みんな会ったことのない誰かに支えられている。細胞を通じて、心を癒す体験を提供したい。

細胞アーティストとして制作活動を行うOumaさん。獣医からアーティストに転身と珍しい経歴をお持ちですが、「今も獣医と本質的には変わらないんです」と語る背景には、どのような思いがあるのか。もともとは安定志向だったOumaさんが、次々挑戦していくようになった背景にはどんなきっかけがあるのか、お話を伺いました。

Ouma

おうま|細胞アーティスト
元獣医師。家賃0円クリエイターズシェアハウスTOLABL(トラブル)第一期住人クリエイター。
地球の歩き方「東アフリカ編」「モンゴル編」などの取材に携わり、世界各地を単独取材した経験をもつ。
2011年より細胞をモチーフとしたアート作品を制作、六本木のギャラリーUNACのオーナー海上雅臣氏の目に留まり、
2013年1月にはギャラリー全てを絵で覆い、絵の中から鑑賞する作品を発表。
現在は『細胞アーティスト』として世界を一つにするような「癒やしと統合」をテーマに活動中。

クラウドファンディングに挑戦中!

Ouma公式サイト
アート・プランニングユニット『みじんこ』公式サイト
ブログ「獣医×作家Oumaの細胞アート徒然草」
家賃0円クリエイターズシェアハウスTOLABL

病院の匂いが好き


私は大分で生まれ、東京で育ちました。

小さい頃に川崎病で入院したことがあって、毎日注射で泣いていました。
しかし、先生や看護婦さんがいい人だったからか、病院という空間が好きでした。

ただ、医療の道に進みたいとは全く思っていなくて、読書が好きだったので、将来は編集者になりたいと思っていました。
でも、高校1年生で文理を選択する時に、突然「獣医になりたい」と思いついちゃって、理系の道を選んだんです。
自分でもなぜかは分からないけど、「自分は獣医になるんだ」と確信に近い感覚でした。

とはいえ、獣医学科に入るには学力が全然足りてなかったので、
他に何か方法は、ということで推薦入学を目指すことにしました。

色々な大学の獣医学部の先生に会いに行き、自分が獣医学部に入りたいと思っていることを伝え、何を面接で話せばいいのか精査していきました。
また、川崎病が心臓の血管の病気だったので、心臓に関わることを勉強したいと思い、循環器科の先生に入試前に電話を入れました。
そのことが担当面接官の耳に入っていたこともあってか、無事に麻布大学に進学することができたんです。

大学では勉強をしつつ、小説を書いたり、自分でキャラクターをつくってイラストを書いたり、趣味で色々なことをしていました。
ただ、仕事としては将来は一生獣医を続けると考えていました。

生きていることと死んでいること


生化学の授業では、自分の身体を作っている炭素原子は「ナウマンゾウのフンだったかもしれない」と先生に言われたことがあり、それは本当におもしろい発見でした。
身体を構成する炭素原子は肉体が朽ち果てても、別のモノとなって世界で循環されていく。
そう考えると、「生きていることと死んでいることの区別なんてないのでは」と感じるようになってきました。

また、大学では解剖とか、多くの実験があって、初めてラットの身体に刃物を入れた時、すごく嫌な感じがして、涙だけボロボロと流れました。
でも全然悲しいという感情がなくて、感情と身体の感覚が分かれてしまったように感じたんです。
実験については、もともと覚悟していたことで、
その代わりに獣医として多くの生命を救えれば、そんな風に考えていました。

ですが卒業する頃には、自分が亡くした生命はその子だけのもので、他の生命では代替できないものだ、と考えるようになりました。
手段は分からないけど、いつか亡くなった生命そのものにお返しできるようなことをしたい、漠然とそう考えていました。

