「生きる力」を身につけた人材を。外資コンサルから独立し気づいた、人の大切さ。

IT系のベンチャー企業にて、「生きる力をつける」ことを理念に人材育成に情熱を傾ける森下さん。海外留学・外資コンサルから独立という輝かしい経歴を持つ森下さんが、「人」を何よりも大切にするようになったのには、あるキッカケがありました。

森下 洋次郎

もりした ようじろう|ITソリューション事業運営
ITソリューション事業を運営する、バズー株式会社の代表取締役を務める。

バズー株式会社
下宿らうど

サッカー選手を目指した学生時代


中学高校と、何よりもサッカーに打ち込みました。

中学受験を経て進学してから、最初は野球部に入ろうと思っていたのですが、
野球部がとても弱そうだったこともあり、「もっと挑戦したい」という気持ちで始めたのがキッカケでした。
自分よりうまい選手も沢山いましたが、志願して自らキャプテンを務め、
気づけばプロ選手を目指すようになっていったんです。

学校が鹿児島だったこともあり、親元を離れての寮生活だったのですが、
そこが先輩を含めた8人部屋で、徹底した上下関係のもと、
よく先輩に呼び出されてボコボコにされていました。

それでも周りは助けてくれないので、そんな環境で耐え抜かなければいけないため、
精神的に独立するのは早かったですね。

元々、影響力の大きい兄の後ろに隠れる引っ込み思案な次男、といった性格だったのですが、
寮生活をすることで、

「兄貴の元でなくても、俺もできるんだな」

という自信をつけていきました。

高校生になる頃には、鹿児島の、あるサッカーの強豪校に転校したいと本気で考えていたのですが、
進学校に通っていたこともあり、両親から、

「そんなために学校に行かせたわけじゃない」

と泣かれてしまったんですよね。
結局、サッカーが強くて、親の期待にも沿えるような、東京の私大に進学することに決めました。

もちろん大学でもサッカー部に所属し、これまで以上にのめり込んでいきました。
2年生頃から試合にも出始め、サッカーで食べていくことしか考えていませんでしたね。

ところが、4年生の時に、入学したばかりの1年生にレギュラーを奪われてしまったんです。
それまでであれば、負けん気が働いていたのですが、この時ばかりは差が埋まらないんじゃないかと思い、
心が折れてしまったんですよね。
愕然としました。

J2でもJ3でも良いからサッカー選手としてやって行こうという気持ちはあったものの、
テストにも受からず、結局サッカーを諦めることになってしまったんです。

アメリカ留学を経て外資コンサルへ


サッカーを諦めてからは、絶望感でいっぱいでした。

打ち込めるものがなくなってしまい、「次は何をしようか」と、
何かキッカケを求めていた気がします。

そんな折、友人がアメリカに留学するという話を聞き、
色々なチャンスがあるんじゃないかと、自分もニューヨークに留学することに決めました。

現地ではインターンをしてみたり、オシャレなパーティーに顔を出してみたり、
サッカーに比べると燃えはしないものの、なんとかもう一度歩き始めたような気がしました。

また、ちょうどその時期にアメリカでコンサルブームが起こっており、
優秀な方が業界にたくさん集まっていたのですが、自分自身、コンサルの先輩に出会い、
すごく憧れていったんですよね。

その中でも、最初は自分にお金をかけてくれる会社がいいなと思い、
入社後、フロリダにて海外研修を行っていた、研修制度の一番充実した外資コンサルに入ることに決めました。

