シンガポールの日本人ワーキングマザーを繋ぐ。不安を楽しみに変えられる場作りで見えたこと。

シンガポールにて、キャリアカウンセラーの仕事の傍ら、現地にいる日本人ワーキングマザーのためのコミュニティを運営している小野さん。結婚を機にご主人についてシンガポールに移住し、英語もほとんどしゃべれず苦労する中、自分のアイデンティティを見失っていた状況をどう乗り越えたのか、お話を伺いました。

小野 麻紀子

おの まきこ|「はたらくママ@シンガポール」コミュニティ運営者
シンガポールにてキャリアカウンセラーとして働きつつ、日本人のワーキングマザーをつなぐ、
「はたらくママ@シンガポール」コミュニティを運営。
ブログ:シンガポールで【はたらく×子育て】
非公開Facebookグループ「はたらくママ@シンガポール」

新卒で入社した人材系会社で、働きたい主婦の方の悩みに触れる。


大学卒業後、人材系の企業に新卒1期生として入社しました。設立3年目、社員数も20名程度の、
パートタイムの人材派遣に特化したベンチャー企業です。
オフィスワークで働いていた経験をパートというスタイルで働きたいという既婚女性と、
コストを抑えて優秀な人材を採用したいという企業のマッチングをしている派遣会社でした。

私自身、就職活動にはかなり苦労したのですが、
ありのままの自分を受け入れてもらえた唯一の会社であること等から、入社を決めました。

入社後3年間は、マーケティングを担当として、自社ホームページのコンテンツやメールマガジンの制作、
セミナーの企画運営をしていました。

仕事を通して、登録をしているスタッフの方に会うことも多く、
結婚後に家事や育児との両立が難しい等の悩みを伺う機会が頻繁にあり、
仕事を通して、女性のキャリアという分野に興味を持つようになりました。

天職とさえ感じていた、“広報”という仕事。


ある日、上司に呼ばれて、「広報をやってみないか」と言われました。
会社の規模が拡大したことで、新しいポジションとして広報を担当することになったのです。

出来たてホヤホヤのポジションだったため、社内でのノウハウなども何もなく、試行錯誤しながらも、
チャレンジを重ねたこの仕事が物凄く楽しかったんです。

コネクションもゼロだったため、一からマスコミの方たちとの関係作りをし、
自分の会社の中のあらゆる素材、サービス・社員・人事制度等を料理して、
マスコミの方へ企画提案をしたり、他の企業の広報担当の方と仲良くなって、情報交換をしたり・・・。

元々たくさんの人と接すること、人と人を繋ぐことが好きだったこともあり、
そうした機会を作り続けることで、結果として会社のPRの成功に繋げられたこの仕事は「天職かもしれない」と思っていました。

実際に、会社のサービスをNHKや日経新聞などの大手メディアにも取り上げて頂いたのですが、
共感しているサービスが世の中に広がり、それを求めている人がハッピーになるきっかけを作れることも、
やりがいを感じるひとつの理由だったのかもしれません。

結婚しても、子どもが出来てもずっと続けたいと思う程、好きな仕事だったので、
将来的にはフリーランスで、家庭とのバランスをとりつつ働きたいと考えていました。

シンガポールへの移住で人生が変わる


その会社で5年半程働いたタイミングで結婚をしました。28歳の時です。

夫がシンガポールで働くことになったため、
結婚を機に私自身もシンガポールに渡ることに決めました。

先入観もなく、ワクワクした気持ちで移住したシンガポールでしたが、
東京と比べると、私のように海外に住んだことも、英語力も高くない日本人が働ける業界や職種は非常に限られており、
ましてや自分がキャリアとして積んでいきたかった広報の仕事は日本人の転職マーケットにはほとんど出てこない特殊な仕事でした。

実際にその時に、複数の人材紹介会社で紹介してもらえた仕事は、うどん屋の接客と携帯電話会社の営業職のみ。
自分の市場価値の低さに、本当に凹みました。
うどん屋にはあまり興味を持てず、運良く内定を頂くことが出来た携帯電話会社に就職をしました。

