場限りで壊してしまうという話だったんですよね。
「すごくもったいない。なんで壊しちゃうんだろう。」
と強く感じました。自分自身、1万円払って買いたいと思うものが複数あるような状況だったので、他にもこの作品を欲しいと思っている人がいるはずだと感じたんです。
そこで、なんとかアートを仕事にできないだろうかと本気で考えるようになり、具体的に形にしようと、実験的な意味でブログを作り、まずはアーティストのインタビューから始めることにしました。
そして、インターネットで自分が興味のあるアーティストを探していたところ、クラウドファンディングに挑戦しているキングコングの西野さんの存在を知ったんです。西野さんはニューヨークで個展を開催するために、そのための資金をクラウドファンディングで集めていたんですね。
ビジネスにつなげるのが苦手な人が多いアートの分野で、ITを使ってセルフプロデュースしていることに、「すごいな」という驚きを感じました。そこで、西野さんが開いている独演会に申し込み、インタビューの打診をしたところ、話を伺う機会を頂くことができたんです。少しずつですが、イメージが明確になっていく感覚がありました。
アート業界のメーカーに
実際に絵のマーケットも調べてみても、将来的にアートビジネスは成立するという確信がありました。というのも、日本では美術館に見に行く人がかなり多く、問題は、アート作品の価値がわかりづらいことにありました。音楽業界ではプロデュースがあるからこそ、アーティストが光っているんですよね。しかし、それがアートの世界にはないんです。
アート業界では、版元やギャラリーが音楽業界のプロデュースに当たります。しかし実際は、かなり古い体質だということもあり、コネがないと動きにくいという現状もありました。
そこで、私はアーティストのプロデュースの手伝いをするために、アート業界で「メーカー」をつくりたいと考えるようになりました。他の業界と同じように、価値の物差しを作ることで、市場自体を作っていくことができるんじゃないかと思うんです。
そのために、まずは日本人にアーティストの認知を広げるメディアとして、2014年12月に「MediArt」というWebメディアを立ち上げました。
日本のアーティストを日本国内・海外に知ってもらうことを目的として、アート業界でのプロデューサーの立ち位置を目指しています。
正直、このメディア一本ではまだお金にならないですし、人数が少ない方がストレスもないので、現在は個人的な活動として続けていて、この仕事をすることに戸惑いはありませんでした。
ただ、これまで、自分の純粋に好きなことを仕事にした経験は今までなかったので、ゆくゆくは、アート系の仕事を一本化できたらと思ってはいますね。
今後は、アーティストの認知はもちろんですが、アート系のイベント開催等を考えていて、実際の作品に関してはリアルで触れる機会を設けていきたいです。
あとは、サイトをリニューアルして絵を売ることもしていきたいですね。絵はプレゼントとして送れるようになれば、流行ると思っているんです。気軽に買うことができ、収益がアーティスト側にも還元されるような形を作っていきたいです。
最終的には、皆がアートに気軽に触れられる文化をつくっていきたいですね。
2015.04.05