人が物語を語る可能性を信じたい。
目の前の物語に向かい合う人生。

「人が語ってくれる、その人の物語を聴くことが好きなんです」とお話される青木さん。今まで様々なことに取り組まれてきた背景には、日々の生活をフィールドワーク的に捉える考え方がありました。そんな青木さんの半生を伺いました。

青木 文子

あおき あやこ|司法書士・メイクアップアーティスト・フィールドワーカー
生涯フィールドワーカー。
司法書士として事務所を構えるかたわら、ワールドカフェぎふ共同代表、
協同ネットワークぎふ事務局長を務め、メイクアップアーティストとしても活躍する。

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人を知るフィールドワーク


小さい頃から人を知りたいという気持ちが強かったです。

高校時代、最初医者になれば「人」を知ることができると考えて、医者を目指していましたが人の身体を知るだけではなく心理学や文化人類学的な視点も学びたいと思い、理系と文系どちらも学べる、早稲田大学の人間科学部に進学しました。

大学では当初農村社会学を研究していたのですが、データを集めて定量的に物事を考える手法ではなく、もっと人の生の声を聴きたいと感じ、その比重のより高い民俗学を学ぶようになりました。

民俗学では、現地に行きそこで暮らす人に話を聴くフィールドワーク的手法を用います。人が自分自身の過去の「物語」を語る時のエネルギーはすごく、また語り終えた後に、明らかに顔つきが変わってるんですよね。誰かに物語を語ること。そしてそれを聴いてもらうこと。その場に立ち会うことの価値を深く感じているんです。このフィールドワークこそが、その後も自分の立ち方の根っこになりました。

大学卒業後はそのまま大学院に進学しようと考えていましたが、面白い会社との出会いもあったので、就職をすることにしました。大学院進学を勧めてくれた恩師は、日常の生活の中で、どこでもフィールドワーカーでいることはできる、と送り出してくれました。

就職先は、地元名古屋にあるそこまで大きくない文房具メーカーで、女性が多く活躍していて、かつ会社の全体観を見ながら仕事ができそうだということに惹かれました。「仕事は自分で作るもの」という社風だったので、考える力は鍛えられましたよ。

最初は企画職で入社していたのですが、途中から営業部を立ち上げることになりました。
正直、文章の校正など細かい仕事に疲弊していたのですが、営業を始めて息を吹き返しましたね。
営業は人の話を聴く、まさにフィールドワークだったんですね。

そして3年働いた後、結婚を機に退職して、東京に行くことになりました。

ハラスメントと向き合う


東京では、身体的アプローチで心身ともに整えるボディワーカーになりたいと思ったので、リフレクソロジーと呼ばれる足裏マッサージの資格を取りインストラクターをやりながら、「賢治の学校」のスタッフとして働いていました。

そこでは自然農や野口整体など身体のこと、人が自分の幼少期と向かい合うこと、自分自身を取り戻すことなどを、仲間と共に学びながらひとつの学校を作ろうとした取り組みをしていました。

賢治の学校は、名古屋で働いている時に愛知事務局の立ち上げに関わっていて、その流れで東京でも手伝わせてもらうことになったんです。

その学校で知り合ったメンバーでは、それぞれが幼少期のトラウマを乗り越えられるよう、それぞれの過去の体験を話す場として自助グループを立ち上げていました。そして、私も自分の幼少期のことを話した時、涙を流してくれているメンバーがいて、私の物語も、語る価値があるものだと思えたし、自分が変わっていくきっかけになりました。

幼少期に向かい合いそれを語ることは、それぞれの中にあるハラスメントに向かい合うために、そして、それを次の世代に連鎖させていかないために不可欠だと感じました。人が、育児や人間関係の中で知らずに行ってしまうハラスメントや暴力、これをどう解いていくか、これも自分の大きなテーマだと思い、その鍵も「物語を語ること」にあると思ったのです。

子どもの時間


そんな生活をしていた2000年に子どもを出産しました。

子どもをどの方法で産むのが一番良いのか興味があったので、いろいろ調べ、本を読み、自然出産に行き着きました。そして、大野明子先生という女医さんの経営する明日香医院というお産のための家に出会い、そこで出産することにしました。この時、出産ってなんて良いものなのかと感動し、これなら何人産んでも良いと思いましたね。

もともと出産前から、6歳までの子どもの育ちに興味はあって、シュタイナーやモンテッソーリなどを学んでいたのですが、子どもが1歳になった頃に『こどもの時間』という、ある保育園の様子を撮影したドキュメンタリー映画に出会ったんです。

この保育園はさくらさくらんぼ保育という、斎藤公子さんが考えられた保育論の保育園でした。テレビで予告編を見たのですが、その映像に映る自由で闊達に生きる子どもたちの姿を見て、私の知らない何かがあると感じ、最終上映日に見に行ったんです。そして、実際に映画を見てからは、その映画に魅了され、舞台挨拶に来ていた監督にお願いして、後日、300人規模の母親が母乳をあげながら見られる自主上映会を開催させてもらいました。