働き始めは、仕事の要領も分からない上に、急な英語での対応等に慌ててしまうこともありましたが、
英語が上手な先輩の見よう見まねで続けていくうちに、英語でアポイントを取ったり、営業に行ったりできるようになりました。

ただ、そこで自分の中で1つの壁にぶちあたったんです。
自分が魅力的に感じていたサービスを提供し、やりがいを感じていた前職と比べると、仕事に興味を持ちきれなかったこと。

そう思ってしまった自分を止めきれず(笑)、就職活動を始めてみましたが、なかなかうまくいきません。
労働ビザという壁があり、そこは自分の努力ではどうにもならず、外国人であることを痛感することもありました。

内定3日後に発覚した妊娠と不安の数々


転職を諦め、チャンスを頂いた仕事で再び頑張ろうと襟を正して少し経った頃、
知人から人材系の日本企業の現地法人を紹介してもらいました。

やりたいことに少しでも近づけそう!と思い、面接を受け、トントン拍子にキャリアコンサルタントとしての内定を頂き、
心機一転頑張ろうと思っていた矢先、何とその3日後に妊娠が発覚したんです。
自分でもこのタイミングで!?、とただただ驚きました。

妊娠した喜びと同時に、シンガポールでの出産、子育てについて、
あまりにも分からないことだらけの不安な日々がスタートしました。
ただでさえ人生で初めての妊娠。シンガポールで出産を経験した友人はいませんでしたし、
妊娠初期は、先が見えない不安でいっぱいでした。

病院のこと、出産の費用のこと、保険のこと、産休のこと、
出産後については職場復帰後の子どもの預け先のことなどなど。
日本語で手に入る確かな情報がなかったので、情報はとにかく人づてで足を運んで集めました。
すると、皆さん初めて会った方にも本当に良く頂いてして、不安が勇気に変わったり、
子どもが産まれてくる楽しみに変わって本当にありがたかったんです。

その後、出産を無事に終え、娘が2ヶ月と1週間で職場復帰することができました。
こんな時期から仕事に行くということに、大きな葛藤もありましたが、そこは日本と違う外国。
日本のように1年間取得出来る育休がないため、職場に戻る以外の選択肢はありませんでした。

その時に、

「私のこういう経験が、少しでも誰の役に立ったらいいな、情報が集まる場所を作ることで、
不安を楽しみに変えられる人がいるかもしれない」

と思ったんです。

自分がやりたかったことがこの先に繋がるイメージが持てて、ワクワクしましたね。

新しく見つけた、私がチャレンジしたいこと


その想いを具体的な行動に移すべく、2人の先輩ママに相談して、
一緒にワーキングマザーのためのコミュニティを作りました。
Facebookページを開設し、そこで情報発信をしたり、2ヶ月に1回、
情報交換会としてリアルな場で交流をすることになりました。

ただ、子育てをしながら仕事をするだけでも忙しかったため、まずは無理せず、継続することを最初の目標にしました。
そして今では2ヶ月に1度の情報交換会も6回目を迎え、コミュニティを作ってから1年になります。
人数も3人から54人まで増えました。

シンガポールに住んでいる日本人のワーキングマザー、
もしくは、小さい子どもがいてこれから働きたいと思っている人は、そもそも多くありません。

そのため、同じような思いで子育てをしている人と出会えること、また、病院や保険のこと、子どもの教育に関する情報など、
コアな情報を求めている人が意外に多いことが、コミュニティを始めて分かってきました。

加えて、自分自身もそうだったように、パートナーの仕事の転勤などで移住してきた方も多く、
迷いながらも自分の道を模索している方も多いことに気が付きました。
そんな中でも、同じような境遇の仲間がいることで頑張れること、
お互いに相乗効果で楽しめることって多いと思うんです。

だからこそ、今後は子育ての情報だけでなくて、葛藤しているモヤモヤした思いを解決し合えたり、
やりたいことを応援し合える場作りを出来たらいいなと思っています。
そして数年後、家族の理由で海外に出て、自分のやりがいや目標を見失いつつも前に進もうとする女性を支えることを、
自分のライフワークとしていきたいと考え始めています。

2014.09.29

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