ダンスを通じて子どもたちの可能性を広げたい!コンプレックスの塊だった僕が見つけた役割。

現在、世界一周をしながら現地で子どもたちにダンスを教えたり、撮影した映像を使って日本と海外の子どもたちをつなぐ活動をしている中込さん。そんな活動的な中込さんですが、以前は何事にも悲観的で、行動力もなかったそうです。どのようなきっかけで変わっていったのか、お話を伺いました。

中込 孝規

なかごめ たかのり|ダンスを通じて子どもの可能性を広げる





世界一周をしながら、世界各地で子どもたちにダンスを教え、日本と海外の子どもたちをつなぐ。

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憧れと劣等感


僕は3兄弟の次男として生まれ、埼玉県の熊谷市で育ちました。

父は工場を経営していて、何事にも厳しい人でした。ただ、夢を語りながら働く姿はカッコよく、「自分が作っているのはこの小さな電子部品だが、これを通じて人の笑顔を作っている。世界中の人を笑顔にしたい。」とよく言っていました。そんな父の姿に憧れ、自分も将来は父のような経営者になりたいと思っていました。

そして、僕は中学受験をしたのですが、兄が通っている第一志望の中学には合格できず、第二志望の学校に入学しました。兄の影響でサッカー部に入ったものの、1年ほどで退部。その後同級生に誘われて入った柔道部も最後までは続きませんでした。

兄は、勉強もスポーツもできて、女子にもモテる。
僕は、「何をやってもダメだ……」と劣等感が増すばかりでした。

また、認めてもらいたいという気持ちが強かった僕は、ズルをしたり、誇張して自慢したりする奴だったので、学校でいじめられるようになりました。

学校では顔をあげて歩くこともできず、体調を崩して体重は15キロ減少。内向的になり、どんどん殻に閉じこもっていくようになりました。

ダンスで変わる


しかし、高校2年生の頃に兄の影響で始めたストリートダンスには、どんどんのめり込んでいきました。単純にかっこいいと思ったし、練習すれば少しずつ踊れるようになるのが面白かったんです。

最初は兄に教えてもらっていたのですが、ダンス教室に通うようになり、大学に入ってからは、ダンスサークルにも入りました。

大学はもうダンス漬けの毎日でしたね。サークルも自主練習がメインなので、空いている時間は練習をして、サークル以外にも、ディズニーシーでゲストダンサーとして踊ったり、キッズダンス教室で子どもたちにダンスを教えたりするようになりました。

特にキッズダンス教室は楽しかったです。最初は親に連れられてしぶしぶ教室に来る子どももいたのですが、そういう子がダンスの楽しさを知ってのめり込んでいく瞬間を作ることができ、とてもうれしかったです。また、5歳から15歳までの生徒が同じレッスンにいるので、それぞれのレベルの子みんなが楽しみながら上達するにはどうすればいいかを考えて教えるのが楽しかったですね。

そうやってダンスを通じて高校時代の殻に閉じこもっていた自分を開放することができましたが、将来ダンスの仕事に就くことは考えられませんでした。そんなレベルではなくて無理だと思っていたし、将来は父のような経営者になりたい、起業したいと思っていたので、しばらくは仕事に集中しようと思っていました。

そこで就職活動では起業に繋がりそうなコンサルティング業界や、新規事業に取り組んでいる大手企業を中心に受け、最終的には会社の理念にも共感できた、教育系企業に入社することにしました。

知らなかった生き方


入社してからは、とにかくがむしゃらに働きました。僕は小学生向けの通信教育講座を販売する部署にいて、入会してもらうための郵便チラシを作っていたのですが、毎日深夜まで働く生活が続いていました。

お客さんの顔を直接見られたらいいなと思いつつも、3年から5年働いたら独立しようと思っていたので、必死に働きましたし、やっぱりチラシが完成する瞬間は達成感がありましたね。

