その後、慶應大学に進学した後も方向性はぶれず、ファッション雑誌のライターを務めたり、テレビ局のイベントのバイトをしたり、関心に合うような機会にたくさん挑戦をしていきました。

また、その他にもバックパッカーとして30カ国以上を訪れ、漠然と、世界中で起こっている様々な問題やギャップの種は、「知ること」で埋まっていくんじゃないかという考えを抱くようになっていきました。だからこそ、世界中で皆が知らないことを伝えていきたいと感じ、報道の仕事への思いは一層強くなっていきましたね。

そして、大学卒業後、無事都内のキー局に就職が決まり、小学生以来の目標だった仕事に携わる日々が始まりました。

最初の仕事は報道局でADとして勤務するというものだったのですが、正直、思っていたような華やかな職場ではありませんでしたね。(笑)毎日遅くまで、ずっと取材したテープを見て文字起こしをする日々でした。

しかし、それでも本当に仕事が楽しかったんです。自分の関わったものが使われるだけでも幸せを感じましたし、2年目に記者になってからは、やりがいも増していきました。最初の1・2年はプライベートの誘いを断ることも多かったですが、仕事に慣れてからは、生活も充実していきました。

ところが、そんな風に仕事もプライベートも一番楽しい時期にさしかかった社会人3年目、24歳の時、乳がんを患っていることが分かったんです。

祖父母の代まで見ても、誰もがんになっていないような家系だったこともあり、全く予想をしていなかったことに、最初に診断を受けた時は目の前が真っ暗になりました。

それでも、なんとか前向きに治療をしようと考えるようになったのですが、抗がん剤等、徐々に辛い治療が始まっていくうちに、気持ちも少しずつ弱っていきました。

同期や友人等、周りの人に置いていかれているような感覚があったし、何より、

「がんになったら死ぬんだ」

と感じたんですよね。私は、結婚も出産も世界一周もすることなく死んでしまうんだ、と考えるようになり、当たり前のように描いていた未来が消えてしまったような感覚がありました。