地域の魅力を、地元の人の手で世界へ! 自分の中で繋がった、ミッションにかける想い。
地域の魅力を地元の方が中心となって世界に広げる「地域共創メディア」の運営を行う倉重さん。システムエンジニア、コンサルタントとしてキャリアを積みながら、現在の新規事業立ち上げにて、「やっていきたいテーマがようやく見つかった」と話します。どんなキッカケや思いを持ってこのテーマに取り組むのか、お話を伺いました。
倉重 宜弘
くらしげ よしひろ|地域共創メディア運営
ネットイヤーグループにて、地域の魅力を地元の方が外国人観光客に伝える「地域共創メディア」等の運営を行う、
地域共創事業部の事業部長を務める。
ネットイヤーグループ
地域共創事業開発
知らない世界に足を運ぶ魅力
私は、愛知県の名古屋市に生まれ、幼少期から犬山市で育ちました。高校生になっても、将来のことは全く考えていないものの、 「外に出たい」という気持ちは割と強くありましたね。都会への漠然とした憧れというんでしょうか。(笑)
また、昔から中国の歴史に関心があったこともあり、話題になった「シルクロード」というNHKの旅番組に刺激を受け、大学生になったら、中国を旅してみたいと考えるようになりました。
その後、1年浪人して早稲田大学の第一文学部に進学し、上京しました。入学後は第二外国語で中国語を選択し、21歳の時には実際に約2ヶ月ほどバックパッカーで、まさにシルクロードを中心に中国を巡りました。
実はそれが私にとっては初めての海外旅行だったこともあり、本当に大きな体験でした。私が訪れた中国は、まだ、改革開放路線が始まったばかりで、人民服を着た人もまだちらほらいるくらい、北京の町中が開発ラッシュで活気がありました。また、北京から新疆ウイグル自治区のウルムチという街を結ぶ、確か3泊4日5,000kmくらいの列車の旅では、まだ外国人客もめずらしい様子。
「お前は何民族だ?」
と聞かれ、うまく答えられなかったことは、強く印象に残りました。
そんな風に、まるでタイムスリップしたような心地で、とにかく、知らない世界に足を運ぶ魅力に取り付かれてしまい、その後、オーストラリアやニュージーランドなどにも一人旅をしました。
4年生になって就職活動を迎え、世の中の動きと自分のやりたいことの接点を探してみると、 私は、「マーケティング」に関心があるような気がしたんですね。
それも本当に漠然となんですが。(笑)世の中の動向を上手く掴んでビジネスにつなげることに魅力を感じたといいますか。
そこで、ちょうど設立ラッシュだった「総合研究所」 を片っ端からあたり、ご縁があった 富士総合研究所(現:みずほ情報総研)に入社することになりました。
ベンチャーの波、自分も0⇒1に関わりたい
ところが、実際に入社をしてみると、予想に反して、システムエンジニアとして働くことになりました。SE不足の時代だったこともあり、そういう可能性は高かったんです。元々、典型的な文系で理系的な思考が苦手だったため、配属当初は不安に感じていました。それでも、会社や上司や先輩に丁寧に教育していただいたこともあり、段々と業務にも慣れ、次第に、自分でもコンピューターの世界の面白さを感じていきました。
そして、30歳になる頃、憧れの経営コンサルティング部門への異動公募があったため、 早速応募したところ、運良く異動が叶ったんです。同期でその部署に既に配属になっていた友人に話は聞いていたものの、 文化も業務も全く違い、社内転職のような感じでしたね。
新しい環境では、いわゆる経営戦略や財務会計、経済の基本など一から勉強する環境に恵まれ、 そこでようやく日経新聞が読んで分かるようになりました。(笑)
しかし、実際に働いてみてしばらくすると、
「自分は本質的には”コンサルタント”に向いていないかもしれない」
と感じてしまったんです。やっぱり、最後は自分がプレイヤーとしてやりたいという気持ちが強かったんですよね。
また、ちょうどITベンチャー起業の波が来ており、 仕事で付き合う人が皆IT業界に飛び込んでいて、 彼らが熱意を持って事業を生み出していく姿が、なんだかまぶしく見えたんです。
次第に自分も参加したいと考えるようになり、またしても漠然とですが、世の中に生み出されようとしている新しい事業に携わりたいと考えるようになりました。
そこで、33歳のタイミングで、ネットイヤーグループ株式会社に転職を決めました。実際に働き始めると、まだ、2〜30名くらいの規模の会社で、企業がWebサイトを持つのもこれからという時代だったので、ネットでマーケティングをするという意識を持ってもらう自体も大変でした。 とにかくがむしゃらにやりましたね。徹夜も当たり前で、「こんなに働けるものなのか!?」という驚きがあったくらいです(笑)。
業界の先駆者の一角という意味では、確固たるお手本もなかったので、 まさに新規事業立ち上げ、0⇒1の世界だったんです。 とにかく、一心不乱な日々でした。
