人が究極に困った時に手を差し伸べたい。弁護士として、法律と心のサポートを。

【一歩先に士業を始めた女性の先輩をチェック】新年の「学びたい」気持ちに答えます! オンラインでの資格取得をサポートする『資格スクエア(http://www.shikaku-square.com/)』との協力でお送りする、「女性×資格」の特集です。  銀座で弁護士として法律事務所を経営する竹森さん。学生時代にはやりたいことが見つからず、就職活動時に自分を見つめなおしてたどり着いた、自分の軸とは。気軽に相談できる弁護士を目指すと語る竹森さんにお話を伺いました。

竹森 現紗

たけもり ありさ|弁護士、法律事務所の経営
アリシア銀座法律事務所の代表弁護士を務める。

アリシア銀座法律事務所
ブログ「弁護士、竹森現紗(たけもりありさ)のオフィシャルブログ」
ブログ「ありさ先生ことアリシア銀座法律事務所弁護士竹森現紗のリーガルクリニック」

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早く都会に出たい


私は福井県の美浜町という町で生まれました。
周りは海と山に囲まれていて、小学校までは、毎日歩いて片道30分以上かけて通学するような田舎町でした。

小学校の6年間は、冬でも半袖半ズボンで通学し、髪の毛もとても長くしていたので、
周りから浮いていて、いつも皆に仲間外れにされるような、いじめられっこでした。

両親は共働きだったので家でもいつも一人で、門限は厳しく、テレビもあまり見せてもらえなえなかったので、
放課後は本ばかり読んで過ごしていましたね。
毎日淋しくて辛かったし、社会はみんな敵だと思っていて、
子供ながらに、早くこの町から出たい、いつか皆を見返したいと考えていました。

中学生くらいになると、自分を客観的に見られるようになり、どうすれば周囲から浮かないかを気にするようになって、
少しずつ友達もできるようになり、高校は隣の市の私立高校に特待生として入学しました。
両親はとてもしつけが厳しくて、何をしてもあまりほめられたことがなく、
高校2年生の頃に、今まで募っていた窮屈さに嫌気がさして、突然高校を辞めると言って家を飛び出して、
学校に行かなくなってしまったことがあります。

実際に学校に行かずに社会経験を積もうとアルバイトをしてみて、ちゃんと進学した方がいいのではないかと実感しはじめたときに、
親や先生が説得してくれて、結局高校に戻ったのですが、具体的に大学に行って何を勉強したいのかということは、分からないままでした。
父には医者になることを強く勧められていましたが、反抗期真っ盛りだった私にその選択肢はなく、
どうせ大学に行くのであれば都会に行きたいと、都会にある大学を片っ端から調べ、
色々なことができそうな慶應義塾大学の総合政策学部に進むことにしました。

人が究極に困った時に力になりたい


キャンパスは神奈川県の湘南台にありましたが、私にとっては大都会でした。
地元から開放された嬉しさもあり、テニスサークルに入って遊んだり、バイトをしたり、本当にあっという間の4年間でしたね。

一応単位は取れる程度に大学には通い、商法を学ぶゼミにも所属していて、
そこには会計士や弁護士を目指す人が多かったので、私もなんとなくそういった勉強をしたりはしていました。

そして就職活動が始まると、とりあえず名前を知っている大企業にエントリーしてみることにしました。
しかし、エントリーシートで志望動機と言われても、
「有名な会社だから」「なんとなく興味があったから」という程度で、それ以上何も出てこなかったし、自己PRもうまく書けなかったんです。
一生懸命ひねり出せば、それっぽく書くことはできるんだろうけど、それはそれで本心ではないし、
それならまずは自分が本当に何をしたいのか、改めて突き詰めて考えてみることにしました。

そして、どうせ働くなら「人が究極に困った時に力になれる仕事がしたい」という考えに行き着いたんです。
具体的に頭に浮かんだのは、漁業・農業など人が生きていくのに必要不可欠な食を生み出す仕事や、
病気の人に治療を行うことができる病院での仕事でした。

医者を目指すことも本気で考えましたが、これから6年間も大学に通い直すのは長すぎると感じていたところ、
ちょうど新司法試験制度として、卒業の翌年から法科大学院ができるタイミングだったこともあり、弁護士を志すことに決めました。

