人の道標になりたい!「言葉」と「仲間」で僕が伝えたいこと。
”人生の舵を自分で取っていく”という精神の元、「瞳を見て、直感で言葉を生み出す」パフォーマンスと、「コドナ計画」というイベントオーガナイザーを行っているたっくんさん。最近は、毎日神社でお祈りをして、ご自身のエネルギーを変える、ということもされているそうです。そんなたっくんさんが、モデルを目指して岐阜県から上京してきた過去から、現在の活動に至るまでに、一体どのような体験やエピソードがあったのでしょうか?お話を伺いました。
たっくん コドナの落書き
たっくん こどなのらくがき|言葉を生み出す活動家・イベントオーガナイザー
「瞳を見て直感で言葉を生み出す」という活動と、音楽・ダンス・トークライブを軸とした「コドナ計画」というイベントの企画、実行を行っている。
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モデルを目指して上京
高校の時はとにかく洋服が大好きでした。洋服が欲しくてたまらなくて、学校では昼ご飯を食べるのを我慢して、その昼食代を洋服につぎ込むほどの情熱でした。
当然ファッション雑誌も好きで、特に『Smart』という雑誌は穴が開くほど読んでいたのですが、その中で、ARATAさんというモデルの方が、雑誌の最後に自分のページを持っていて、自分の仲間や好きなバンドのアルバムなどを紹介していました。
そんな様子を見ていて、「僕もARATAさんのように、自分の身の回りの素敵な仲間の魅力を伝えたい」と思い、それを実現するために、ARATAさんと同じくモデルになろうと思うようになっていきました。
通っていた高校は、岐阜県内の超進学校だったのですが、入学して一番最初に受けたテストで、なんといきなり学年で総合最下位になってしまいました。自分の中の勝手なイメージで「凄く勉強できる人が大学、そこまで勉強できない人は専門学校、そこに満たない人が就職」という考えを持っていて、その後も成績は下位をキープしたままだったので、大学と専門は諦め、モデルになるために漠然と東京に行きたいと思うようになっていきました。
親に相談してみると「輝ける奴は、場所関係なくどこでも輝けるんや!」と猛反対されてしまったのですが、僕自身は場所が重要だと思っていたので、毎晩泣きながら頼み込んで何とか許してもらいましたね。そして、高校卒業後に上京してからは、街で声をかけられて事務所に所属し、オーディションを受けたり、雑誌に出演したりと、モデルとして活動を始めました。
何も伝えられませんでした。
東京では、深夜にコンビニでアルバイトをしながら、日中にオーディションを受けたり、仕事をしたりしていたのですが、基本的にはファッション雑誌に載ることが多く「これを続けていけばARATAさんのように、自分の好きなことが表現できるようになる」と思いながら、日々活動をしていました。
でも、いざ雑誌に掲載されても、そのページの中ではただモデルとして自分が載るだけで、結局仲間のことなんて何も伝えられなかったんですよね。掲載されることが目的ではなく、ARATAさんのように自分が伝えたいことを表現することを目指していたので、そんな状況に満足できず、次第にモデル活動に対するモチベーションも下がり、結果的に仕事も減っていってしまいました。
モデルの仕事は少しだけ続けながら、「おしゃれな仕事がしたい」という思いがあったため、20歳になった頃から、表参道のフレンチカフェで接客の仕事を始めました。また、たまたま行ったバーで高校の先輩が働いていて、その人に誘われたことがキッカケで、バーテンダーの仕事も並行して行うようになったんです。
接客の仕事で、お客さんと接することはとても楽しかったのですが、お店に馬が合わない上司の方がいて、次第に仕事が嫌になっていってしまいました。家からお店までは自転車で通っていたのですが、ある日「今ここで事故にあえば、働かなくて済むよなぁ」なんてことを考えていたら、本当に車に轢かれてしまったんですよ。
その事故で怪我を負ってしまい、通院が必要になってしまったため、結果的に仕事を辞めることになりました。
やっぱり接客がしたい!