卒業後、動物病院で獣医として働き始めてからも、感情と身体の感覚の不一致は続いていました。
また、勉強してできることが増えれば増えるほど、ミスした時のリスクの大きさに常にプレッシャーを感じるようになりました。
できることを増やしたいけど、死なせてしまったらという不安もあり挑戦しきれない、アクセルとブレーキを同時に踏んでいるような不安定な気持ちをずっと抱えていたんです。

そして、医者は生命を救うことはできない。
治る手助けはできても、治すのは本人の力だと知っていきました。

獣医の本質


臨床医になって2年目の頃、担当したうさぎの患者さんが亡くなってしまったことがありました。
担当患者さんが亡くなったのが初めてで、すごく辛くて、亡くなった後でもできることがないか考え、
お悔やみのお手紙とともに、その子の似顔絵を描いてご家族に送ることにしたんです。
それからも、患者さんが亡くなったご家族に似顔絵を送り続けると、
時に「うちの子が帰ってきた」とすごく喜んでくれることがありました。

獣医の仕事の本質は「ご家族の心の癒やし」であり、「治療」ではない。
こういう方法で人の心を癒やすことができたら、自分にプレッシャーをかけることなく獣医の仕事の本質を全うできるのではないか、そう考えるようになりました。

また、趣味では自分のイラストを使ったアニメーションやミニゲームを作ってWEBサイトで公開していました。
知らない人から「涙が出ました!」などと言われることに喜びを感じて、
こういうことをもっとやっていきたいと思うようになりました。

正直、臨床医が本当に精神的にしんどかったので、いったんその世界から逃げたかったのかもしれないです。
もっと楽に、自分も楽しくて人が喜んでくれることができたら。
そんな思いがあって、4年間働いた獣医を辞め、WEBデザイナーとして働き始めることにしました。

ただ、その会社はオンラインゲームのベンチャー企業で、業績が芳しくなく、徐々に経営が傾いてきてしまいました。
また、そこは韓国資本の会社で「君は海外では暮らせないよ」と言われることがありました。
それまでは本当に安定志向で、海外なんか怖くてしょうがなかったし、行かなくていいなら行きたくないと思ってました。
でも、負けず嫌いでもあったので、なんかこの時にすっごくムカついて(笑)、
1年ほどで会社を辞めてオーストラリアに行こうと思い立ちました。
この時が29歳で、ワーキングホリデービザを使える最後の年ということもあり、とにかく行ってみようと決めたんです。

細胞の専門家に


実際に海外で住んでみると、思ったより怖いこともなく、意外になんとかなるということを実感できました。
同時に、生活のちょっとした文化の違いも非常におもしろかったですね。
また、自分より英語が喋れないのに、野球チームに入ったり、アグレッシブに動くシェアメイトの姿に衝撃を受けたと共に、挑戦すること自体の楽しさみたいなものを知りました。
うまくいかなくても挑戦することがそこそこ楽しい、そんな実感を得たんです。

そして9ヶ月の滞在を経て日本に帰国してからは、リーマンショックがあって就職先がなく、また獣医に戻りました。
ただ、今度はもっと専門性を付けたいと考え、
がん細胞の専門家である細胞病理医を目指して、お世話になってる先生に頼み込んで勉強しに行きました。
同時に絵本を習い始め、自分の作ったお話に絵をつけて発表できたらと思っていました。

でも結局、自分の実力では専門医になることもできず、
何をやったらいいかもよく分からないけど、もっと何かを表現するようなことがしたいと思い、2年ほどで獣医は辞めることを決めました。

その2ヶ月くらい前に、絵本の先生に配られたツヤツヤした紙に直感で描き始めた形状が顕微鏡の中の世界のようで、
「なんかこれおもしろいかも」と思い細胞の絵を描くようになりました。

獣医を辞めた後は、知り合いの『地球の歩き方』の編集プロダクションの方に、アフリカ取材に誘われました。
異文化体験のおもしろさを実感していたこともあり、「なんかおもしろそう!」と直感的に行く!と即答してしまったんですね。

