絶望して、引きこもって、それでも音楽がしたいんです。

プロデューサー兼プレイヤーとして、音楽活動を行う八木さん。 アルバイトの傍ら、ミュージシャンとして、作曲からCD販売のプロモーションまで行っています。 音楽にかける思い、目指している音楽について、お話を伺いました。

八木 徹平

やぎ てっぺい|ミュージシャン
2人組のユニットnomadeにて、Drums兼プロデュース業を担当。
nomade HP
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初めてコードを押さえた瞬間、プロになれると感じた


昔から「音」に関心がありました。
カセットデッキを持ち歩き、気に入った音を録音して歩くような小学生でしたね。
最初に始めた楽器はチューバで、小学校の吹奏楽クラブに入ったのがキッカケでした。
第三志望のクラブだったのですが、入ってみるとすごく楽しくて、
中学でも吹奏楽部に入ることに決めました。

初めてギターに触れたのは、中二の時でした。
最初のコードを押さえて弾いた時に、

「あ、俺はプロになれる」

と思いました。
ただの勘違いなんですけどね。(笑)

ギターに触れてからは、もうその奥の深さにハマっていきました。
全校生徒を昼休みに集めて、頼み込んで文化祭を開き、ライブをやったりもしました。

高校では、先輩に憧れて始めたパーカッションに加え、作曲にも手を出すようになり、
もう一日中音楽室にいましたね。僕が鍵を持っていましたから。(笑)

絶望の色は白でした


「こいつは最高の相方だ」

そう思えるベーシストを、同じクラスで見つけたのが、高三でした。
それからはずっと一緒にバンドばかりしていましたね。
彼の存在もあり、音楽の道に進むことを自然と決めました。

まるでドラマのような話なんですが、
高校卒業後、彼はアメリカに修行に行き、僕は東京の音楽の専門学校に進み、
「二年後にまた会おう」って約束したんですよ。

東京の学生寮に住みながら、二年間専門で音楽に没頭し、
卒業後、約束通り、僕たちは再会しました。

彼が連れてきた友人を含め、5人体制のメンバーが決まり、
ついに、僕らのバンドが始まりました。

もちろん音楽だけでは食べていけないので、派遣社員をしながらの活動でしたが、
好きな事をしていたし、希望がありましたね。

ところが、思いがけぬ早さで、その希望は崩れていきました。
バンド内でとても大きなトラブルが起き、人間関係がめちゃくちゃになりました。
それだけでも本当に苦しかったのに、
同じ時期に、法改正を理由に、務めていた派遣先をクビになりました。

あまりに大きなショックが続き、曲も書けなくなってしまったんですよ。
その先にあったのは、バンドの解散でした。

あっという間に、友達もバンドもお金も、大切なものが全てなくなりました。

絶望の色は、白でした。

黒は目を閉じてしまい見えてないだけ、
目を開けているのに、真っ白で何も見えないのが絶望なんだ

そんなことをぼんやり考えていました。

成就か成仏か


それからは、実家に戻り、部屋に引きこもるようになりました。
誰にも連絡をとらず、部屋の前に食事を置いてもらうような生活でした。
やることなんかないんですが、何も手につかないんですよね。
本当に、夢よさめてくれって思いましたよ。

そんな生活が3ヶ月続きました。
前に進むキッカケをくれたのは、意外にもスラムダンクの漫画でした。
読んでいく中で、自分の中で灰になってしまった物が、
少しずつ形を取り戻し、熱を帯びていくのを感じました。
そのおかげか、友人からちょうどかかってきた電話で、
初めて帰省している事を話せたんですよね。
そのまますぐに飲みに誘ってくれ、色々話を聞いてもらったことで、
本当に楽になったのを覚えています。

それから、少しずつ自分を組み立て直しました。
まずはお金を稼がなきゃと思い、工場で派遣社員として働き始めました。
音楽の事など、全く考えていなかったです。
普通のおっさんになるのも悪くないな、なんて思っていました。

仕事にも慣れた頃、たまたま家で音楽番組を見ていたことがありました。
何気なく見ていただけなんですが、
「自分ならこう演奏するのに」って、注文をつけている自分がいることに気付きました。

音楽に未練があったんですよ。

もう音楽はやらないつもりだったけど、表に出さないだけで、
心の底では、やっぱり中途半端に引っかかってたんですよ。
このままじゃ、普通のおっさんになれないと思ったんですよ。

自分にとっての音楽を、「成就」か「成仏」させなきゃって思ったんです。
やり切ってみて、「やっぱりダメだった」でもいいんですよ。

その日、僕はもう一度音楽と向き合う事を決めたんです。

人の心を導くような音楽


その日から、必死で100万貯めて、再び上京しました。
逃げるように帰省してから、もう一年近く経っていました。

「あんたは帰ってくると思っていたよ」

解散したバンドのボーカルが、上京した僕にかけてくれた言葉でした。

待ってくれていたんですよ、僕のことを。

本当に嬉しかったです。ここからもう一度スタートしよう、そう思いました。
5人から2人に減りましたが、僕らのバンドは再始動しました。

バンド名は変えないことに決めました。
弱い自分を受け止め、背負う物を背負っていこう、そんな決心がありました。
5人で始めた日と変わらぬ名前で、今日まで活動を続けています。

活動を再開してからも、音楽で食べていくことの厳しさは変わっていません。
自分には才能がないという思いに直面することが何度もありました。
1回の成功を掴むための、99回の失敗がすごくきついんですよ。
解散の話がでたことだって、何度もあります。

でも、このまま終われないんですよね。

自分は色々な人に導かれた人生だと思うんです。
だから、音楽を通じて、人の心を導き、盛り上げていけるような人間になりたいんです。

東日本大震災の後の、坂本九さんの「上を向いて歩こう」 がそうだったように、
音楽には、やっぱり力があると思うんですよ。

人の心に直結する音楽をしたい、そんな風に思っています。

2014.02.24

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