ところが、そんな生活をしていたある時、配偶者の転勤で岐阜に引っ越すことになりました。

自由になりたかった


岐阜に引っ越して来てしばらくして、『こどもの時間』の題材になった保育園と同じ教育方針を持つ流派の保育園に出会いました。そこに子どもを入園させ、しばらくそこで私もスタッフをさせていただきました。

またこの時、その教育方針の源流でさくらさくらんぼ保育園の創始者である、斎藤公子さんに埼玉までお会いしに伺うことができました。斎藤さんに「さくらさくらんぼ保育はどんな子どもに育って欲しいのか。」という問いをぶつけた時に聴いた、「私は自分の能力を社会の誰に使ったらいいか分かる子どもたちに育てています。それしかもう社会は変わらない。」という答えが心に残り続けています。

そしてこの時、2人目の子どもを妊娠しました。1人目の出産よりもさらに良い方法は、もう自宅出産しかないと考え、リスクは承知でしたが、入念な準備の上お医者さんも説得して、自宅で生むことに決めました。

しかし、出産当日は思ったより早くお産が始まってしまったんです。助産師さんもいない中、結局ひとりきりで生むことになったのです。何事もない安産だったから言えることですが、生物としての人間の体は、産むという行為をすでに身体で知っている、ということを感じました。

子どもが生まれてからは自分はいったい何者なんだろうか、悩み始めました。出産直後であまり動くこともできず、またこれまで色々やってきたものの、経済的には結局は配偶者の収入頼みで、これで子どもを守っていけるのかって思ったのです。また、32歳になり学生時代の友人は各所で活躍しているのに自分は何をしているのだろうと、焦燥感も感じていました。

この時、自分の考え方を今一度整理するため、モーニングノートと呼ばれる、毎朝自分の思ったことをひたすらノートに書く方法を始めました。

そして、3ヶ月程続けた結果残ったキーワードは「自由」でした。特に今まで目を背けていた、経済的な自由を得たいと思い、女性でも平等に仕事ができる、司法書士をめざすことにしました。

社会を変える対話の場


それからは子育てをしながら資格の勉強をしましたが、子どもの前では一切勉強しないことを決めていました。勉強できない時に、それを子どものせいにしたくなかったのです。

朝の時間や、子どもが保育園に行っている時間を活用しながら、毎日7時間勉強する日々を過ごしました。この間も、保育園での6歳までの子育てでなく12歳までの子育てを学びたいと、自分たちで学童保育を運営したりもしていました。

そんな大変な生活でしたが、4年間続け、2008年に司法書士の資格をとることができました。

司法書士として働き始めてから、「ワールドカフェ」という対話の場に出会ったんです。このワールドカフェは、今までに自分の知っていたワークショップとは全く違うと感じました。結論を出さない場であるので、話し合いの時に起こる独特の予定調和感が無く、強要もされないし、みんなが自分の意見を安心して言える感覚があるのです。

また、結論がないことで、それぞれの人の意見に耳を傾けて聴いた上で、違う意見や知らなかった考え方に、もやもやした感じを持ってそのワークを終えることになるのが、非常に面白いと思ったんです。そのもやもやを、感じなかったことにすることもできると思うのですが、人は知ってしまったら、結局無視することはできないんじゃないかと思うんですよね。

そうなると、知ってしまったことに対しての当事者性が生まれると感じたんです。強要されるわけでもない自由な場で、誰かの感じる問題をその人の物語として聞いてしまうことで、聞いた人自身、当事者意識を持てるのではないのかと思いました。

これが、大学時代からずっと軸に持っていた「物語」を語る場に立ち会うということとリンクしたんです。攻撃されない安全な場、互いがフェアである時に人は自分の考えや「物語」を語ることができる実感。お互いの価値観が違ってもその対話で互いの何かが変わっていく。

この対話の場でなければ、社会は変わっていかないと感じ、すぐにワールドカフェのホスト養成講座を受けて、仲間と「ワールドカフェぎふ」という団体を立ち上げました。

物語をつないでいく


今は、岐阜で司法書士事務所を開きながら、ワールドカフェのファシリテーターをしたり、メイクアップアーティストとしての活動もしています。

人の話を「物語」として聴きたいので、法律相談に来た人ともゆっくり話すので普通30分で終わるような相談が2時間かかってしまったりもします。

また、司法書士業務とは別に、事務所にカフェに遊びに来るように、話に来る人もいますし、メイクアップの依頼も事務所でやっています。

プライベートでは14歳と10歳になる子どもたちの母でもあります。子どもって、18歳になるまで「社会から預かっている」ものだと考えているので、18歳まで私のできることをして、あとは社会に戻したら自分の子育ての仕事はひとつ終わりだと思っています。

今までも色々なことをやって来ましたが、これからも、その時自分が一番興味のあることをやり続けていくと思います。10年後に何をしているかと聞かれたら分かりません、でもその時に自分の心に響くことをやっていると思います。

ただ、その時もきっと常に誰かの「物語」の瞬間に立ち会う、人生のフィールドワークを続けていると思います。

2014.09.10

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