南極の氷が溶けるほど熱い世界を!金融とITで目指す1人1人が夢を持てる未来。

金融×ITという領域で様々なサービスを展開し、金融業界の抱える課題の解決を目指す会社を運営する冨田さん。幼い頃から目指していたプロサッカー選手をという夢を失い絶望した過去から起業に至る背景には、たまたま参加した就職説明会で感じた大きな衝撃がありました。

冨田 和成

とみた かずまさ|金融業界の課題解決を目指すIT起業家
金融×ITという領域で様々なサービスを展開する、株式会社ZUUの代表取締役を務める。

株式会社ZUU HP

夢の終わり


神奈川県の川崎市に生まれ育ち、サッカー選手になることを夢見ていました。

元々、小学生の時から、仲間と一緒に取り組めるスポーツがしたくて、
最初はなんとなく周りがやっていたので、野球を始めようと思っていました。

しかし、母がたまたまサッカークラブを見つけ、
とりあえず練習に行ってみるとものすごく面白くて、
その場でチームに入ることにしたんです。

その後、小学校高学年の頃から川崎市の選抜に選ばれるようになったことで、
自然とプロを意識するようになり、週2回のクラブの練習が無い日も、
毎日のように練習していました。

ただ、次第に周りの友達は中学受験の勉強等で忙しくなっていき、
高学年になると、公園で1人ボールを蹴ることもよくありましたね。
私の親は起業家で、バブル崩壊のあおりから事業が立ち行かなくなり、家計が厳しかったため、
そもそも私立の学校など考えられなかったんです。

そんな理由から、公立の学校に進学して、
中学ではクラブチーム、高校では学校のサッカー部に所属し、
本気でプロを目指し、必死に練習を重ねました。

ポジションはゴールキーパーだったので、一番後ろからピッチ全体を眺めて指示を出す中で、
全体を構造的に見たり、チームを鼓舞することを特に意識していましたね。

そして、実際に高校3年生の際にはプロテストにも挑戦したのですが、
結果は不合格でした。
しかし、プロになること自体は全く諦めず、
高校を卒業後は一年間の浪人生活を経て一橋大学に入学し、
体育会のサッカー部に所属しました。

ところが、2年生の中盤に練習のし過ぎでヘルニアを患ってしまったんです。

元々努力の量に自信があったので、大学でも徹底的に練習しました。
でも年齢を重ねていくうちに、すぐにオーバートレーニング状態になってしまい、
怪我に繋がるようになってしまったんです。

そこで、努力だけではプロの夢が叶わない現実を知り、
サッカー選手になることを諦めざるを得なくなってしまいました。

就職説明会で知ったビジネスの可能性


怪我をした後も、サッカーは好きでしたし、チームに対しての責任もあるので、
トレーニングやチームメートのサポートはしていました。

しかし、サッカー選手という夢自体が人生の目標で、早起きをしたりトレーニングをしたりと、
その為に日々を過ごしていたので、正直絶望しかありませんでした。
しばらくの間は、何をしても楽しくなく、ずっと上の空でしたね。

ところが、3年生の途中から少しずつ「教師になろうかな?」と考え始めたんです。

一度目指すものを失ったことで、これまでの自分が、
夢や目標のために突き進んでいたから、毎日が充実していたことに気づいたんですよね。

だからこそ、かつての自分の様に人を熱くしたり、人を変えていったりすることに興味を持ったんです。
元々大学で教職課程を取っていたことも重なり、教育という場で人に影響を与えたいと思い、
本格的に教師を目指すことにしました。

そんな中、たまたま仲間との飲み会の待ち合わせまでの時間に、
友達に誘われて、暇つぶし感覚で学内の就職説明会に行ってみる機会がありました。

そこでは友達に付き添う形で、とある通信事業会社と教育系の企業の説明を聞いたのですが、
様々な話を聞く中で、

「自分のやりたいことはビジネスでもできるし、その方が規模も与えられる影響も大きいかもしれない」

と気づいたんです。
思いがけぬ発見に大きな衝撃を受けました。
結局、その後の飲み会では毎回行くはずの二次会に行かず、
すぐに家に帰ってしまうほどのインパクトだったんです。(笑)

以来、ビジネスに強く興味を抱くようになり、
結局教員になることを辞めて、就職活動をすることにしました。

その後、最初は一般的に有名な企業から選考を受けていったのですが、
少しずつ「これでいいのか?」と思い始めて、
次第に「圧倒的な力がつくかどうか」という軸で会社を選ぶようになりました。

また、大学のカリキュラムでITにも興味を持っていたので、
4年生になってすぐに、SNSを活用したソーシャルマーケティングの事業で起業をしたり、
熱い思いを持った人を増やす場を作るために、学生団体を立ち上げたりもしましたね。

金融の現場で感じた課題感と葛藤


実際に起業をしてみると、毎日がもの凄く面白くてとても充実していました。

そして、自分で実際に現場に携わってみて「ビジネスは結局営業が大切だ」と気づきがありました。
また、仕事を通じて多くの経営者のお会いする中で、
多くの方が財務や法務に弱さを感じていることを知ったんです。

そこで「自分自身を本当に鍛えられる場所ってどこだろう?」と考え、
最終的に営業力と財務・法務の知識のどちらも身に着けられる、野村証券に入社を決めました。
将来は自ら独立して事業をしようという気持ちがあったので、
起業を前提に経験を積もうという意気込みでした。

そして、入社後は荻窪支店に配属され、リテール営業を行いました。
圧倒的な力をつけたかったので、初めから自分が得意な、圧倒的な量で勝負しました。
しかし、最初は思うように結果が出なかったんです。