国立公園の動物リスト制作も含め、5週間ほどタンザニアで取材し、そのうち4週間は1人旅でした。
慣れない取材と初めてのアフリカで毎日神経を尖らせていて、旅の最初は毎晩泣き暮らしてました。(笑)
安請け合いしちゃったって、ずっと後悔してましたね。
ですが現地の人にすごく親切にしてもらったり、自転車に乗るマサイさんにワクワクしたりして、
やっぱり違う文化の体験って楽しいなと感じ、次第にもっと色々な国を見たいと思うようになっていきました。

一生会わない誰かに支えられている


帰国後は、WEB制作の会社で働きつつ、細胞の絵を描いていました。
たまたま出会った方の紹介で六本木の「ギャラリーUNAC」のオーナーにお会いすることができ、
足繁くギャラリーに通ううちに、なんとそこで展示させてもらえることになったんです。
それも、天井、壁、床などその部屋全部を使った大掛かりなものでした。
実績もない私が個展をする機会を与えられたこと、また必要な和紙や描くためのスペースなどを提供してもらえたことは、本当にありがたかったです。

実際の展示の時は、お客さんがその空間に入った瞬間に表情がふと変わり、
その驚いている顔や、自由に遊びながら楽しんでるのを見られるのが嬉しかったですね。
そして、2013年8月には会社勤めを辞め、細胞アーティストとしてアート活動をしていくことに決めたんです。

私は、絵を描いたり、ものを作ったりして表現するだけではなく、
どんな体験をしてもらうかの企画まで含めて考えて発信していくのが好きです。
例えばきっと人は宇宙に初めて行ったら、仕事や生活の小さな問題のことなんて、吹き飛んじゃうと思うんですよね。
そんな「わー!」ってなるような体験を提供していけたらと考えています。

そして、今は「人と人の繋がり」を可視化できるiPS細胞のアクセサリー制作を、クラウドファンディングで出資を募りながら進めています。
このプロジェクトでは、iPS細胞や「生命の樹」と呼ばれるプルキンエ細胞などのペアアクセサリーを作りました。
購入者にはその片方のアクセサリーが届き、世界の誰かに、もう片方のペアとなるアクセサリーが届けられます。

「世界中の人は全て誰かと支えあって生きている」ということを伝えるのがこのプロジェクトの趣旨です。
人間は37兆個の細胞から成り立っていると言われています。
細胞は「生命」の最小単位で、37兆個の生命が集まって「ヒト」という1つの生命になる。
肝臓の細胞と腎臓の細胞は出会うことはないけど、どちらも不可欠で、片方でもなければ人間の身体は不調をきたしてしまいます。
それは、社会の構造と同じだと思うんです。
私がご飯を食べられるのだって、洋服を着られるのだって、あったかい家に住めるのだって、人生で一度も出会わない誰かのお陰です。

そうやって誰かと支えあって生きていることを、このアクセサリーを通じて伝えていきたいんです。

生まれてくる生命のために


私は昔は安定志向だったけど、初めて海外に行った時から、生き方が大きく変わりました。
今は挑戦することが楽しいと心から思っていて、
自分より若い人たちにも気軽に挑戦するためのお手伝いができたら、とも考えています。
私みたいな普通の人でも、やってみたら思いもかけない道が拓けるんだということを、実績と共に伝えていけたら嬉しいですね。

私は今のアーティスト活動は、人の心を癒すという意味において、本質的には獣医と変わらないと考えています。
そして将来的には、世界中のすべての国と地域で一番多く展示された作家になることを目指しています。

私が獣医になるために、失われた命は取り戻すことはできないけど、その肉体を構築する原子は地球上で循環していき、いつかまた別の生きものとして生まれてきます。
そうなった時に、その新しく生まれてきた生命が生きる世界が、幸せなものであって欲しい、そう思えるものを作りたいって考えています。

そのために、これからも細胞アーティストとして、世界中の生きものを癒していく活動ができればと思います。

2015.01.14

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