”いつか訪れるその時”から逆算させられた転機
そんな風に必死にやっていって、2008年、41歳のタイミングで、会社が上場を迎えました。 自分の中で、少しだけですが、一つ節目を迎えたような感覚はありましたね。 ちょうど、個人的にも悩みが多く、悶々とした時期が続いていたこともあり、 それまでと同じではなく、何か新しいことに挑戦したいという気持ちを抱くようになりました。
40歳の時に子供ができたことも自分の中では大きい出来事でした。そして2011年には、初めて同僚を亡くす経験をし、スティーブ・ジョブスが亡くなり、 そしてあの東日本大震災が起こりました。 私にとって本当にインパクトの大きな出来事が続いたんですよね。
震災後は、それまでの人生でやったことのないボランティアの経験もしましたし、何より、
「ああ、やっぱり人っていつかは死ぬんだな」
と改めて痛感し、自分自身の人生も、いつか訪れるその時から逆算して考えるようになりました。
また、そんなタイミングで、「Startup Weekend」という、3日間で新しいサービスを生み出すスタートアップ体験コミュニティにも参加するようになり、新しいものを本気で生み出す人に出会って、強い刺激を受けました。
そういったいくつもの経験がターニングポイントになり、 改めて、自分で何か主体者として事業を生み出したいと考えるようになったんです。そこで私は新規事業開発専任のポジションを求め、その機会をいただけたんです。
地域を盛り上げるメディア事業で得た手応え
そんな頃、ある飲料メーカーと共同で新規事業を企画するという話をいただき、 こちらからいくつか提案する機会を得ました。 そこで、思い至ったのは、 日本の地域が、震災の影響で輪をかけて疲弊してしまっていることへの問題意識でした。
そこで、これまで培ってきたデジタルマーケティングの知識と経験を活かして、新しい方法で地域を盛り上げたいという気持ちが湧いてきて、 北海道で、地域在住のライターを組織し、SNSなどを活用して地域の魅力を世界に発信するメディア事業を提案したんです。
実際にそのメディアは多くの人に利用していただくことができ、 地元の人がコンテンツを作成していく仕組みについても、ユニークで面白いという評価をいただくことができました。
そんな風に自ら主体者として事業に携わってみて、 やはり、自分が発想したアイデアやブランドが、多くの人たちに影響して行く様子を見るのは、すごく嬉しかったですね。 収益化という意味ではなかなか難しかったですが、新しい価値を生み出すことは、どんなものにも代え難い面白みがありました。
大げさに言えば、何か具体的に世の役に立つことで満たされるような感覚がありましたね。
ついに見つかった自分のミッション
そして、2014年からは新規事業開発の一つから、 ネットイヤーグループの地域共創事業部という本体の事業となり、沖縄や瀬戸内など、対象となる地域の幅も広がっています。
全体的には日本の人口現象は避けられない、それにともなって地方はますます疲弊することを考えても、 地域の地場産業を活性させるためには、インバウンドの観光客を増やすことが最も大切だと考えています。
特に、日本はこれまで観光に大きな力を注いできておらず、中でも地方は他と比較できないくらいの切り札だと思うんです。 だからこそ、地域が独自のメディアを持ち、地元の人たちと共同で一緒につくることで、 「地域共創メディア」という、新しい形を築いていければと思っています。
また「フォトライター」と呼んでますが、写真も撮って記事も書く職業を 地域に根付かせることも一つの目標としています。 これからはそういった「地域活性化に関わる職業」が若い人たちの職業の選択肢に入ってくるといいなと思うんですよね。
そんな職業が育つ仕組みを設けることで、地域の良いものがちゃんと世界に伝わり、収益性も担保でき、継続した事業になるようにしようと挑戦していす。
また、地域という軸はぶれずに、メディア以外の事業もやっていければと思っています。 淡路島で少しだけ地域名産品の開発に関わらせていただいたのも、すごくいい経験になりました。お話したように私は元々旅が好きで、震災がきっかけになって地域への関心も強まりましたし、 なんだか、 これからやっていきたいテーマというかミッションがようやく見つかった という感覚なんですよね。
私自身は大したスキルは持っていませんが、ここぞという時に“よくぞこの人に”という人に出会える「出会い運」だけは自慢なんです。(笑)
この運を武器に、ようやく見つけた自分なりのミッションを、この「地域×観光×デジタル」という分野で、地域の志のある皆さんと一緒になって、事業としての成功を実現させたいと強く思っています。
2015.01.23