フリースタイルフットボール兼ラーメン屋。人生を楽しむために挑む、オリジナルな挑戦。

フリースタイルフットボールのパフォーマンスとラーメン屋を並立する、その名も「ラーメンマン」さん。サッカーの新しい楽しみ方に惹かれ、ひたすらボールを蹴り続けた先に訪れた転機とはどのようなものだったのでしょうか?

ラーメンマン

らーめんまん|フリースタイルフットボール選手・ラーメン屋
フリースタイルフットボールの選手として、
『BallBeatCrew(ボールビートクルー)』と『Artistare(アルティステア)』という2つのチームで活動する傍ら、
『麺屋 鶏翔』(東京都府中市栄町2-27-20)の店主を務める。

BallBeatCrew
Artistare
麺屋 鶏翔

サッカーの新しい楽しみ方


山形県で生まれ育ち、小学三年生からサッカーを始めました。
父親がサッカーを好きだったこともあり、小さい頃から買ってもらったサッカーボールを遊び道具にしていたんですよね。

元々利き足が左足だったこともあり、中村俊輔のプレーに憧れを抱き、
そこまで足が速くないことも重なって、段々と「技」を磨くことに目覚めていきました。

その後、中学高校とサッカー部に入ったのですが、
特別強い学校でなかったこともあり、先輩の引退後はメンバーのやる気が落ちてしまい、
いまいち練習が盛り上がらなくなってしまったんです。
サッカーが好きな気持ちは変わらなかったので練習はしていたものの、なんだかモヤモヤしていましたね。
そんな折、上半身の怪我で1ヶ月練習を休んでいた友達が、
練習に復活したときに、リフティングの技ができるようになっていたんです。

「どうしたの!?」

と驚きたずねてみると、サッカーボールを用いてパフォーマンスを行なう、
「フリースタイルフットボール」の本を買って練習していたとのことだったんです。

元々僕はリフティングに自信があったこともあり、その話を聞いてからは、
その友達と一緒にフリースタイルの技を練習するようになりました。
まるで、新しいサッカーの楽しみ方を見つけたように感じ、どんどんハマっていきましたね。

それからは、部活の練習後にフリースタイルを練習してという日々を繰り返していたこともあり、
気づけばサッカー自体も上手くなっていたんです。
周りはそこまでやる気があった訳でもないので、試合に出て活躍できるようになり、
どんどん楽しくなっていきました。

ただ、そうやってサッカーに熱中していたこともあり、
卒業後のことはあまり考えていませんでしたね。
大学に行ってから考えようという感じでした。

また、たまたま携帯サイトでフリースタイルのコミュニティを見つけ、
色々な上手い人の投稿を見て触発されていたこともあり、
どうしても早く練習がしたくて、結果的には一番早く進路が決まる推薦入試で、
栃木の大学への入学を決めて、あとはひたすら練習をしていました。

「お前、ラーメンマンぽいな」


大学生活は完全にフリースタイルに没頭しました。
学校の休憩時間から1人でボールを蹴り始め、授業が終わると近くの公園で3・4時間は練習していましたね。
「今日は軽めにしようかな」と思って始めても、やっているうちに楽しくなってしまい、
気づけば数時間ということが多々ありました。
アイデアが毎日湧いてきて、やりたいことがありすぎ、練習したくて仕方ないという感覚でしたね。

また、携帯サイトのコミュニティで見つけた練習会等にも参加するようになり、
フリースタイル仲間もできるようになりました。

そんなある時、たまたまフリースタイル仲間との飲み会で、

「お前、ラーメンマンぽいな」

と言われたんです。(笑)
初めは単なるノリで言われていたのが、結局そのあだ名が定着していったんですよね。
正直、最初は「何でラーメンマンなんだろう?」と抵抗があったのですが、
その呼び名になってから、大会等で周りの方から馴染みやすく感じてもらえたのか、
応援してもらえるようになったんです。
それからは、だんだんとラーメンマンも楽しいなと思うようになっていきました。

また、魅せる種目であるという特性もあり、お客さんから応援してもらいやすくなってからは成績も良くなり、
大学2年の時の大会では全国ベスト8まで残ることができたんです。

しかし、完全にフリースタイルを楽しみすぎた結果、学校にあまり行かなくなり、気づけば2年も留年をしており、
改めて将来について考えると、こんな状況だと就職も大変だろうなと思いましたね。

それに、ここまでやってきたフリースタイルでどこまでいけるか挑戦したいという気持ちがありました。

「今までやってきた時間を無駄にしたくない、突っ込んでみよう」

という思いがあったんですよね。
そこで、大学卒業後は、上京しフリースタイル活動を行うことに決めたんです。

「ラーメンマンがラーメン屋やってたら面白いじゃん」


上京してからは、名付け親でもあった先輩のもとに泊めてもらい、
アルバイトをしながらフリースタイルの活動に取り組むという日々を過ごしました。
そこでも「ラーメンマン」というキャラを可愛がってもらい、色々紹介してもらえることができたんですよね。

アルバイトは色々な仕事を転々としていたのですが、
ある時、先輩の繋がりで、府中にあるラーメン屋さんのオーナーと仲良くなり、
バイトをさせてもらうことになりました。

ところが、僕が働き始めて数ヶ月しか経たない中で、オーナーが亡くなってしまったんです。
本当に突然のことでした。

その後、働いていたお店は、誰かに売るか譲るかしようという話が進められていました。
そして、契約期限の1週間前のある日、
「ラーメン屋をやってみないか?」と言われたんです。

全く予想していなかったこともあり、話を聞いたときは本当に驚きました。
また、ちょうどその1ヶ月前にサッカーコーチの仕事に就いていたこともあり、
すごく迷いましたね。

サッカーに携わる仕事ができて、安定していて、僕にとっては申し分ない条件の仕事に就いたばっかりだったんです。
しかし、漠然と、これは人生が変わるチャンスかもしれなという思いがありました。
同時に、これを逃したら次はないんじゃないかという危機感もありました。

そんな風に大きなチャンスを前に迷った結果、
最終的には

「ラーメンマンがラーメン屋をやっていたら面白いじゃん」

ということが決め手になり、ラーメン屋を継ぐことに決めました。

もともと、フリースタイルを始めたキッカケも、
「楽しむ」ことを追いかけたことが始まりでした。
気づけば僕は「人生楽しく」というのをテーマに選択していたんですよね。

そう考えると、たとえうまくいかなくても、この挑戦は面白いと思えたし、
何より、自分にしかできないことだという感覚がありました。

ラーメンとフリースタイルの相乗効果


そんな背景からラーメン屋を自ら営むことになり、2ヶ月が経ちました。
正直、まだ始めたばかりということもあり、色々と精一杯ですね。
日中はラーメン屋を営業し、朝と夜は練習といった毎日で、決して楽ではありません。

フリースタイルについては、現在、関東を中心に全国・海外でフリースタイルを広める活動も行っていることもあり、
どうしてもお店に立てない日は店を閉めることもあります。

ただ、それでも、フリースタイルの仲間が店を手伝いにきてくれたり、お客さんとして食べにきてくれたり、
周りの人がいることで続けていくことに自信が持てるようになった気がするんですよね。

フリースタイルがあるからラーメン屋を頑張れるし、
ラーメン屋に来てくれる人たちのためにもフリースタイルを頑張ろうという気持ちにもなるんです。

将来は、フリースタイルのパフォーマーとしてもっと有名になり、
ラーメン屋自体も知ってもらうことで、
関わる仲間の憩いの場になれば良いなと思います。

だから、これからもラーメンマンとしてフリースタイルを続けていきたいですね。

2014.08.21

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