大切な家族と自分の使命。悩み続けて見えた、僕の生きる目的。
タイ人のための新しいソーシャルリクルーティングサービス『JobTalents』を運営する越さん。社会貢献がしたいという思いからボランティアやNPOで活動していたものの、何のために生きているのかわからなくなったこともあったそうです。そんな越さんが、現在のように海外で事業を立ち上げるまでにはどのような背景があったのか、お話を伺いました。
越 陽二郎
こし ようじろう|タイ人のためのソーシャルリクルーティングサービス運営
完全成功報酬型の料金体系を取り入れ、転職者に採用確定時の「お祝い金」を提供する、
タイ人のための人材採用サイト『JobTalents』を運営する、TalentExの代表を務める。
JobTalents
TalentEx
アメリカと日本の両方で学生生活を過ごす
僕は、生まれて4ヶ月後から5歳になるまで、アメリカで過ごしました。
父親が、英語を身に付けるためにも子供を海外で育てたいと考える人だったので、
生まれてすぐに海外に出ることになったんです。
しかし、小学校入学前に日本に帰ってきて、4年生の時にまた父親の仕事の都合でニューヨークに戻った時には、
英語を完全に忘れてしまっていたんです。
授業についていくだけでも大変だったし、真面目な性格で、先生に怒られるのが嫌だったので、
小学校6年生の時には、宿題をやるために深夜3時まで勉強することもよくありました。
そんな性分もあり、中学卒業後また日本に戻ることになった時、 高校受験は全勝し、希望の高校に合格することができました。
ところが実際に入学してみると、カルチャーショックを受けてしまったんです。
そこではいつも一定のグループに所属してみんなが行動していて、それにどうしても違和感を覚えてしまいました。
更に、私の高校は中学からの内部進学も多く、既にグループができていたので、
そこに自分の居場所を作っていくのに苦心し、「自分のいる意味はあるのだろうか」と疎外感を感じることもありました。
しかし、中学からやっていたドラムをやるためにバンドに入ったり、友達に誘われてブレイクダンスを始めたりして、
次第に友達も増えていき、学校が楽しくなっていったんです。
また、勉強についても英語が得意だったので、大学受験もなんとか第一志望に受かり日本の生活に適応していきました。
「ビジネス×社会貢献」がしたい
大学では、社会心理学を専攻しました。
高校時代に自分の両親や友人などの身近な関係に悩んだりしていたので、
自分が違う行動をしていたら、現状を変えることができたのではないかと思っていたんですよね。
そんな影響もあり、自分の周りで起こっている現象を理解するためにも心理学を学びたいと考えるようになったんです。
また、勉強以外ではサークルの感覚で子どもと遊ぶボランティアやバングラデシュでトイレを掘るワークキャンプに参加したりしました。
大学2年生の時に、自分が中学時代にアメリカで通っていたサマーキャンプのカウンセラーを3ヶ月間やることにしました。
そこで、1年間大学を休学しなければならず、 残りの期間をバックパッカーをして、アジアを周っていました。
バングラデシュやタイなどの地域を回る中でアジアの地域が好きになりました。
子供達が特に元気で笑顔が眩しかったんですよね。
そして、日本人として海外で育った自分には何か使命があるんじゃないかと思いはじめ、
将来、彼らのために何かできるようになりたいと思うようになったんです。
その後、日本に帰国するとたまたま「NPOxビジネス」というコンセプトでインターンを募集するイベントを見つけました。
ボランティアの経験から興味が湧いて、起業家の方たちの話を聞きに行ったのですが、
そこで出会ったベンチャーで1年間インターンをすることにしました。
病児保育という、仕事をしている親の代わりに急病などの子供の世話をするという事業だったのですが、
「ビジネス×社会貢献」というのを強く打ち出していて実践の中でどういうことか経験しようと思いました。
まだサービスができて1年程だったので、やることがたくさんあり、
採用や人材育成まで関わらせてもらって仕事とは、ビジネスとは、と多くのことを学びました。
自分の生きる目的ができた
その後は就職活動はせず、知り合いに誘われて海外で働く人の就職を斡旋する事業をやろうとして打ち止めになったり、
石油が将来的には枯渇することを考えて、自分でバイオマスを利用した事業で起業しようとして失敗したりもしました。
そして気づけば、就職先もないまま4年生の12月になってしまったんです。
そんな時に、ある先輩の起業家にバングラデシュやアフリカに貢献する事業を立ち上げようとしている、
ベンチャーキャピタリストの方の本を紹介されました。
米国に普段いる方だったのですがたまたま広島に講演で来る事を知り、日帰りでお会いしにいきました。
勢いだけで動いていたのですが、やる気を買ってくださり日本支部の立ち上げメンバーとして働かせてもらえることになったんです。
しかし始めてすぐに、あるイベントの運営を頼まれたのですが、