弁護士も、人を助けることができるという意味では、医者と同じように、人が究極に困った時に力になれる仕事だと思ったんです。

実家からの経済的な援助は見込めなかったので、卒業後1年間は家庭教師などのアルバイトをしながら法科大学院の試験勉強をして過ごし、
地元北陸に唯一創設された国立大学である金沢大学の法科大学院に、奨学金を借りて進むことにしました。

卒業後の生活を考えると


大学院に入ってからは授業には毎日真面目に出るようになりましたが、
地方のロースクールだったからか、都心部のロースクールとは違い、
「落ちたらどうしよう」という空気ではなく、「受かったらすごいよね」という空気だったので、
学校での勉強に専念しつつ、金沢での学生生活を満喫していました。

ただ、3年生の秋頃になると卒業が現実として見えてきて、急に焦りが大きくなってきました。
と言うのも、大学院を卒業したら奨学金はなくなります。
卒業後の5月の試験で受からなかったら、その後受験勉強を続けるだけの資金はありません。
新司法試験は、大学院の卒業後、5年以内に3回試験を受けるチャンスがあるのですが、
生活を維持するだけのアルバイトをしながら勉強ができるのか、仮に受からなかったとき、働き口はあるのだろうかと、
将来のことを現実的に考え出したんです。
この時からスイッチを入れ替えて、試験勉強に打ち込むようになりました。
化粧も一切せず楽な服しか着ないようになり、周りにも驚かれるほどで、寝ている時以外は常に勉強していましたね。
精神的なプレッシャーは非常に大きく、とても苦しかったけど、やるしかないと思っていました。
受かるという確信は全くありませんでしたが、不思議と諦めるという選択肢はありませんでした。
そして、大学院を卒業した5月の試験で司法試験に合格することができました。

その後、京都での司法修習を経て、大学院時代にサマークラークをしていた、大手の渉外法律事務所に弁護士として就職しました。
大手の渉外事務所というと、企業を相手にするイメージで、
「困った人を助ける」という観点からはかけ離れているように思われるかもしれませんが、
私が就職を決めたのは、病院側で働く弁護士になりたいという気持ちでした。

私はずっと、人が辛い時に行く病院は、患者さんにとって「良い場所」であって欲しいと思っています。
そして、それを実現するには患者側から働きかけるだけでなく、
病院の内部から、そのような環境を作っていく必要があるのではないかと考えていました。

ちょうどその事務所に、同じような考えを持って働いている弁護士がいたことが、就職の決め手になりました。

仕事と生活のバランス


働き始めてからはジェネラルコーポレートと呼ばれる企業法務全般の仕事をするチームに配属されました。
医療系の仕事を希望していたため、薬事法が絡む仕事にもたずさわらせてもらいつつ、
メインの仕事は渉外案件やM&A、一般企業法務でした。
働き始めてしばらくは、仕事に振り回されていましたね。
突然英語の出版契約書を渡されてリーガルチェックをしてと言われたり、金曜日の夜に月曜日の朝までの仕事を依頼されたり、
分からないことだらけだし、深夜も土日も働くのが当然といった生活でした。
また、基本的にはチームで動くのですが、チームをまとめられるくらい一人前になるには10年はかかる状況でした。

ふと、10年もこの生活に耐えられるのかと考えた時、答えは否でした。

そして、2年程働いた時に、転職を決意しました。

転職の条件は2つで、1つ目は弁護士として、一人で一通りの仕事ができるようになりたい。
2つ目は週に3日位は19時か20時には帰って、家で晩御飯を食べられる生活がしたいというものでした。

ただ、そんな条件で働ける法律事務所は中々見つからず、結局ある法律事務所に籍を置かせてもらい、
いわゆる軒弁として仕事をするようになったんです。

前の事務所では、裁判所に行くこともほとんどなく、必要な事務手続きは全て秘書さんがやってくれていたので、全てが一からの経験でした。

最初のうちは、仕事をセーブしながら自由な生活を楽しんでいましたが、半年ほどすると、
「もっと仕事がしたい」という気持ちが次第に強くなり、
弁護士会の法律相談や法テラスの法律相談を積極的に引き受け、徐々に自分でできる仕事を増やしていきました。

個人のお客さんを相手にする仕事は初めてで、人の人生を左右することに自分がかかわることに不安もありました。
しかし、事件が終わったときに、直接顔を見て、「ありがとう。」と言われると、弁護士になってよかったと実感することができました。

その後、世田谷で共同事務所のパートナーを経て、お客様にとってより身近で相談しやすい場所を提供したいという思いから、
2013年、32歳の時に銀座でアリシア銀座法律事務所を開業することにしたんです。