実際に入ってみると、とにかく世界中の優秀な人が集まってきており、

「世界でやっていくというのはこういう感覚なんだな」

と感じ、非常に刺激的でしたね。
研修を終えてからは、国内の大手メーカー等のプロジェクトに従事し、
入社後2年間位は、とにかく仕事に打ち込んでいました。

夜中2時・3時まで働くのはあたりまえという感じでしたが、
すごくやりがいを感じていましたね。

「会社の歯車でしかなかったんだな」


ところが、そんな働き方を続けたことで身体を壊してしまい、
少し休まなければいけなくなってしまったんです。

そして、休みから復帰して会社に戻ったときに、
それまでと変わらず会社が回っていることに対し、愕然としたんですよね。

自分は価値を発揮しているつもりでしたが、影響力は弱く、

「会社の歯車でしかなかったんだな」

と感じたんです。
それに気づいてからは、自分が良いなと思っていた個性も失われていくように感じられ、

「このままだと嫌だな、カッコよくないな俺」

と感じ、自ら事業を経営する方向に関心を持つようになりました。

そんなタイミングで、たまたま人の縁から、IT系の決済のシステムを作る事業会社の社長に出会ったこともあり、
まだ創業期に、入社することに決めたんです。

その会社は小さな雑居ビルにオフィスを構えたばかりで、
入ってから最初の仕事は、タイムカードを購入したり就業規則を整えたりとあらゆる仕組みづくりでした。
「1から100を作るというのはこういうことなんだな」と実感しましたね。

そして、そうやって企業の経営に携わるうちに、自分で0から挑戦したいという気持ちを持つようになりました。

自分は営業・コンサルができるし、人脈もある。
自分の影響を強めるには、自分の城を築くことが一番だと感じたんですよ。
世の中のトレンドからモバイル関連の事業に注目していたことも重なり、
自ら会社を立ち上げることに決めたんです。

それからは、完全に自分が主役で会社経営を進めていきました。
まずは前職の時価総額を追い抜こうと思い、数字を作るのに必死でしたね。

コンサル出身ということもあり、売上や時価総額などの数字はうまく伸ばしていくことが出来、
資金の調達も行い、順調に成長していきました。

人を大切にしていなかった


ところが、外面の数字だけを追った弊害から、
気づけば、事業の状況が全面的に悪化してしまっていたんです。

ふと社内を見渡すと至る所でクライアントからのクレームが届き、
とんでもない状況になっていました。
事業は役員以下に任せていたのですが、気づかぬ間に会社はピンチに陥っていたんです。

それからは建て直しのため、できる施策は全て行いました。
役員に辞めてもらったり、株も自らの資金で買い戻したり。
そして何より、大量のリストラを行ったんですよね。

全社員を集め、

「今後、事業の状況は悪くなっていく確率の方が高いと思う。でも俺は責任をとるから。」

と伝えたんです。
結局、30名程いた社員のうち、残ったのは4・5名でした。

会社を離れた仲間の中には、良い関係のまま離れることができなかった人もいて、
本当に申し訳なさを感じました。
自分がこれまで人を大切にしていなかったことを痛感したんですよね。

同時に、

「従業員が輝いていないと、お客さんもついて来ないよな」

と感じ、再度会社の理念や指針を示し直すことに決めたんです。

「生きる力を身につける」


その後、とにかく逃げずに耐え続けたことで、なんとか事業は持ち直すことができました。

そして、

「生きる力を身につけた人材を育成し、文明社会に貢献する会社を創る」

という経営理念のもと、人材育成、特に新卒社員の成長に力を入れています。
人を大切にできずに失敗した後悔があるからこそ、とにかく人へのこだわりは強いですね。

実際に、新卒の社員が入社すると、自分がつきっきりで研修を行います。
「生きる力」とは、「どんな状況でもやっていける精神力」と「肝の座った胆力」だと考えているので、
ストレス耐性を磨いた上で、範囲を明確にして「任せる」ことに切り替え、
活躍するための基礎作りの部分に、一緒に取り組んでいるんです。

自分自身、新卒社員がお客さんから評価される瞬間に、一番高揚感を感じるんですよね。

最近では海外の拠点で数十人をマネジメントしたり、子会社として独立し、
社会的に意義のあるサービスを提供する人材の輩出にもつながってきています。

最終的には、社内ベンチャーでもまだ不十分で、
後世に残るようなサービスを創っていくような人を沢山生んでいきたいんですよね。

事実、先日弊社から生み出された「下宿らうど」というサービスは、
発案した新卒社員にそのサービスを持って独立させました。
立ち上げて直ぐにテレビ取材が入る等注目度の高さからしても、今後の成長に期待したいと思ってます。

この流れで 卒業生達が「バズーマフィア」として活躍するような会社にしていきたいですね。

2014.07.15

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