トルタでメキシコと日本の架け橋を。ずっと目指していた経営者としての挑戦。

メキシコのソウルフード「トルタ」を提供する移動販売のお店をオープンする竹下さん。就職前から将来は経営者になると決めていたという背景にはどのようなきっかけがあったのか、お話を伺いました。

竹下 幸子

たけした さちこ|トルタの移動販売
メキシコのソウルフード「トルタ」の移動販売を行う、「トルタ屋sachi-ta」を経営する。

トルタ屋sachi-ta
トルタ屋sachi-taFacebookページ
 

ダンスのため大学へ


私は千葉県で生まれました。
両親は、私がやりたいと思ったことは何でもやらせてくれて、自由奔放に育ててもらいましたね。
小さい頃からスポーツが好きだったので、体操や陸上、バスケなどをやっていました。
特にバスケは好きで、中学では部活にも入り部長も務めました。
チームで目標に向かっていく感覚が好きで、部長になってからはチームを作っていくことも楽しかったです。

しかし、高校でも入ったバスケ部は1年目に辞めることにしました。
ショートヘアでなければダメ、体脂肪は10%以下に抑える、スカートも膝丈以上、など部活の規則が厳しかったのですが、
ルーズソックスを履いておしゃれもしたかったし、遊び盛りだったこともありその環境に耐えられなかったんです。

部活を辞めてからはバイトをしたり遊んだりして過ごしていて、趣味でダンススクールにも通い始めました。
しかし、情熱を注げるものはなく、引退まで部活を続けた友だちと自分を比べると、
「何も残らなかったな」という感覚がありましたね。
また、受験勉強をしたくないから大学にも行きたくないし、
かと言ってやりたいこともなかったので、何の専門学校に行けばよいのかも分かりませんでした。

そんな時、地元の先輩からスゴい演技をするダンス部があると紹介されて、
オープンキャンパスでそのダンス部のステージを観に行くことにしたんです。
最初は大学に見に行くなんて乗り気ではなかったのですが、
そのステージで踊っている人たちの活き活きした表情と情熱に感動し、私もこんな表情をする人になりたいと思ったんです。

そして、ダンス部に入るために大学受験をすることを決め、そこから勉強を始めてその大学に進学することができました。

対話をする環境


ダンス部は非常に厳しい環境でしたが、高校時代に何もしなかった後悔への反動もあったので、どんどんのめり込んでいきました。
朝練があり、授業の合間も練習して、夜は練習の後もミーティングを行うなど、大学生活は言葉通りダンス漬けの日々でした。

また、その部活は「ダンスを通じた人間形成」をミッションに掲げているので、
ただダンスを練習するだけではなく、メンバー同士の対話を大事にするんです。
150人以上いる先輩・同期とお互いの深い部分を知るために、
それぞれの行動原理や根底にはどんな考え方を持っているのかなどを対話するのですが、私はこれが苦手でした。
「何のために踊るのか?」なんて言われても、感覚的に楽しいからだったし、それ以上考える意味が分からなかったのですが、
ある意味では一つひとつの行動の目的をあまり意識していなかった自分がさらけ出されるのが嫌だったのかもしれません。

ただ、成長していない自分に気づいたのは1年目が終わる頃でした。
後輩が入ってくる焦りもあり、自分からも他人からも逃げないようにしようと決めてからは、
部活動を通して徐々に自分の行動の目的や意味を価値的に考えられるようになりました。
そうやって常に「なんのため」を考えるようになってからは日常の考え方も変わり、
例えば苦手な人がいても「自分の可能性を広げている人だ」とか思えるように、
様々な物事をポジティブに考えられるようになっていきましたね。

経営者への憧れ


そして3年生で引退する時まで部活に全てを捧げた後、就職活動を迎えることになりました。
それまではダンス一筋で、将来何をしたら良いか考えていなかったので、
とにかくどんな選択肢があるのか、様々な業界の説明会に行きました。
また平行して、自分にとって働くとはどういう意味があるのかも考え続けていきました。

