新規事業の成功に、再現性を!シンプルに、ビジネスが一番楽しいんです。

webを軸に、外資系企業や日系中小企業の新規事業の立ち上げのサポートを行う郡さん。 NBAを目指した中学から一転、ビジネスに目覚めた郡さんが、「再現性」にこだわって新規事業作りを行う理由とは?お話を伺いました。

郡 裕一

こり ゆういち|新規事業立ち上げサポート
webを軸に、新規事業立ち上げのサポートを行う、Otsumu株式会社の代表取締役を務める。
スタートアップメディアのTurn Your Ideas Into Reality. の中の人。

Otsumu株式会社
Turn Your Ideas Into Reality

NBA選手という夢を諦めた、中学最後の県大会


転勤族の家庭に生まれ育ち、幼いころから引っ越しを繰り返し、
小学校5年生からは岡山県に住み始めました。

ちょうど、引っ越しの前年にJリーグが開幕したこともあり、
元々はサッカーをしていたのですが、新しい小学校ではなぜかすごくNBAが流行っており、
次第にバスケットにハマっていきました。

その後、県内の中高一貫校に進学してからもバスケ部に入部し、
将来はNBAプレイヤーになって10年連続MVPを獲得して、と大きな夢を描いていました。
そのためにも、少なくとも全国大会には出場しなければという気持ちがあり、
仲間とひたすら全国を目指し練習する日々を過ごしました。

しかし、迎えた中学3年の県大会、2位までが全国に進めるという環境で、
それまで1位・2位だった学校を下して最後の4校での総当たりに進んだものの、
最後の最後で力尽きてぼろ負けをしてしまい、得失点差で全国大会を逃してしまったんです。

完全に夢を打ち砕かれたような感覚でした。
全国大会に出場できないようでは、NBAには到底通用しないと感じてしまったんですよね。
中高一貫校だったため、高校でも引き続き皆バスケ部に進む中、
私一人だけ引退を決め、バスケットから距離を置くことに決めました。

それからはとにかく虚無感を抱えた日々を過ごしました。
ずっとカラオケに入り浸ったり、いたずらに写真部をのぞいてみたり、
何をしようか考え続ける毎日でした。

そして、高校の卒業が近づき、進路選択を考えるようになると、
漠然となにか大きなことがしたいと感じるようになり、ビジネスに憧れを抱くようになりました。

元々、医者だった祖父や親の姿を見ていて、
一人の命を救うことが尊いと思う反面、もっと大きな規模で社会に影響を与えたいと思ったんです。
ぼんやりとしたイメージではありましたが、そんな背景から、一橋大学の商学部に進学を決めました。
サラリーマンになるイメージは持てなかったこともあり、
大学入学から10年後くらいまでには自ら起業しようと考えていましたね。

ビジネスに没頭していく大学生活


大学に入ってからは、ビジネスを擬似的に実践できるフィールドワークの授業に取り組み、
その授業で出会った友人の紹介で、1年生の冬からはベンチャー企業でのインターンも始めました。

その会社はフランチャイズ展開を行う企業のコンサルティングを行っており、
インターンとして携わることで、自分が将来独立する上で有益なノウハウが得られるんじゃないかと思ったんです。

しかし、いざ働き始めてからは、アルバイトすらしたことがなかったこともあり、
ただただ大変な日々を過ごしました。
朝から終電まで働き、没頭した結果、大学の留年も決まってしまいました。
さらに、仕事は楽しいものの、成果で貢献できている手応えがなく、歯がゆい感覚で一杯でしたね。

結局、その経験から反省して、まずはコンサルでなく現場を見なくてはと思い、
チェーン居酒屋の新規店舗でアルバイトを始めました。
それまでは頭でっかちだったのが、現場で働くことで得られる学びは多く、
店舗ビジネスの大変さも痛感し、自らやる場合は他業界にしようということも考えるようになりました。

その経験で一定の自信を得てからは、大学のある国立限定でフリーペーパーを創刊し、
自らデザインも営業も行い、ビジネスを回すようになりました。
実際に始めてみると、居酒屋でコミュニケーション能力が磨かれたこともあり、
広告の営業も獲得でき利益は出たものの、それまでもらっていたバイト代とあまり変わらずキャッシュフローも悪く、
次第に、継続できないなと感じるようになっていきました。

印刷等を介するメディアならではの難しさを感じたことで、
次はwebのノウハウを身につけ、もっと効率よくビジネスをしたいと考えるようになったんです。

ちょうどそんな折、大学4年生のタイミングで、
友人がwebマーケティングの会社を立ち上げたから手伝ってほしいという話を受け、
自ら経験を積みたい分野とも一致していたこともあり、
創業期にメンバーとして参加することを決めました。

気づけば、悩んでいた高校生活から一転、ビジネスに没頭している自分がいました。

web制作ベンチャーを経て、中国ゲーム企業の日本立ち上げへ


そのベンチャーでは大学4年から働き始め、卒業後も引き続き働きました。
最初はコンサルティングやwebマーケティングに携わっていたのですが、
元々web開発のノウハウに関心を持って参加したこともあり、
web開発の受託案件を獲得し、案件が決まってから開発を学んで手を動かし、
といった仕事を重ねていきました。

また、次第に受託の際の差別化のためにも、
要求がふわっとしたクライアントに対し、企画の提案から始めて開発まで携わるようになっていき、
事業立ち上げ全般の領域に関わるようになっていきました。