しかし、気づけば3年経ってしまい、仕事は入社当初よりはできるようになったものの、独立することに現実味はありませんでした。

また、以前教えていたキッズダンス教室のおうちの方から、ダンス教室を辞めて子どもが打ち込めるものがなくなってしまったので、またダンスを教えて欲しいと言ってもらえることもあったのですが、忙しいこともあり、行動に移せずにいました。

そんな時、知り合いに誘われて、教育に関心のある人が集まる交流会に参加してみることにしました。それまでもずっと誘われていたのに忙しいなどの理由をつけて参加しなかったのですが、もっと早く参加すればよかったと思いましたね。

なぜなら、その場にいた人たちはみんなポジティブで行動的だし、それぞれのやりたいことに挑戦していて、初めて、本当にやりたいことをやる生き方があることを実感できたんです。

この会で、子どもたちにダンスを教えたいと思っている話をすると、「やらない理由がないじゃん。やってみなよ。」と言われて、やったらなんとかなると、背中を押してもらうことができたんです。

この出会いをきっかけに今までは「やりたい」と思うだけで終わっていたことを、実際に行動に移してみるようになりました。





それぞれの役割


おうちの方に連絡をして、ボランティアで週末のキッズダンス教室を再開することにしました。すると、打ち込むことがなくなってしまっていた子がまたダンスに夢中になっていく姿を見ることができ、自分自身の環境とも重なってすごく感動したんです。

その他にも、クリスマスに関東と関西でサンタの格好をしてダンスを踊るイベントや、世界一周をする人、している人、した人3者のトークイベントなどを開催しました。

それまでは自分で企画してイベントを開いたことなんてなかったのですが、多くの人が協力してくれ、背中を押してくれたからなんとかなったんです。こういった経験を通じて自信もつきましたし、人にはそれぞれの役割があって得意なことを活かせばよく、自分が全部できなくてもいいんだと学びました。そんなことに気づいてからは、兄に対する劣等感も消えていきました。

そして、やりたいことはとにかくやってみたらいいと考えられるようになり、かねてから行きたいとは思いつつ実現できていなかった、世界一周に行くことを決め、2014年の3月、4年間働いた会社を辞めることにしました。

また、せっかく世界一周するなら、自分が楽しみながら人に喜んでもらえることをしたいと思い、僕の好きなダンスを世界中の子どもたちに教えながら回ることにしたんです。

可能性を広げる


今は一旦帰国して日本の小学校やダンス教室でダンスを教えていますが、世界を回りながら現地の学校でダンスを教える活動も再開します。日本でも海外でも、子どもたちが楽しんでくれるのはうれしいですね。

ただ、今は現地の学校で教えるのも単発で終わってしまっているので、今後は継続的に教室を開いて、ただのイベントとしてではなくダンス本来の楽しさを伝えるようなこともできればと思います。

海外の子どもと日本の子どもを繋げたいとも思うようになってきて、現地で撮った映像を使って日本で上映会をやったりもしています。また、再開する旅では、現地と日本をインターネット中継でつなぎ、同じ音楽で子どもたち同士が踊り合う場を作る予定です。

これは世界に出て実感したことでもあるのですが、埼玉のダンス教室で教えていた子どもたちはダンスのレベルが高く、世界に出ても通用する実力があるんです。ただ、「世界に出る」なんて考えたこともないから、地域からもあまり出ないのですが、世界の人と触れ合うことで、子どもたちの可能性を広げられたらいいなと思うんです。

僕自身、ダンスに出会って毎日が変わったし、社会人4年目に色々な人と出会ったことで、自分自身の可能性に気づけたので、そういった可能性を広げるためのきっかけを、子どもたちに提供したいと思っています。

今はその方法はダンスを通じてですが、そうじゃなくてもいいと思っていて、僕自身の生き方自体が子どもにも、大人にも一歩踏み出せるきっかけになったらと思います。

個人的な夢として、起業すること、そして本を出すことがあるんですが、どんな方法で実現するかはまだ決まってないですね。ダンススクールを立ち上げたいとも思っていますが、世界一周していくうちに他にもやりたいことが出てくるとも思うので、そのときやりたいことに対して、ためらわずに挑戦していきたいです。





2014.10.30

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