経験を経て気付くこと


いろいろなことを経験して、立場が変わることで、改めて気づかされることは多いですね。

例えば、昔の上司や先輩の先生方がかけてくれた言葉がそうです。
厳しい言葉なんて、誰も好んで相手に伝えたいと思いませんよね。
当時は、なんでこんなことを言われなきゃいけないんだろうと思うこともたくさんあったけど、
自分が後輩を持つ立場や人を雇う立場になって初めて、あの言動には、愛があったんだなと思うことがたくさんあります。

また、両親にも非常に感謝しています。
私の両親は、小さなころから私が司法試験に合格するまで、
ずっと、何があっても、「やればできる。できないのは本気でやってないからだ。」と言い続けていました。
当時は、それがプレッシャーで、
どうして「よく頑張ってるね。無理しないでね。」という優しい言葉の一つでもかけてくれないんだろうと思っていました。
でも、両親がそう言い続けてくれたことで、潜在的に諦める気持ちを持たずに頑張ってこれたんだと思います。
「この子には無理かもしれない。」と思うことばかりだったと思うのに、
それを私には全く感じさせずに、接し続けてくれたのは、本当にすごいことだと思います。

今は、相談してくれたクライアントのため、時には寝る時間も土日も返上して働いている自分がいるんです。
ただ、自分で仕事をコントロールできている感覚があるので、大変ながらもとてもやりがいがありますね。

アリシア銀座法律事務所では、企業法務や事業に関するご相談の他に、相続や離婚など、一般民事事件のご相談をいただくことも多いです。
私が女性ということもあって、離婚や相続など家庭の問題について相談されやすいのかも知れません。

気軽に相談できる弁護士へ


今後は女性の自立支援にも力を入れていきたいと思っています。
実は私は2014年の夏に、乳がんを患って手術をしました。
幸い早期の癌だったので、治療は手術のみで、秋には仕事に復帰できましたが、
病気が分かったときは、今後どうなってしまうのだろうという精神的な不安だけでなく、
仕事は続けられるのか、今後の生活はどうなるのかなど、経済的な不安も多くありました。
私の場合は、弁護士を雇っていたので事務所は閉めずに済んだし、両親も元気だったので日常生活のサポートをしてもらうことができましたが、
同じように人生の色んなシーンで不安を抱えて、支えを必要としている人ってたくさんいるんじゃないかと思ったんです。

現在、女性の生き方や働き方は多様化していて、女性が社会にでるシーンは今後ますます増えていくと思います。
そんな女性が不安を抱えた時に、同じ女性だからこそ配慮できる部分を生かして、
法律で白黒付けることだけでは収まらない、心の部分までサポートしていきたいと考えています。

地方では東京以上に、弁護士が身近ではない現状があるので、全国的に対応できるような事務所展開も考えていきたいですね。

また、一般民事事件については、相続の分野について、より力を入れていきたいと思っています。
今年は、相続税についての法律の改正があって、相続問題については、皆さん関心が高まっているところだと思います。
しかし、それ以上に相続に関するトラブルは、親族間など、近しい人の間での揉め事という特殊性があり、
当事者にとっては精神的な負担もとても大きい問題だと思っています。

このような問題は、ただ法律の解釈をすれば解決するというものではなく、
当事者の感情や問題が法律的に解決した後の人間関係の部分にも配慮して進めていく必要があります。

弁護士が力になれるのは、「揉めたとき」「戦いたいとき」だけではなく、
「揉めそうなとき」「揉めたくないとき」にこそ、早めにご相談いただくことで、結果的に円満な解決を実現することもできるんです。

ただ、自分の経験から、本当に辛いことって、実は誰にも話せないことがほとんどなのではないかとも思います。
私も、昔いじめられていたことを人に話せるようになったのは、20歳を超えてからでしたし、
病気のことも、一番辛いときには人には話せませんでした。

職業柄、多くの方のお悩みをお聞きしていますが、
私たちに話していただいているのは、その方がされた辛い経験のほんの一部にすぎないのかもしれません。
だからこそ、お客様の気持ちに寄り添って、「こんなこと頼んでいいのか?」と思うようなことでも、
気軽に相談してもらえるような弁護士を目指したいと思っています。

本当に困っている人の拠り所になれるような、そんな弁護士としてこれからも働いていければと思います。

2015.01.08

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