世の中を良くすることは義務だと思う。公務員を卒業する私の新たな挑戦。

大阪市役所職員として、大阪市が運営する大阪イノベーションハブにてイノベーションの創出支援を行う角さん。あることがきっかけで「生きる意義」を見出し、自分にとっては今の仕事がその実現に最適だと語ります。どんな背景があったのか、お話を伺いました。

角 勝

すみ まさる|イノベーション創出支援
「大阪イノベーションハブ」というグランフロント大阪に拠点を構えるイノベーション創出支援施設にて、イノベーションを生み出すためのイベントを多数開催している。

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大阪イノベーションハブ

歴史学者になりたかった


私は島根県出身で、3人兄弟の末っ子として高校を卒業するまで実家で育ちました。

小学校の頃から映画が好きで、レンタルビデオ屋に行っては様々な映画のビデオを借りて観ており、その中で過去の歴史スペクタクルなども観たりして、次第に歴史の魅力に惹かれるようになっていきました。

そして高校で進路を考える頃には、将来は歴史学者になろうと思い、兵庫県にある大学の文学部西洋史学科に進学し、真剣に歴史学者を目指して勉強を始めました。

もともと、西洋史を学ぼうと考えたのは、高校の頃に観た、古代ローマを舞台にした「スパルタカス」という映画が好きでローマ史に興味をもっていたからです。

大学を卒業後は、学者への道に向けてさらなる知識を習得するべく、大学院への進学を考えていました。

ところが、ローマ史の領域で歴史学者として研究を行うには、英語だけでなくギリシャ語やラテン語なども習得しなければならなかったうえ、ローマ史の講座を開講している大学も少なく就職口が狭いこともあり歴史学者になることは非常に難しいことがわかったんです。

それに私は慎重な人間だったので、半端な気持ちで学者の道を選ぶことはできず、学者になることは諦めることにしました。

とはいえ、他にやりたいことは特になく、一般企業に勤めようとも思っていなかったので、半ば受動的な気持ちで公務員になることに決め、大学を卒業後は大阪市役所職員として働き始めました。

世の中を良くするために生きる


最初は本庁舎ではなく鶴見区役所に配属され、税務課固定資産税係として新築家屋の評価額を算出する仕事を4年ほど担当していました。

その後本庁舎の福祉局や市政改革室というコストカットなどを行う部署に異動してしばらく働いた後、2009年に都市計画局という部署に異動しました。

そして、都市計画局に異動して1年ほど経った時に、子どもが生まれたんです。

私は小さい頃から「生きる」とはどういうことなのか、という小難しいことを日々考えていたのですが、公務員として働きだしてからもずっとその答えを出せずに悶々とした日々を過ごしていました。ところが、生まれてきた自分の子どもの顔を見たときに目の前のガラスが割れて視界がサッと開けるように、その答えに辿りついたんです。

それは「自分が生まれた時よりも世の中を良くし、次世代の子どもに託して死んでいくこと」。

これまでの人類の歴史の中では、過去に必要であったものが次世代では何らかの技術的進歩や発展によってそれが不要となり、より良い代替物に取って変わるなどして時代が常に進歩してきています。

つまり、過去に生きていた人々が世の中を少しずつ進歩させてきているのであり、私達はその土台の上に生活することができているんです。

だから、私も過去の人々と同じように次世代の人たちのために社会を良くすることに貢献する義務があるということに、自分の子どもの顔を見たときに気づかされました。これは、以前歴史を学んでいたことによる気づきでもあると思います。この気づきを得てから、仕事に対する姿勢として何よりも「世の中を良くすること」を軸にものごとを考えるようになり、「職員提案」という制度を利用して、生活保護費のプリペイド支給に関する施策と違法駐輪対策に関する施策の2つの提案を行うなど、自ら積極的に世の中を良くするための行動を起こしていくようになりました。

これらの提案はいずれも入賞することができ、生活保護費のプリペイド支給に関する施策は一部実現されることになりました。

こうして何か新しいことを考えることは楽しかったですし、世の中を良くすることに自分が積極的に関わっていると感じることができた時は本当に嬉しかったです。

イノベーション支援活動


その後、異動になった都市計画局では、総務担当を3年間務めた後、大阪市北区にあるグランフロント大阪と呼ばれる複合型商業施設に、イノベーション拠点を立ち上げる業務を担当しました。

もともとは産学連携の拠点を作るという話だったんですが、紆余曲折があり、産学にとどまらない広義のイノベーション創出支援がコンセプトとなり、「大阪イノベーションハブ」という施設が誕生しました。

しかし、施設ができても利用するユーザーがいなければ意味がないので、私は自らIT系のイベントなどに通ってユーザーとなりそうな方々と直接お会いし、大阪イノベーションハブの告知と集客に努めました。

週末のたびにIT系のイベントや勉強会を渡り歩いてビラを配ったり、あるときには自分が呼ばれてもいないパーティー会場の出口で参加者たちを待ちぶせして告知プレゼンなんかもしました。

そんな努力の甲斐があってか、今では年間イベント開催回数200回を超えるようになるほど、多くの人々に利用される施設になっています。

告知や集客は大変でしたが、世の中を良くするためのイノベーションを創出する拠点づくりを行うなど、これ以上自分に合っている仕事はないと感じていたので、すごく楽しかったです。

自分にしかできない新たな挑戦


大阪イノベーションハブでは、ハッカソンと呼ばれるエンジニアやデザイナー、プランナーなどがチームを組んで短期間で集中的にアプリやwebサービス、時にはハードウェアなども作り上げる開発コンテストも開催されています。

また、ハッカソンに限らず起業家と投資家をマッチングさせたりパートナー探しの支援を行ったりなど、イノベーション創出支援に関わるイベントを幅広く実施しています。

そうしたイノベーション創出支援活動において様々な方々との繋がりが増えていく中で、個人的にアドバイスを求められることも多くなってきました。

最初はイベントアドバイザーのような立ち位置から始まったのですが、今では新規事業の企画に関する相談まで受けるようになりました。

ところが、地方公務員という身分では、所属する自治体への利益還元につながらないところまではなかなか受けづらい部分があります。しかし、私個人としては大阪市に限らず、世の中全体をよりよくするために自治体という枠にとらわれずに多くの方のお役に立ちたい思いが強いんです。

そこで、このジレンマを抜け出すためには、長年お世話になった大阪市を卒業するしかないと思い至りました。公務員という安全な檻の中にいる評論家的存在ではなく、自分もリスクを取りながら、「世の中に自分として提供できる価値を最大化していきたい。」そう思い、この度独立を決意しました。

私は2015年の3月末で大阪市を退職し、大阪イノベーションハブで培ったアドバイザーとしての能力を活かせる事業を行う会社を立ち上げる予定です。

今後はこの会社を立ち上げるための準備を進めていき、世の中を良くするために新しいものを生み出すイノベーション支援活動を積極的に行い、より良い時代を次世代の人たちに託したいと思います。

2015.03.31

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