失敗してばかりで仕事が上手くいかず、 精神的にボロボロになってしまったんです。
自分以外は皆さん一流のビジネスマンの方々ばかりだったので、自分の能力がついていかず追い込まれていました。
朝のホームに立ちながら、「飛び込んだら楽になるかな」という考えが浮かび始めた頃、
一人週末に事務所で仕事をしている時に付き合っていた彼女(今の妻)が差し入れを持ってきてくれました。
悔しさや情けなさ、色々溢れてきて涙が止まらなくなってしまいました。
社会貢献、社会貢献と言いながらも、今の自分はお金も稼がず、誰の役にも立っていなくて、
周りの支えてくれている大切な人でさえも幸せにできていないと、 自分の不甲斐なさを痛感しました。
その時、「まずこの人を幸せにしよう」と思いました 。そのためにはまず稼ごう、と。
社会に良いことを、とかかっこよく思われたいといったことは一気に消えました。
この時、家族のために生きようと決め、生きる目的ができたんです。
家族との時間を取りながら、海外に貢献する仕事
そして、まず就職し直そうと思い、父の知り合いから紹介されたコンサルの会社に入社することにしました。
そこで戦略コンサルタントとして、経営計画を考えたり、
得意な英語を活かして、会社の英語のマニュアルを作り替えたり、 様々な仕事に取り組みました。
他に何も考えられなくなるくらい、とても仕事が忙しい会社だったのですが、とにかく必死で働きましたね。
結婚式明けの日曜も出勤したり、直後にフィリピンに飛んで半年間、正月が明けるまで休みがなかったり。
そんな中、入社して2年ほど経ったある時、妻との間に子供が生まれることがわかりました。
育休を取りたいと考えたのですが、仕事のタイミングとの兼ね合いで結局転職することにしました。
そこで、成長産業であり、帰国子女という自分のバックボーンを活かし、海外、特にアジアで働ける先を探しました。
そして、スマートフォン向けのアドネットワーク(広告)事業を手がける会社がアジアに拡大すると聞き、
転職することに決めたんです。
入社して半年後くらいから、実際にタイに駐在して仕事をするようになりました。
現地ではたくさんの人に助けられながら事業を立ち上げましたが、
同時に全てにおいて日本本社の了解を得ないと進められない難しさも痛感しました。
日本と現地に貢献するために来たはずが、どちらにも迷惑をかけていると感じることが多くあったんです。
このまま続けては誰への貢献にもならない、と思い退職を決意しました。
帰国、留学、色々な選択肢を考えましたが、ちょうど2012年頃からタイには他国からたくさんの企業がやってきて、
IT産業が盛んになりつつある時でした。
ただ、日本人の起業家も投資家もほとんどおらず、
製造業を中心としてタイでは大きな存在感を築いてきた日本のそれが薄れつつあることに危機感も覚えていました。
日本人の自分がタイにはない技術・資金・ノウハウなどを持ち込むことでIT業界黎明期のタイに貢献できるのでは。
そこで日本のプレゼンス向上ができたら日本にも貢献できるのでは。
帰国子女である自分は、日本より海外の方が人の役に立てるかもしれないし、 実際にそれをする日本人がいなかったので、
自分がやらなければという使命感も感じたんですね。
そして、何かしら現地の人の力になれる分野で起業しようと決意したんです。
海外で育った日本人として、自分にできること
最初はEコマース(電子商取引)をやろうと考えたのですが、
東南アジア全域への拡大が難しいと断念し、 現地の経営者などにどんなことで困っているか話を聞いていました。
そしてみんなが共通して困っているのが、人材の分野だということがわかったんです。
自分も駐在で働いていた時に採用に困った経験があったのですが、
タイには主だった転職サイトが4~5社しかなく、それぞれの事業モデルもほとんど同じで、
日本とは違って上手く機能していないものも多かったんです。
そこで、ローカルの仕組みを取り入れながらも、海外から来た自分だからこそできる、
タイ人だけでは作れない人材サービスを作ろうと決めました。
SNSを利用して情報を拡散しやすくし、企業には成功報酬型モデルを取り入れ、
利用者には「お祝い金」制度を設け、『JobTalents』という名前でサイトをリリースしました。
現在は求職者の登録が数千人規模あり、掲載企業も100社を超えて、徐々にサービスも軌道に乗ってきています。
今後は、東南アジアでこれからも日本人が必要だと思ってもらえるように貢献していきたいです。
先人が築いた「日本人」というブランドに助けられることもあり、日本人は真面目にやってくれるだろうと、
タイ人の起業家の人々も信頼してくれることが多いので、
自分がそれを崩すことなく、次の世代にも引き渡せるようにしたいですね。
また、3歳の息子がいるのですが、子育てしながらでも仕事はちゃんとできることを「パパ起業家」として証明したいと思っています。
僕にとって一番大切なものは家族ということに変わりはないんです。
だから仕事での挑戦を続けながら、奥さんと子供と一緒に幸せになれるように、これからも生きていきます。
2014.09.30