セルフエステを通じて自分と向き合って欲しい。身体と心を健康に、そして美しく。
自分で健康と美を管理できる「セルフエステ」で身体を触ることを通じて、自分自身の心と向き合うきっかけを提供したいと語る出口さん。「身体と心」への興味を持ち始めるには、どのような背景があったのか。芸能活動にエステサロン経営、そして東京セルフエステ協会を立ち上げるまでにどんな思いがあったのか、出口さんの激動の半生をお伺いしました。
出口 アヤ
でぐち あや|東京セルフエステ協会代表理事
年会費600万円の会員制エステで店長を経験した後、麻布十番でエステサロンを開業。
15年以上のキャリアの中で、トータル 20,300人を施術。
エステの他に、アロマセラピー、リフレクソロジー、リンパ経絡、痩身、
リラクゼーション、マタニティマッサージ、ベビーマッサージ、
東洋医学、心理学など、美容と健康に関する技術を、マスター。
独自で編み出した即効性と確実に変化をつくる技術を持つことから、次世代ゴッドハンドと呼ばれる。
現在は、見た目年齢をマイナス10才にする「セルフマッサージ」の個人指導、
ダイエットやファスティング指導のコンサルティングをおこなう傍ら、
セルフエステを伝えるインストラクタ-の育成に力を入れている。
見違えるほど美人になるセルフエステ
東京セルフエステ協会
個人Facebook
人の身体と心へ興味を持つ
私は東京で生まれ、中学校ではバレーボール部に所属していました。厳しい部活だったので、髪の毛は短髪だし1年の363日はバレーボールをしていました。その結果、背が高く筋トレの効果で中学生にしてはしっかりした体つきだったこともあり、街でスカウトされ、モデルとして芸能活動を始めました。
高校も芸能活動ができる学校を選びましたが、周りの売れっ子とは違って仕事が少ないので、私は毎日授業に出れちゃうんですよね。それが悔しかったこともあり、レッスンを毎日夜遅くまで続ける生活を送り、高校卒業後も芸能活動を続けるために進学はしませんでした。仕事が楽しかったんです。
そして、事務所が変わりタレント活動もするようになると、地方でのレギュラーの番組も決まって、毎週同じ仲間と一緒に仕事で過ごせるのがとても楽しく感じました。ただ、単発のCMが決まったり、別の仕事に繋がることもあったけど、収入は安定しないので並行でアルバイトもしていました。
そんな生活を送っていた21歳の時、私の目の前で父が亡くなってしまったんです。それまで自由に育ててくれた父が突然いなくなってしまったことは、とても悲しい出来事でした。また、元気だった人が急に亡くなってしまうという事実に「何故なんだろう?」と考えるようになり、人の身体や心に興味を持つようになりました。そして、身体と心に深く関わることができるエステの仕事をしたいと考え、エステサロンに就職することにしたんです。
美容、健康の様々な知識を勉強する
最初はお客様に提供できる技術が無いため、ベッドシーツやタオルを洗濯したりと、想像以上の肉体労働をすることになりました。
また、そのエステサロンは中規模の会社で、大手のサロンのように教育システムが整っているわけではなく、「習うより慣れろ」という風土でした。そのため、先輩がサービスを提供しているのをカーテンの脇からこっそり見たり、許可が出た日は業務終了後に先輩に残ってもらって実践練習をして技術を学んでいきました。教えてもらうのではなく、自分で技術を盗んでいく環境だったんです。
しかし、人の身体に関わることなので、やはり正確な知識や技術を身につけたいと考え、仕事と平行して様々な学校に通いながら勉強するようなりました。休日や仕事の後は、アロマやリフレクソロジーなど、美容や健康に関わる様々な技術を学ぶ時間に充てていったんです。将来は独立して自分のお店を持ちたいと考えるようにもなり、そのための修行期間だと思って頑張っていました。
そして30歳が目前に見えた頃、世間では高級エステサロンやスパが流行していました。すると、高級ホテルが新しくスパを作るスタッフを募集し始め、これは面白そうだと思い、そのスパに転職することにしたんです。そこで採用されたスタッフは、エステティシャンとして技術も経験も豊富な人ばかりでした。しかし、ホテルとしても命運をかけたプロジェクトだったので、オープン前の半年間は全員が研修のみを行い、お給料をもらいながら勉強させてもらうことができたんです。そして、なんと私はそのスパの責任者に抜擢してもらうことができたんですよね。
そこは年会費600万円もするような高級店だったので、会員の方は富裕層が多く、エステの技術だけでなく、お客様との接し方も学ばせてもらうことができました。
念願のエステサロンを麻布十番で開く
数年間スパで働いているうちに、またエステ業界の流行は少し変化していきました。それまでの高級路線から、岩盤浴やリフレクソロジーなど手軽なものが主流になっていったんです。すると、手軽ということで異業種からもこの業界に参入する企業が増えてきて、エステサロン運営全般を任せられるプロデューサーの需要が高まってきました。
そして、私にもオファーが来たので、スパを辞めてプロデュースの仕事を始めることにしました。新しくオープンする店舗で、エステ技術の向上や、オペレーション、人材育成や採用など、店舗運営に関わる全てのことに携わっていきました。この仕事は、業務委託として仕事を受けることになるので、独立して個人で仕事をする状態になりました。
また、独立したことで昔から夢見ていた自分のお店を持つことも現実味を帯びてきたので、プロデューサー業をする傍らでは、経営の勉強をするようになりました。そして、1年ほどでプロデューサー契約が満了したタイミングで、麻布十番にエステサロンを開業することにしたんです。
