卒業後は日本に帰国し、慶應義塾大学へ進学することを決めていました。

しかし、卒業式の前日に飲酒や喫煙など複数の校則を破ったのがばれてしまい、翌日には強制退寮となり、卒業式にも出させてもらえなかったんです。処分内容は数日後に伝えるとだけ言われ、おそらく退学だろうなと諦めていました。

卒業式のためにニューヨークまで来てくれていた両親には申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、「まあ、しょうがないか」と責められはしませんでした。この人たちは僕がどんな状況になっても必ず守ってくれる存在なんだと、強く感じました。

さらに、僕の知らないところで寮の仲間や先生達が、学校側になんとか退学にはしないでくれと嘆願してくれていて、学院長の心の広さと優しさもあり、退学を回避することができたんです。

アメリカに来てからその時まで、周りの人が「敵」と感じることも多く、周りよりも自分のことばかり考えて生きていました。 しかし、振り返ると、これまで家族や友達など色々な人に守られ、その「繋がり」の中で支えてもらっていたからこそ僕は生きてこれたと気づいたんです。

そして、これからは自分がお返しする立場として生きたいと思いました。 じゃあ自分は何ができるかと考えた時、 日本とアメリカどちらも知っている自分だからこそできる、両者の間に立って、繋ぐ存在になりたいと思ったんです。

結局、条件付き無期停学となり、その後半年遅れで高校を卒業し、慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパスに通い始めました。 そこで、オレゴンの大自然の中で育ったことから関心があった環境問題を学び始めると、これも本質的には人や自然、生物との繋がりや意識の問題だと感じ、自分の中にあった「繋がり」という言葉とリンクしたんです。

一人ひとりが、自分の行動が様々な問題に繋がっているとどれだけ意識し、 「関係ない」と思わずに行動できるかどうか、それだけだと。 また、それは環境問題だけでなく、貧困問題や国際問題など全ての問題に当てはまり、 「繋がり」が問題を解決するキーワードだと強く感じました。この頃から、何事においてもその「根本」や「本質」が何かを意識するようになりました。とは言え、どう具体化するかはまだ分かりませんでした。

エンターテイメントを切り口に問題を知ってもらう

卒業後は日本に帰国し、慶應義塾大学へ進学することを決めていました。

しかし、卒業式の前日に飲酒や喫煙など複数の校則を破ったのがばれてしまい、翌日には強制退寮となり、卒業式にも出させてもらえなかったんです。処分内容は数日後に伝えるとだけ言われ、おそらく退学だろうなと諦めていました。

卒業式のためにニューヨークまで来てくれていた両親には申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、「まあ、しょうがないか」と責められはしませんでした。この人たちは僕がどんな状況になっても必ず守ってくれる存在なんだと、強く感じました。

さらに、僕の知らないところで寮の仲間や先生達が、学校側になんとか退学にはしないでくれと嘆願してくれていて、学院長の心の広さと優しさもあり、退学を回避することができたんです。

アメリカに来てからその時まで、周りの人が「敵」と感じることも多く、周りよりも自分のことばかり考えて生きていました。 しかし、振り返ると、これまで家族や友達など色々な人に守られ、その「繋がり」の中で支えてもらっていたからこそ僕は生きてこれたと気づいたんです。

そして、これからは自分がお返しする立場として生きたいと思いました。 じゃあ自分は何ができるかと考えた時、 日本とアメリカどちらも知っている自分だからこそできる、両者の間に立って、繋ぐ存在になりたいと思ったんです。

結局、条件付き無期停学となり、その後半年遅れで高校を卒業し、慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパスに通い始めました。 そこで、オレゴンの大自然の中で育ったことから関心があった環境問題を学び始めると、これも本質的には人や自然、生物との繋がりや意識の問題だと感じ、自分の中にあった「繋がり」という言葉とリンクしたんです。

一人ひとりが、自分の行動が様々な問題に繋がっているとどれだけ意識し、 「関係ない」と思わずに行動できるかどうか、それだけだと。 また、それは環境問題だけでなく、貧困問題や国際問題など全ての問題に当てはまり、 「繋がり」が問題を解決するキーワードだと強く感じました。この頃から、何事においてもその「根本」や「本質」が何かを意識するようになりました。とは言え、どう具体化するかはまだ分かりませんでした。

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