すると、26歳になったある時、外資系のヘッドハンターから連絡をもらい、
孫正義さんが投資していた中国のソーシャルゲーム・プラットフォームRenRen.com(人人網)の、
日本支社立ち上げプロジェクトに誘っていただいたんです。

オファーを貰った2008年前後はややwebサービス自体が停滞している雰囲気がありながらも、
ソーシャルゲームは勢いが大きく、そんな環境に大きな資本のバックアップのもと挑戦できる機会は非常に魅力的でした。
そこで、私は転職を決め、中国の200名を日本のたった10名弱がマネジメントする、
精鋭揃いのチームで働き始めました。

孫さんが出資をしていることもあり、Yahoo! と連携して日本のナンバーワンのプラットフォームを作ることを目指しており、
実際に働き始めてからは、物事のダイナミックさにとにかく圧倒されましたね。
優秀な100人以上の中国人エンジニアに最大限活躍してもらうべく、
30代の歴戦の猛者の方々に囲まれて、ひたすら奮闘する日々を過ごしました。

特に、優秀で誠実なメンバーながら、中国と日本で感性が違うことは多々あり、
背景や価値観が異なるメンバーとの擦り合わせや合意形成については、非常に大変でした。

再現可能な新規事業立ち上げを


ところが、チームに参加して半年ほどすると、
経営方針の転換から、ソーシャルゲームではなくフラッシュマーケティング等の事業開発を行うことになってしまったんです。
元々、ソーシャルゲームに可能性を感じて転職を決めたこともあり、
夢中になっているおもちゃを取り上げられてしまった子どものような感覚で、
それ以来、休日に自分でゲームの開発を行うようになりました。
正直、RenRenで事業に携わる中で、これなら自分で企画・開発しても通用するんじゃないかという感覚があったんですよね。

何よりも、非常に大きな市場の波を感じていたこともあり、
1年ほど働いた後、27歳のタイミングで会社を立ち上げることに決めました。
ぼんやりと描いていた30歳までの起業という意味ではギリギリでしたが、
自らビジネスを始めることに決めたんです。

実際、Otsumu株式会社という名前で創業をして、早い段階から手応えは大きく、
ゲームローンチ後初月から数百万円程売上が立ち、これでサラリーマンに戻らずやっていける、
という感覚がありました。

しかし、次第に競合が増えていくと市場はレッドオーシャン化していき、
自分一人で開発をすることにも限界を感じるようになっていきました。
「これはまずい」と感じ始めたんです。

そこで、自ら先人を切ってやっていた経験を活かし、
新規事業開発のコンサルティング事業を始めたんです。
すると、同じようなゲーム開発等含め引き合いが数多くあり、
これまでの経験が価値になっていくことを実感しました。

また、複数の新規事業のコンサルティングを実際にチームの中に入って行ったり、
スタートアップ立ち上げの支援を行う中で、
世の中で上手く行っていると言われる事業の中には運の要素が大きい事業もあり、
再現出来ないものも多いと気づいたのです。

同時に、新規事業の成功確率を上げる部分に絞って注力している人がいないことにも気づき、
そこでならオンリーワンの価値が提供できるんじゃないかと考えるようになりました。
一つの事業を大きく成功させることももちろんなのですが、
成功確率を上げることに注力することが、社会的に大きな影響をもたらすことに直結するんじゃないかと感じたんです。

ぼんやりと描いていた高校時代の目標が、具体的になっていくような感覚がありました。

楽しいから打ち込む、シンプルな答え


現在は、webを軸に、新規事業の立ち上げのサポートを行っており、
国内外・業界を問わず中堅企業の新しいチャレンジに、
実際に内部に入って開発の部分まで携わる支援を行っています。

常時プロジェクトは4〜5個並行で走っており、
案件毎にメンバーを有機的に組み替えて支援を行っています。

また、ちょうど5期目を迎えた今、
次のフェーズに進むべく、スタートアップの支援プログラムの提供も行っています。
自分自身のミッションでもある「再現性」にこだわった3ヶ月のプログラムで、
ターゲットの持つ課題に対しての仮説検証から売上をたてるまでを短期間で完成させるプログラムで、
1シーズン6社を輩出し、既に卒業した1期生は軌道に載って来ているスタートアップもあり、
プログラムへの手応えがあります。

また、一つの特徴として、そのプログラム自体、
1週間に2時間とリソースを区切って行っているため、
この効率を保って、ゆくゆくは年間数百社という単位で支援ができればと考えています。

それらの活動を通じて、再現性のあるビジネスを生み出す人を増やすことにも取り組んでいければと思います。

中学でバスケットの夢を諦めて以来、大学生時代からビジネスの道を試行錯誤しながら進んできて、
自分ではあまり特別なことをしてきた感覚がありません。

根底には「人生は楽しんだもの勝ち」という考えがあって、
シンプルに、自分にとってはビジネスが楽しいだけ、だからずっと打ち込んでいるんだと思います。
もっともっと、同じようにビジネスを楽しむ人やチームを増やしていきたいです。

2015.03.26

ライフストーリーをさがす
fbtw

お気に入りを利用するにはログインしてください

another life.にログイン(無料)すると、お気に入りの記事を保存して、マイページからいつでも見ることができます。

※携帯電話キャリアのアドレスの場合メールが届かない場合がございます

感想メッセージはanother life.編集部で確認いたします。掲載者の方に内容をお伝えする場合もございます。誹謗中傷や営業、勧誘、個人への問い合わせ等はお送りいたしませんのでご了承ください。また、返信をお約束するものでもございません。

共感や応援の気持ちをSNSでシェアしませんか?