ありがたいことに、多くのお客様が来てくれてオープン後の滑り出しは順調でした。2ヶ月先まで予約が埋まり、20社以上のメディアに掲載してもらい、正直、「独立ってこんなに簡単なのものなんだ」と思ってしまうほどでした。ただ、毎日休まずに仕事をしていたので、念願の自分のお店を持つことができた嬉しさを感じる暇なんてなかったですね。
仕事がつらく悩む日々
しかし、その好調が続くわけもなく、リーマンショック以降は状況が変わっていきました。お客様は外資企業に勤める人が多かったので、景気が悪くなると客足は遠のいていきました。さらに、2011年に東日本大震災が起こった後は、しばらく閑古鳥状態が続きました。
極めつけに、手のアレルギー症状が悪化してしまったんです。痒くて寝ている間などにかきむしってしまい、朝起きると血だらけでガサガサな状態。そんな状態でお客様の身体を触るわけにもいかないので、ヤスリで手の表面の皮膚を削るんです。そんなことをすると、エステに使うアロマが手に染みてものすごく痛く、その痛みを抑えるためにステロイド剤を飲み続けました。
そんな生活は、大変つらいもので地獄のような生活でしたが、辞めるわけにはいかないと考えていました。私のサロンでは美容だけでなく、健康にも力を入れていたので、お客様によっては健康管理を全てお任せしてくれる人もいて、私がいなくなったらダメだと考えていたんです。また、自分が築き上げてきたものを手放したくない気持ちもあったし、エステがなくなったら、どう生活していいかも分からなかったんですよね。
とはいえ本当にこのまま続けられるの不安や迷いもあり、昔から悩んでいる時はインプットを増やす性格だったので、講師になるための研修やソーシャルメディアを使ったプロモーションなど、色々なことを並行し勉強するような生活が数年続きました。
依存ではなく、自立できる健康維持方法を
そしてある時、ハワイでビジネスをしている経営コンサルタントと出会いました。その人に、「人は誰でも悩むけど、悩んだ時に立ち帰れる指針を持っているんだよ」と言われ、その人はビジネスで悩むと、ハワイの「カフナ」と呼ばれる伝統的な神官に相談に行くと教えてもらいました。
その話を聞いて興味を持ち、カフナについて書かれた本を読むと私も会ってみたいと思うようになり、カフナに会いにいくツアーに参加してハワイに行くことにしました。そして、カフナは霊視をしてくれた後、ある言葉をくれました。
「自分を愛せないと、人のことも愛せませんよ」と。
まさに今の自分の状態を言い当てられたと衝撃を受けました。身体も心も自分で傷つけてしまっている私に、必要な言葉だったんです。それから暫くの間呆然としていると、「エステサロンは辞めよう」と、自然と思えるようになれたんです。
そして、帰国してお客様に連絡すると、「辞めないで」と泣いて懇願してくれる人もいました。その姿を見た時、自分のしていたことが間違っていたと気づいたんです。一生この仕事を続けられる保障がないのに、私がいなければならないような「依存」の状況を作ってしまうのは、お客様にとってベストな状態ではなく、お客様自身が自分と向き合い、自立するためのサポートをしなければならなかったんです。そこで、健康を自分で管理する方法を教えたり、セルフエステを開発することを考えました。
また、次の仕事として今まで自分がしてきた健康や美容のケア方法を多くの人に伝えていくことはできると、ダイエットセミナーを始めました。それが好評で、美容ケアの講座もして欲しいと言われるようになり、友人向けにセルフエステも教えるようになりました。すると、「私が企画するから一般向けにセミナーをやって欲しい!」と言ってくれるほど気に入ってもらうことができ、セミナー活動を通じてより多くの人にセルフエステを広める活動をすることにしたんです。
身体と通じて、自分自身の心と向き合うきっかけを
今は、「東京セルフエステ協会」を作り、セルフエステの中でも表情筋のマサージを教える講座を通じて活動を広げています。これは美容にはもちろん効果がありますが、それだけではないんです。日本人は、顔の筋肉の20%ほどしか使わないと言われていて、その表情によって自分の気持ちとは違った意図が話相手に伝わってしまうことも多くあります。その表情筋をほぐして使い方を知ることで、コミュニケーションを円滑化することを目的としています。これはリハビリにも効果があり、医療現場の人にも好評で、講座を受けて病院で実践してくれる方もいます。
また、この思想に共感してくれた仲間をインストラクターとして教育する講座にも力を入れています。ある人は、「笑うこと」にコンプレックスを持っていた時にセミナーを受け、終わった途端に声をかけてくれ「講師になるのに年齢制限はありますか?」と言ってくれて。そういう人が、技術を磨いて変わっていく姿だけでなく、インストラクターとして「教えること」にやりがいや自分らしさを見つけていくのを見れるのが嬉しいですね。
このセルフエステは、身体と心どちらにもつながっていて、私が本当にやりたかったことなんだとつくづく感じています。実際に顔を触るという身体的行為は、この上なく「自分」を感じられるもので、自分自身との心と向き合うきっかけになるんです。
つらい気持ちで仕事をしていた昔の自分や、私が依存させてしまっていたお客様のように、世の中には自分と向き合えず、何かを犠牲にして生きている人が多くいます。そんな人たちが、セルフエステによって自分の身体を触ることで心とも向き合い、自分自身を愛するためのきっかけを作っていければと思います。
今後は表情筋のマッサージだけでなく、様々なセルフエステを開発していきたいと考えています。私が直接教えるだけでなく、思いに共感してくれるインストラクターの仲間を増やしていくことで、より多くの人にきっかけを提供できればと思います。
2015.02.14