浪人中は超難関大学に入るため、必死に勉強していました。早慶くらい名があるトップレベルの大学にはいらないと、意味がないとすら思っていたんです。しかし、結果は不合格でした。

この時、自分は日本の大学には縁がなく、何回挑戦してもダメだろうなと感じてしまったんです。それなら、海外の大学に出るくらいのことをしようと思い、アメリカのサウスカロライナ州の大学に行くことにしました。日本を見返してやりたい、日本の大学は向こうから来てくれと言われるまでは絶対にいかない、なんて思っていましたね。

また、自分は日本で難関大学に入れなかったのだから、難関大学に入った人たちを追い抜くためには、大学の4年間で必死に勉強しなければと思っていました。貧乏だったことや大学に入れなかったコンプレックスが原動力となり、見返してやりたいと、とにかくがむしゃらでしたね。

そして、アメリカとソ連の冷戦下、ベルリンの壁が崩壊したり、ソ連崩壊が叫ばれたりと、国際情勢が目まぐるしく変わるような状況だったこともあり、私も国際政治の世界にどんどんのめり込んでいきました。世界の実情を見るためにバックパックを背負い世界35カ国をまわったり、アメリカ大統領選挙活動に参加したり、精力的に動いていました。将来は国際機関や政治に関わり、この混沌とした世界を平和に導く仕事がしたいと思っていました。

ただ、そのためにはまず世界の経済のことを知る必要があると考え、大学卒業後はそのままアメリカでニュースメディアに就職することにしました。

成功とコンプレックスへの反動

浪人中は超難関大学に入るため、必死に勉強していました。早慶くらい名があるトップレベルの大学にはいらないと、意味がないとすら思っていたんです。しかし、結果は不合格でした。

この時、自分は日本の大学には縁がなく、何回挑戦してもダメだろうなと感じてしまったんです。それなら、海外の大学に出るくらいのことをしようと思い、アメリカのサウスカロライナ州の大学に行くことにしました。日本を見返してやりたい、日本の大学は向こうから来てくれと言われるまでは絶対にいかない、なんて思っていましたね。

また、自分は日本で難関大学に入れなかったのだから、難関大学に入った人たちを追い抜くためには、大学の4年間で必死に勉強しなければと思っていました。貧乏だったことや大学に入れなかったコンプレックスが原動力となり、見返してやりたいと、とにかくがむしゃらでしたね。

そして、アメリカとソ連の冷戦下、ベルリンの壁が崩壊したり、ソ連崩壊が叫ばれたりと、国際情勢が目まぐるしく変わるような状況だったこともあり、私も国際政治の世界にどんどんのめり込んでいきました。世界の実情を見るためにバックパックを背負い世界35カ国をまわったり、アメリカ大統領選挙活動に参加したり、精力的に動いていました。将来は国際機関や政治に関わり、この混沌とした世界を平和に導く仕事がしたいと思っていました。

ただ、そのためにはまず世界の経済のことを知る必要があると考え、大学卒業後はそのままアメリカでニュースメディアに就職することにしました。

成功とコンプレックスへの反動