日本に戻ってからは、逆カルチャーショックで日本に馴染めないと感じる瞬間もありました。ただ、理解してもらえないと言っても、ベルギーにいた時程大変ではありませんでした。むしろ、人はそれぞれに異なった価値観をもち簡単には分かり合えないことが自分の中では前提となっていたので、理解してもらえるように必死に伝えて、少しでも伝わった時には感謝できるようになっていました。

また、ベルギー時代に、劣等感をもち挫折をしたおかげで、とにかく自分は人の何倍も努力し、謙虚でいる必要があると感じていましたし、負けず嫌いだったので、努力は「苦」ではなく、よりよい未来を創ることにつながる「喜び」でした。そして自分で定めた目標を達成することで、アイデンティティを保っていました。

通っていた学校は小中高一貫校でしたので、中学、高校と内部進学していきました。ただ、多様な価値観の人と関わりたいと思っていましたので、高校生になるとボイストレーニングや演技のレッスンに通い始め、積極的に学校外の世界とも触れるようになりました。

レッスンに参加している人たちの生き方は、私にとって衝撃的でした。人生を賭けて芸能の世界で活躍していたり、目指していたりする人ばかりで、私とは生きる覚悟や人生に臨む熱量が違うと感じたのです。私も自分なりには努力していたつもりが、ベルギーにいた時のような必死さをもって日々生きていないと感じていて、優等生で型にはまった生き方に対する焦りや、人生の舵を自分でとれていないのではないかと不安もあったのです。

そこで、改めて自分自身で開拓した環境の中で挑戦する生き方をしたい、もっと多様な価値観に触れ、一から理解しあえる関係を築くための努力をしたいという思いが強くなり、環境を変えるため転校することにしたのです。新しい環境で一から人間関係を築いたり、並行して大学受験の勉強をしたりと大変でした。

しかし、自分自身の価値観をもとに一歩を踏み出したことで成長を実感し、周囲の意見や情報に左右されることなく自分の信念に忠実に挑戦していくことに自信を持てるようになり、「やらない後悔」は絶対にしたくないと考えるようになりました。