私は大阪府大阪市に生まれ育ち、小さい頃から目立ちたがりやでお調子者の子どもでした。
小学校では友人と漫才コンビを組んでクラスの前でネタを披露し、
中学になると生徒会長を務め、人の前に立つことが多かったですね。

また、高校生になると、アートやデザインに関心を持つようになりました。
元々、中学校の時にお世話になっていた塾の先生に久しぶりに再会した際に、
「お前の人生にはアートが足りないから、教えてやる」と言われたのがキッカケで、
自称「詩人」のその先生に、アート論を1年間かけて叩き込まれたんです。

そうして教わったのは、絵の描き方等ではなく、物の見方でした。
例えば、ピカソの絵はすごいという先入観を持ちつつも、どうすごいかは正直分かりませんでした。
しかし、その先生には時代背景やピカソの性格、女性関係まで含めた背景の説明ができ、
私自身、それが分かったことにより、作品の見方が大きく変わったんです。

その瞬間に、世界が変わったような気がしました。

それ以来、アートに強い関心を抱くようになったのですが、
すぐに気づいたのが、自分が作品を創ることが向いていないということでした。
仲間内の中では絵が描けるほうであったものの、美大受験というレベルでみれば、全く叶わないという感覚を持ってしまったんです。

そこで、自ら創るのではなく、クリエイターを支える側に回ろうと思い、
美術館の展示をつくったり、作品を選ぶようなキュレーター・学芸員になろうと、
卒業後は一浪の末、多摩美術大学の芸術学科に進学しました。

大学4年間は大学が大好きだったので、非常に充実していましたね。
元々関心のあったアートとビジネスをつなげる部分の学問を学び、
広告研究会を立ち上げたり、高校生から始めていたストリートダンスに打ち込んだり、
学園祭の実行委員長も務めました。

その後、大学3年生を迎えると、周りでは就職活動を行う学生がほとんどいない中、
1人で説明会やイベントに参加するようになりました。
純粋に、お祭り好きなため、「就活」というある種の祭りがあるなら参加したい、
という感じでしたね。(笑)

元々の憧れもあり、就職活動までは、会社に属さずに美術館と直接契約をするような
フリーランスのキュレーターになることも夢みていました。
しかし、色々な会社を見たり、ビジネスの本を読んだりするうちに、
アート&ビジネスを学ぶのであれば、飛び込んだ方が早いのではないかと思い、
いくつか受けた中で縁のあった、メディアアートの企画展示を手掛ける広告会社に入社することに決めました。