それが理由で、自暴自棄になりかけたこともあったのですが、
会社の中でよい結果を出すことではなく、世界一の会社を作ることを目指し、全力で取り組み続けた結果、
1年目に圧倒的な新規開拓数で、新人の年間トップセールスを記録することができたんです。

結果が出て、周囲から評価されたことは当然嬉しかったですね。
しかし同時に、営業を行う中で、常にある課題を感じるようになりました。

会社はお客様からいただく手数料で利益を得ているため、
営業マンは、沢山のお客様から少しでも多くの手数料をもらうことで会社から評価されていました。

しかし、それは結果的にお客様から搾取することに繋がり得るし、
金融に関するリテラシーが低い方が多いため、お客さん自身もそのことに気づけないんですよね。

特に、リーマンショックが起きた後は、世界的に経済が下火になってしまったことで、
高い手数料をいただいていながら、自分が売った商品でお客さんに損をさせる形になってしまい、
業界の構造に対して強い葛藤を感じながら営業をしていたんです。

シンガポールで掴んだ手ごたえ


そんな業界に対する課題感は消えることはありませんでしたが、その後も順調に成績を評価してもらえて、
3年目の12月には最年少で、超富裕層向けのサービスを行う本社のプライベートバンク部門に異動しました。

また、働く中で次第に広い世界を見たい気持ちが強くなり、
3年目を迎えた頃から海外駐在やビジネススクールへの留学を希望するようになりました。

ところが、営業では圧倒的な成績を出していたものの、
英語力が圧倒的に足りないために、3年目には海外留学生に選んでもらえなかったんです。

それがあまりに悔しかったので、次は絶対選ばれてやろうと思い、
それ以来、仕事以外のほぼすべての時間を使って、徹底的に英語の勉強をしました。

その結果、4年目に突入した後、シンガポールへの留学生に選んでいただき、
現地のビジネススクールに通いながら、会社のプライベートバンカーとして、
華僑の方々の資産運用を担当させていただくことになったんです。

そんな折、2011年の6月に留学先の大学でビジネスプランを発表するピッチイベントに参加する機会があり、
元々日本のリテール営業時代に感じた、日本の金融業界が抱える課題を解決するサービスを考えることにしました。

そこで、改めて金融業界について徹底的に調査をすると、
日本だけでなく世界中で金融業界の構造に問題があることを知りました。

また、問題を追及していくと、根底には「個人の金融リテラシーの低さ」と、
売り手と買い手の間に金融に関する「情報の非対称性」があることに気づいたんです。

そこで、現場経験を積んだ金融と、学生時代に起業してノウハウを持っていたITを掛け合わせ、
ビジネスプランを作って発表してみると、60人の中からファイナリストの5人に選ばれることができたんですよね。

そのイベントを通じて手ごたえを感じたこともあり、
その後、日本に戻ることになってからも、
帰国後は少しずつ起業の準備も進めていこうと考え始めました。

ところが、帰国して3日後に、突然部長に呼ばれ、
タイに駐在して野村證券の営業部門全体の東南アジア戦略を担当することを命じられたんです。

正直、直近で起業するつもりだったので迷いはありましたが、
ビジネスモデルはまだイメージが漠然としていました。
そして何より、海外で戦略の担当をするなんて今しかできない経験だと思ったんです。

そこで、タイへの転勤の話を受けて、約10か月ほど現地で組織や事業の戦略の立案に従事することになりました。
初めての経験を通じて、改めて、組織や事業には正解がないということを実感しましたね。

その後、2012年の7月に東京本社に戻ったタイミングで、少しずつ起業に向けた準備を開始しました。

そして、シンガポールのピッチの際のモデルを基に、2012年の9月に、
富裕層の方向けにリテール金融領域の情報を発信するメディア「ZUU online」を立ち上げたんです。

南極が溶けるほど熱い世界を創りたい


その後、半年の準備期間を経て、2013年の3月に会社を退職し、
翌月の4月に株式会社ZUUを設立しました。

現在は、配信先合わせて月間1,000万PV以上を誇る「ZUU online」に加え、
個人向けに計10個の金融や経済の情報を配信するメディアを運営しつつ、
「ZUU Advisors Support」という金融資産アドバイザー向けの営業情報支援のためのサイトや、
「ZUU Advisors」という富裕層と資産アドバイザーのマッチングプラットフォームを運営しています。

そしていずれは、学生の頃から思い描いていたような、
全ての人が夢や目標を持ってそれに向かって100%で走る、
“南極の氷が溶け落ちるほど熱い世界”を創りたいと考えています。

法人が経営をするためには「ヒト・モノ・カネ」が必要だと言われていますが、
それは個人でも同じです。

ですが、個人は「金融リテラシーの低さ」、売り手との「情報の非対称性」という壁があるため、
お金の弊害によって夢を諦めてしまうケースが沢山あると思うんです。

だからこそ、その問題を解決することが、私自身が目指す世界に近づくことでもあるんですよね。

将来的には、金融取引を全てIT化し、金融業界の抱える根本的な非効率を解決するために、
本当の意味で金融のEコマースが成立するような仕組みを達成したいとも思っています。
その定量的な目標として、私が55歳になる2038年には株式会社ZUUを時価総額100兆円の企業にします。

また、以前教師を目指していたように教育分野にも関わりたいので、
いずれは「ビル&メリンダ・ゲイツ財団」の様なチャリティーという形でも、
人の夢や目標に直結した取り組みに挑戦したいですね。

2015.01.28

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