そこで行き着いた結論は、業種というよりも職種として人と直接関わる営業をやりたいということと、
自分にとって働くとは、幸せになるための行為だということでした。
そして、会社というステージで幸せになるために最高のパフォーマンスを発揮するには、
そのステージを作っている経営者の存在が重要だと思ったんです。
そして、経営者の中でも特に創業者の思いが大切だと感じ、創業社長に会える企業を見ていくようになりました。

そうやって様々な経営者にお会いしていくと徐々に「自分だったらどうするか」と考えるようになっていき、
気づけば自分もいつかはステージを作る経営者になりたいと思うようになりました。

ただ、まずは仕事をする力をつける必要はあると思っていたので、就職をしようと考えていて、
最終的には説明会で情熱を持って夢を語る魅力的な経営者と出会い、
「この会社だ」と思い、他の会社を見るのはやめてその会社に入社することにしました。

トルタとの出会い


将来独立できる力をつけようと思っていたし、
会社のミッションに共感していたので、仕事はがむしゃらに取り組みました。

会社は美容室向けに集客や採用や広告など何でも相談を受けて営業する会社だったので、
美容室経営者の方々と一緒に仕事をさせてもらうことができ、非常に勉強になりましたね。
また、先輩や会社のメンバーに恵まれていて非常にやりがいもあったのですが、
やはり30歳までには独立して経営者になろうと思っていたので、
2014年の1月、29歳を前に会社を辞めることにしました。

ただ、「お客さんに直接手渡せる商売をしたい」「自分が本当に好きだと思えるものを売りたい」といったコンセプトはあり、
好きだったサンドウィッチの移動販売などから始めようとは思っていたのですが、
まだ何をやるべきか悩んでいる部分もありました。

そこで、改めて自分が何をしたいのかを見つめ直すために、メキシコのオアハカという場所に半年間行ってみることにしました。
メキシコは以前に行ったことはあったのですが、
今回行ったオアハカはとくにコレという理由もなく、導かれて行ったような感じです。
日本で言うと京都のように独特の伝統が残っている街で、アートもたくさん。
町の楽観的な雰囲気や人と人の距離の近さなど、オアハカに行ってからはその雰囲気に魅了されましたね。

そしてこの街に来て出会ったのが「トルタ」と呼ばれるメキシコのソウルフードでした。
トルタはパンにワカモレやフリーホール等のメキシコ料理が挟まっていて、
美味しいし、色々な場所で売っていてみんなランチなどで食べているんですが、「これだ」と思ったんです。
また、私がイメージしていた移動販売の理想のお店を見つけたので、
毎日そこでトルタを買って研究したり、料理教室に通ってトルタの作り方を学んだり、
決めてからの行動は一直線でした。

私にとって働く意味


そして7月に日本に帰国して、11月1日に「トルタ屋sachi-ta」のオープンをすることを決めて準備を始めました。
食品を販売するための法律などの知識や、移動販売といってもどこで出店して良いかなど、
勉強会に行ったり、場所を間借りできるサービスを使って少しずつ具体的になってきました。
本場の味を再現するためのパンやチーズなど、食材探しには苦労しましたが、
移動販売車も手配して、いよいよ販売にこぎつけるところまでやってきました。

今もオープンに向けて1人で準備を進めているところですが、1年後には社員を雇っていきたいと思っています。
私は「働く」ということは「幸せになる手段」だと思っているので、
経営者として、自分の会社で働いてもらうことで幸せになる人を増やしたいんです。
最初は移動販売でトルタを売り始めますが、いつでもトルタを買いにいける場所を確立したいので、
1年後には店舗も構えたいと思っています。

さらに将来は、事業を通じて日本とオアハカの架け橋になりたいとも考えています。
私はオアハカの開放的で人同士の距離が近く、常に明るいあの雰囲気が好きだし、
それを日本の人たちにも知ってほしいんです。
また、オアハカの人たちは日本を好きでいてくれる人が多いので、
彼らが日本に来ることができるよう、日本に来た時に私のお店で働いてもらって旅費を稼げるような仕組みを作れたら良いなとも思います。

オープン間近のタイミングで、まだ結果は出せていない状況ですが、
就活時代や前職で出会ったステキな経営者の方々のように、熱く夢を語り、
人が輝くステージを作れるような経営者を目指していきます。

2014.10.23

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