怪我が治った後は、よく買い物に行っている家具店の仲が良かった店長に誘われて、しばらく家具店の店員、そして店長として働かせてもらいました。以前勤めていた飲食店と違い、お客さんとゆっくり話ができ、生活により根付いたところに関われることが魅力的でしたね。
その後、もっと色々な接客がしてみたいと思い、複数の会社の面接を受けてみたのですが、毎回、金髪に染めていた髪色を黒に戻し、塗っていたマニキュアを落とす様に言われ、それが嫌で結果的にこちらから断る、ということを繰り返していました。
でも、そんな中雑誌で見つけて応募した引越し会社の面接の時は、髪とマニキュアを指摘された時に、素直に「直してきます」と答えたんです。高校の時に応援団に所属していたのですが、その時のように汗を流して一生懸命やることにどこか魅力を感じていて、何より直感的に「ここで働きたい!」と思ったんですよね。
一般的に、引っ越しの仕事はきついイメージが強いですが、家具が好きな自分にとって、人の家の中でどんな家具が使われているかを見れるのが面白くて、また、引っ越しという不安定な状況で接客ができる、ということが魅力的に感じられたんですよね。
そんな思いから、引っ越し屋の接客は「究極の接客だ」と感じ、「将来は自分で引っ越し屋を立ち上げたい!」と思うくらい、引っ越し屋の仕事に没頭していたのですが、3年ほど続けたころに椎間板ヘルニアになったことがキッカケで引っ越しの仕事を辞めることにしました。騙し騙し続けることもできたのですが、体は資本なので無理をする必要はないと思ったんですよ。
その後、個人でアンティーク雑貨を買付け、フリーマーケットやネットで販売することを1年ほど続けたのですが、ネットでの販売は、お客さんの顔が見えないため、ずっと対面で接客をしていた自分にとって、違和感がありましたね。
1年ほど経った頃、やっぱり接客がしたいと思い、とあるスタイリストがプロデュースしているカフェで店長を募集していたので、そこに応募することにしました。
今やらないと一生やらない
そのカフェで面接を受けると、家具店やアンティークショップで店長として働いていた経験があったので、すぐに店長として採用してもらえました。自分でお店を動かしている感覚で、やりがいを感じながら働いていました。
しかし、僕自身はカフェのオーナーでもなく、雇われ店長。自分自身に賭けている訳ではなかったんです。カフェの店長として船の舵をとっているようで、実は化粧品会社という大きな船に乗っかっている小型船の舵を持っているだけで、どれだけ自分で舵を切っても、全く船の方向に影響しないんだと気付いたんですよね。
それがとても悔しくて、自分の人生の舵を自ら切るために、何かしようと思っていた2009年の8月に、アフリカで植林活動を行うNPOの活動を見つけ、カフェを2週間ほど休ませてもらい参加することにしました。実際に活動に参加してみると、みんな何かしら目標を持って参加しているので、素敵な人との出会いがたくさんありました。そこで「僕も好きなこと、やりたいこと、得意なことをやらなければいけないな。」と感じたのですが、僕は27歳にしてそれが一つも無かったんですよね。
そんな中でも「人と直接関わること」と「誰かのためになること」がやりたいと考えていた時に、NPOの代表のてんつくマンという方が昔、路上で墨を使って言葉を書く、いわゆる路上詩人として活動していたことを知りました。
その時にふと、「これなら自分にもできるかもしれない」と思いましたし、「言葉を書くことで誰かの役に立てる可能性がある」と感じたんです。今まで筆なんて一度も持ったことなんてありませんでしたが、自分もてんつくマンさんのように、筆と墨を使って言葉を書く活動を始めることにしました。
人の道標になりたい
その後帰国して3ヵ月後、12月からヒッチハイクで全国を周り、路上で言葉の書き下ろしを始めました。正直、真冬の中路上で書き下ろしをすることは、メチャメチャしんどいのですが、今やらないと結局やらないと思ったし、何より、寒さを吹き飛ばすほど本気で取り組む覚悟があったんです。
また、活動をする時の名前を考えるとき、普通なら「路上詩人○○」という名前を付けるのですが、「路上詩人」と名乗ってしまったら、路上という枠に収まってしまう気がしました。
そんな中、たまたま窪塚洋介さんのブログで、「夢を諦めても、何度でも夢を見られるコドモ心を持った大人」という意味の「コドナ」という言葉に出会いました。誰でも書ける落書きのようなものを自分の言葉と自分の字で書きたいという思いをこめて、「たっくん コドナの落書き」という名前で活動を始めました。
現在は「瞳を見て、直感で言葉を生み出す」活動を始めて5年目になるのですが、イベントなどに呼んでいただけるようになり、様々な場所でパフォーマンスをさせて頂いています。
その中で、常に大切にしていることは、「経験してモノを言う」ということです。人は自分が経験したことと、そうでないことでは言葉の重みが全然違うんですよ。だから、僕は自分が経験したことを自分の言葉で伝える、ということに徹底的にこだわっていますね。
また、書き下ろし活動を1年ほど続けた頃から、「仲間が表現できる場所を作る」という目的で「コドナ計画」という、音楽・ダンス・トークライブを軸としたイベントを、2か月に1回ほどのペースで行っています。
このイベントは、自分の身の回りの人と、自分が好きな人をつなげることを大切にしていて、いつも同じ場所でやると、自分が飽きてしまう、そして、「コドナ計画」に来る事で、行った事のない場所に足を運べるように、毎回開催する場所を変えていて、「旅する祭」というタイトルをつけています。
そんな中で一番大切にしていきたいと思っていることは、一度始めたこれらの活動を、ずっと続けていくということです。
人は常に何かを諦める理由を探しているし、辞める為の理由なんて世界中に溢れていると思うんですよね。僕の活動の軸は「言葉」と「仲間を表現する」ということで、そこに関わっていれば、形を変えてもいいと考えているので、自分が今やりたい事に素直に、今の活動をずっと続けていきたいと思います。
そうやって、未経験から始めた活動を僕が続けていくことで、例えば、自分には出来ないんじゃないかとスタートをする事さえ足踏みしてしまう人や、何かをやり切れなかった人たちの、人生の道標になっていきたいですね。
それが僕にとって、人生の舵を自分で取っていくことなんだと思います。
2014.08.18