商売を通じてハッピーを生み出したい。とことん自分の道を進む、かっこいい人生とは。

ゴルフコンペ幹事代行サービスや交通事故関連メディア運営など、多岐にわたるサービスを展開する株式会社ハッピースを経営する芦川さん。「社員がハッピーであることは最低条件」と語る背景には、学生起業での失敗がありました。そんな芦川さんにお話を伺いました。

芦川 泰彰

あしかわ やすあき|ゴルフコンペ幹事代行サービス等の運営
株式会社ハッピーズの代表取締役を務める。

株式会社ハッピーズ
ゴルフゴー
 

学校帰りは毎日塾へ


私は小さな頃から好奇心旺盛で、勉強なんて全くしない、やんちゃな子どもでした。

しかし、小学校3年生頃からは、学校が終わると毎日塾に行くという生活になりました。
と言っても勉強をするというよりも、塾長の話を聞きに行っていたんです。

その塾長は、かつて私の母の家庭教師だった人であり、学習塾で成功している経営者でもあり、とにかく面白い人だったんです。
いつも経営とは何か、仕事とは何かを語ってくれ、
また、自分がやりたいと思ったことをとことん突き詰める姿がかっこ良く、自分もこんな生き方をしたいと憧れを持つようになりました。

そして、小学校6年生になると、親の意向もあり中学受験をすることにしました。
自分の意志ですごく行きたい学校があったというわけではないのですが、
この時はさすがに勉強しないとまずいと思って必死に勉強し、慶應義塾中等部に合格することができました。

4つの分類


慶應の中学では、小学校の頃から慶應だった同級生は誰もが知っているような大企業創始者の孫だったり、
有名企業の重役の息子だったり、すごい人ばかりの環境でした。
住んでいるところもみんな港区でしたし。(笑)

しかし、ある時どんな背景を持っている人がいるのか整理して考えてみたのですが、
大きくは、家系が大企業の創始者などの資産家、親が大企業のエリートサラリーマン、
親が弁護士や医者などの士業、親が叩き上げの中小企業経営者の4つに分類されることが見えてきました。

この時に、同級生の様子を見たり、その親の話を聞いたりしていて、
自分の力で成り上がった中小企業経営者の家族が一番輝いて見えたんです。
そして自分も目指すならこの世界だと思うようになり、経営者の自伝などを読み漁り、
自分にとっての経営哲学とは何かを考えるようになっていきました。

その中でも、ヴァージン・アトランティック航空創始者でもあるリチャード・ブランソンの考え方には惹かれました。
事業の領域を絞らずに、必要なタイミングで様々な事業を立ち上げていくスタイルが良いなと思ったんです。

また、中学ではバスケ部に入っていて、そこでは人として基本となることを学ばせてもらいましたね。
それまで礼儀なんて全くなかったのですが、挨拶をすることや、感謝をすること、人の話を聞くことなど、
先生や先輩に怒られながらでしたが、少しずつ分かるようになっていきました。

学生時代に起業


高校はそのまま持ち上がりで慶應の高等部に進学しました。
バスケは中学でやりきった感があったので、高校ではもっと自分の見識を広げようと思い、
夏や春の長期休みの度に2ヶ月ほど海外に行くような生活でした。
人と同じことをやっていても勝てないと思っていたので、自分に力をつけたかったんです。

知り合いのところにホームステイに行ったり、バックパックで回ったりする中で、
日本にいる時よりも危機管理意識が身についたし、自分を主張するという力がつきました。
海外では学校に行ったわけではないのですが、買い物をしてお釣りをもらう時、レストランでオーダーする時など、
普段の生活の中でも自分で主張しないと舐められたりごまかされたりすることが多かったんですよね。

そんな高校生活を送り、大学は内部進学で経済学部に進んだのですが、始めの頃は何も考えずに過ごしていました。
本当に普通の大学生で、授業にもそれなりに出て、それなりに遊ぶような生活でした。
ただ、中学から慶應だったこともあり、慶應以外の人との関わりを持ちたいとは思うようになっていき、
友だちを通じて別の大学の人たちと知り合うようになっていきました。

そうやって出会った中で、東大生、東工大生の今までに会ったことのないようなタイプの人たちと意気投合して、
2年生の頃、ITサービスの会社立ち上げに参画することにしたんです。
それまで私はパソコンも得意ではなかったのですが、シリコンバレーでITサービスが熱いと言われていたし、
やればなんとかなるだろうととにかく挑戦することにしたんです。

光と影


その会社ではスマートフォンアプリの受託開発を行ったり、ソーシャルゲームの開発を行ったりしていたのですが、
ちょうどタイミングが良かったこともあり、どんどん業績が伸びていきました。
寝る間もないくらい大変でしたが、すぐに1億円以上の資金調達ができたし、営業にいけば何百万円の受注が決まっていき、
年上の中途社員もどんどん増えていて、夜会社に戻ると知らない人がいるなんてこともしょっちゅうありました。
急成長ベンチャー企業とはまさにこういう感じなんだと思い、毎日とても楽しかったですね。

しかし、売れるからうまく行っていると勘違いし、有頂天になっていただけでした。
その後は地に足がついていなかったため、どんどんほころびが出てくるようになったんです。

40人以上メンバーがいたのですが、とにかくただ採用するということをしていたので、
誰に何の役割を担ってもらうか、どんな責任を持ってもらうのか考えられていなく、
採用した人たちから不平不満も頻発するようになっていきました。
また、チーム感もなく、ひたすら個人で売上を作るだけで、会社全体がどんどん疲弊していきました。

そして、遂に人がどんどん辞めるようになってしまい、これはまずいと思い始めたのですが、
社長とは経営に対する考え方が合わないようになっていき、私も大学4年の卒業間近に会社を抜けることにしました。

自分で成長するベンチャー企業を経営する経験をすることで、
人を雇うとはどういうことなのか、身を以って学ぶことができましたね。

商売の道を突き進む


その後、大学卒業した4月に友人と立ち上げたのが、今のハッピーズという会社です。
「ハッピー」と口に出して言っていたら幸せになれる気がしたんです。

最初は共同経営者がゴルフ部だったこともあり、ゴルフコンペ幹事のためのゴルフゴーという事業から始めました。
ゴルフ場や送迎バスの手配、景品選びなど、面倒なことを代行するサービスで、
ゴルフコンペが多いシーズンには多くの注文をいただけるようになりました。

その後も事業領域にはこだわらず、色々な施策を試して成功したら事業化するという手法をとっており、
今では、鍼灸院の運営や交通事故関連メディアの運営をしたりと、多岐にわたる事業を展開しています。

今後は、今までのように確実に利益が出る事業をいつくも展開していき、
なるべく社員数を増やさずにコンパクトな体質で上場できればと考えています。
無駄に人を増やすのではなく、必要最小限の人で稼げる仕組みを創っていくことが健全なことだと思うんです。
また、社員の人がハッピーに働けることは会社として必要なことだと思うので、
この規模ですが給与や家賃手当など、働く環境を整えることには注力しています。

私個人としては、とにかく商売を創っていくのが楽しいんです。
領域にかかわらず、自分で「こんなことしたら事業になるんじゃないか」と考えて、ゼロから事業を作って、
実際にお客さんに届いて使ってもらう瞬間がたまらないですね。
また、その瞬間が一番自分の成長を感じられる時でもあります。

「商売をやり続ける」ことが私にとって何よりも楽しく好きなことなので、
これからもこの道をとことん突き進んでいき、小学校の頃の塾長のようにかっこよく生きていきたいです。

2015.02.04

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