音楽家の夢を実現する仕組みをつくる。楽しんで仕事をする、起業家という生き方。

音楽家の夢を叶えることを軸に、曲をつくりたい人と曲をつくれる人のマッチング事業などを行う市橋さん。「仕事はお金を稼ぐもの」と割りきって働いていた時に出会った、起業家との出会いで大きな衝撃を受けたとか。そんな市橋さんの半生を伺いました。
市橋 秀幸
音楽事業を行うユナイテッドドリーム株式会社の代表取締役を務める。
音楽制作のみならず、「『音楽』を通じて世界中の “夢” をつなぐ懸け橋となる」ことを理念とし様々な音楽事業を展開。
努力は裏切らない
私は大阪で長男として生まれました。
あまり社交的ではなく、家で絵を描いたり、プラモデルを組み立てたり、本を読んだりするのが好きでした。
幼稚園の時にはいじめられることもあり、「誰にも負けたくない」と少林寺拳法を始めるようになりました。
ただ、暴力を振るったらそれこそ負けなので、力はあるけど使わない、そんな状態でした。
また、絵を描くことが好きで、表彰もされることも多く、将来は絵かきになりたいと思っていました。
しかし、小学校6年生の時に絵の専門学校に行きたいと親に話すと、
「そんな安定しない仕事では食べていけないからやめなさい」と言われ、諦めてしまいました。
その後、中学でも部活をしていたわけでもなく、
人と関わるよりも、1人でコツコツと趣味に没頭している方が好きだったんです。
そして、高校は私立の進学クラスに進んだので、部活にも入らず規則に縛られる生活でした。
大学に行くためのクラスだったし、親も大学に行けと言うので、大学進学を目指していました。
しかし、成績は良くないし、3年生の夏になっても特に行きたい大学はなかったので、
家に近くて学費が安い大学を目指すことにしました。
ところが、模試ではE判定。周りの友だちも親も先生も、みんな無理だと言うんです。
それが悔しくて、それならやってやると猛勉強して、志望校に合格することできました。
この時、周りには無理だと言われても、自分を信じて諦めずに頑張れば、結果は出るんだと実感したんです。
働きながらプロミュージシャンを
大学に入ってからは新しい趣味を見つけようと色々見ていたところ、ギターに出会いました。
ステージで演奏している先輩がかっこよかったし、ギターを弾ければモテると思ったんです。
しかし、入ったサークルはヘビーメタル音楽を専門とするサークルで、ギターがうまい人ばかりでした。
そこに初心者で入った私は、ヘタだったので馬鹿にされるんです。
それが悔しくて、うまくなってやろうと、毎日朝から晩までギターを弾くような生活でした。
最低限単位を取るためだけに授業に出て、その他はギター。
キャンパスライフなんてなかったですね。(笑)
でも、その分ギターは上達するし、何よりライブでステージに立つと、初めて人前で何かをするのが楽しいと思えたんです。
自分の演奏で喜んでくれる人もいて、人の心を動かすって嬉しいなと。
そして将来はミュージシャンとして活動していきたいと考えるようになりました。
しかし、親に言うともちろん反対されてしまい、「そうですよね」と思い、就職をすることにしました。
ただ、働きながら音楽活動を続けて、いつかプロミュージシャンになってやろうと考えていました。
そして、元々好きだった腕時計にかかわる仕事をしたいという気持ちや、
自分を売っていくための営業力をつけたいと思い、時計メーカーに就職しました。
仕事はお金を稼ぐためのもの?
配属先が東京だったので、就職と同時に上京しました。
定時に上がれる職場だったので、
自分でバンドを組み、ライブハウスに行っては色々な人に声をかけ、音楽活動に力を入れていました。
そんな生活だったので、成長はできるものの、仕事自体にはあまりやりがいは感じていませんでしたね。
また、音楽活動をずっと続けるのは難しいと思い始めていました。
ライブをやり続けても、その先に何があるのか見えなくなってしまったんです。
徐々に周りの音楽仲間もバンドを解散したり、音楽の夢を諦めて就職したりと音楽を続けることの難しさを実感しました。
そしていつしか、音楽業界の構造そのものを変えないと、音楽で食べていくのは難しいと思うようになっていったんです。
そんなことを考えていたので、ある時ふと起業家の集まりに行ってみることにしました。
すると、そこで出会った起業家の生き方は、すごく衝撃的でした。
魅力にあふれていたんです。
そもそもお金を持って華やかだったこともあります。
しかし、何よりも、みんな仕事を楽しんでいたし、人に喜ばれてお金を稼いでいたんです。
私は仕事はあくまで「お金を稼ぐもの」であって、楽しいなんて思っていないと話すと、
それじゃあ長続きしないんじゃないかと言われて。
「一度きりの人生なんだから、自分で選んで好きなことをやってみたら?」
「別に失うものなんてないでしょ?」と。
自分は結婚しているわけでもなく、背負っているものもないので起業することのリスクは大きくないし、
やるなら今しかないと考え、将来起業をすることを決意したんです。
自分を追い込む環境をつくる
その後は情報収集したり、どんな事業で起業するかを考えながら生活をしていました。
しかし、結局不安もあり、「いつか」と決めていても、いつまで経っても会社に辞める意向を伝えられませんでした。
そこで、このままじゃだめだと思い、まず5月の誕生日には起業すると日程を区切り、
2014年の1月に、環境を変えるために家を引っ越すことにしました。
それまで会社の寮に入っていたので、家賃は何倍にも跳ね上がりました。
しかし、そうやって逃げられない環境を先に作ってから、会社にも辞める意向を伝えました。
ただ100人中99人に「絶対に失敗する」「あいつは気が狂った」と言われましたが。(笑)
それでも自分の起業に対する想いを伝え続けました。
そして5月の誕生日に3年ほど働いた会社を辞め、7月7日の七夕に会社を立ち上げることにしたんです。
会社を辞めたこと、会社を立ち上げることを親に報告すると、
初めて自分でしっかり意思を伝えられたこともあってか、応援してもらうことができました。
とにかく自分を追い込む必要があると思っていたので、事務所は六本木におきました。
すると、お金がどんどん減っていくことに、非常に焦りを感じていき、
このままではまずいと、ひたすら利益率が高い仕事ばかりを選んでするようになっていったんです。
ただ、すぐにそうやってお金のため、自分のために仕事をしていることに、違和感を感じてしまいました。
それを先輩に相談したところ、目先の利益ではなく、まずはお客さんを最高に満足させることを考えたほうが良いと、アドバイスをもらったんです。
つまり「For Me」でなく「For You」の姿勢で。
それからは、利益は後からついてくると割りきって、お客さんの利益のためになることを再優先するよう意識し始めました。
音楽家の夢を叶える
私の会社で目指していることは、音楽家の夢を実現させることです。
そこで、今力を入れてやっているのは、曲をつくりたい人と、曲をつくれる人をつなぐ制作事業です。
企業の歌や、個人でも誰かに歌を送りたいと思った時、誰に頼めばよいか分からないと思うので、
そういう時の窓口になり、ミュージシャンを紹介して曲作りを行います。
最近では、「応援歌プロジェクト」というものも、他の企業と提携して始めました。
誰かへの想いを、歌にして届けるというものです。
また、音楽家のためのイベントも開催しています。
これは、プロミュージシャンとアマチュアミュージシャンが交流できる場を作ったりしているんです。
ビジネスの世界であれば起業家と繋がる機会はあるのに、
音楽の世界では本物のプロミュージシャンと交流する機会はほとんどないんです。
本物に触れること、そのリアルな世界を知ることはためになるので、そういう交流を生み出していきたいんです。
それ以外にも多くのプロジェクトがあります。
音楽の力は無限です。
そうやって音楽家の価値になることをして、「ありがとう」と感謝された瞬間は本当に嬉しいですね。
バンドをやっている時に、ステージでお客さんが喜んでくる瞬間に似ているかもしれません。
そうやって価値を生み出していくことが、利益につながっていくので、
これからも一つひとつの出逢いを大切に、価値を生み出していきたいと思います。
起業する時は多くの人に「無理だ」と言われたので、これからも諦めずに事業を拡大して、
無理じゃないということを証明していきます。
2015.01.19
市橋 秀幸
音楽事業を行うユナイテッドドリーム株式会社の代表取締役を務める。
音楽制作のみならず、「『音楽』を通じて世界中の “夢” をつなぐ懸け橋となる」ことを理念とし様々な音楽事業を展開。