「草の根的な活動がもっと重要になる」公務員の僕がNPOを立ち上げた理由
公務員としてたくさんの人の生活を支える仕事をする一方で、草の根的な活動を地道に行う非営利団体に「ヒト・場・カネ」といったリソースを提供する、ユニークなプロジェクトや、NGOと隙き間時間でボランティアをしたい人をつなげるボランティア募集サイト:Collavolというサービスを行う柚木さん。その背景にある考えを伺ってきました。
柚木 理雄
ゆのき みちお|「あったらいいな」を想像して創造するNPO代表
普段は公務員として働きながらも、『生きがいを感じることができる社会へ「あったらいいな」を想像して創造する』
をビジョンとする特定非営利法人芸術家の村の代表として、様々な社会を良くする活動を展開中。
芸術家の村Webサイト(職員募集中)
日本の教育に合わず、将来は世界に出たかった
もともと出身は兵庫県なんですが、6歳の時にブラジルに引っ越し、ブラジルの小学校に入学しました。その学校は非常に人数が少なく、同い年の人は1人もいないため、入学式は私1人というなかなかシュールな体験もしました。
人数は少なかったものの、ブラジルでは個々人の得意なことにはどんどんチャレンジできるため、小学生でも大学入試の国語の問題をやらせてもらったりと、すごく刺激的な毎日を送っていました。
ただ、小学4年生になって日本に帰国することになったのですが、誰でも得意・不得意があるのにそこでは学年や年齢に応じてやっていい範囲が決まっていて、自分には全く合わず、小中高と毎日の学校生活を楽しめなくなったんです。
他の子よりも飛び出さないように、身を守るためには、「日本では学校で答えが分かっていても手をあげてはいけないんだよ」と妹に言っていました。
また、何かをやるときに決まった通りにやらないといけない、自分で考えてやってはいけないというのも印象的でした。アメリカ帰りの子がいて、その子が描画会で絵を描く時間に、下書きをせずに直接絵の具で描いたら先生が激怒していたんですね。絵を描く時には下書きをしないといけないなんて決まりもないのに。
そんな反発心からでしょうか、将来は海外で働きたい、海外に住みたいとずっと思っていましたね。
シェアハウスやゲストハウスでの生活で、“場”の魅力に気づきました
大学に入学してからは、バックパッカーとしてたくさんの国に旅に行きました。最初は中国や東南アジアからスタートして、全部でだいたい40カ国程でしょうか。
海外に出ると、現地で話をした人にとっては自分が初めて出会った日本人、いわば「日本代表」のようになることがあります。それまでは「国籍なんか関係ない」「国際人ってかっこいい」なんて思っていたのですが、日本のことを聞かれたときに、実は自分が日本のことを何にも知らないことが分かってきてだんだんと恥ずかしくなってきました。
そんな中で日本の凄いところを感じるようになり、徐々に日本への関心も高まっていきました。同時に、日本には、たくさんの問題があることも見えてきて、このままでは日本はやばいんじゃないかと思ったんですね。
そんな時、フランスに1年留学をする機会を得たんです。当時はEUがすごく注目されていた時期で、私自身も連合体としての国や地域の在り方に関心がありましたし、それを見る事で何かしら日本の問題を解決するきっかけも得られるのではないかとフランスに行きました。
そこでの住居が共用のキッチンのある寮、日本にあるシェアハウスのようなところだったんですが、ここがとにかく凄く楽しかったんです。様々なバックグランドを持った人同士で毎日の様にパーティーをやって、いろいろな発見があって。人が集まる場所があるだけでこんなにコミュニケーションができるんだと。
これを機に将来的にはこのような様々な価値観やバックグランド、スキルを持った人たちが集まって、新しい何かを生み出せるような場所を創りたいと漠然と考えるようになりました。
日本に帰国してからも、この体験がすごく心に残っていて、京都のゲストハウスに住み込みました。毎日の様に国籍の違う友人と語り合ったり、パーティーをして過ごす中で、“場”を創りたいという思いは強くなっていきましたね。
震災を通してNPOに興味を持ち、バングラディシュへ
その後、自分はいったい何のために働きたいのか、自問自答をしたときに、やはり生まれ育った日本のために働きたいと考え、大学を卒業してからは公務員として働くことにしました。そして実際に働いてから数年が経ったとき、東日本大震災が起こったんです。
そこで活躍していたのが様々なNGOです。価値観が多様化していく中で、より多くの人がHappyになるには、このような草の根的な活動もこれからどんどん重要になってくるんじゃないかと強く思ったんですね。
それまでは交流会や勉強会を主催したり、参加したりする事でかなりのインプットを行っていました。しかし、これからは自分の得たものをアウトプットしていきたい。
そしてアウトプットをするのであればNGOとしてやりたいと考え、「芸術家の村」という団体を立ち上げました。相手は1人でも10人でもいい。それぞれが「生きがいを感じることができる社会」を目指し、そのために「あったらいいな」を想像して創造するクリエイティブな集団です。
芸術家の村で活動していく中で、どうやら人的・経済的な理由で、活動を継続できなくなってしまうNGOがたくさんあるということを知ったんです。特に、代表的な法人格でNPO(特定非営利活動法人)については、法人名に「非営利」と入ってしまっていることもあり、利益をあげてはいけないと誤解している人も多く、それがNPOの本来の目的である「社会問題の解決」の可能性を狭めているのではないかと思いました。
そんな時に知ったのが社会問題をビジネスとしても成り立たせながら解決する「ソーシャルビジネス」です。すっかりファンになってしまった私は、長期休暇の際にバングラデシュを訪れました。そこで、「ソーシャルビジネス」の提唱者で、ノーベル平和賞を受賞されたムハマド・ユヌスさんともお会いできる機会を得て、そのビジネスモデルや考え方にもの凄く感銘を受けました。
「ソーシャルビジネス」を創りたい
バングラデシュに行ったことでいろいろな人が集まって何かを生み出す“場”を創りたいという想いと、ソーシャルビジネスが繋がりました。
そこで創った“場”が“Social Business Lab”です。とても重要な役割を担うたくさんのNGOが、人的・経済的な理由で活動を続けられなくなっている。その問題を解決するために創った、集まりやすい都心で、安くて、NGO同士のつながりができて新しいソーシャルビジネスを生み出せるような場所です。
現在は、さらにNGOと隙き間時間でボランティアをしたい人をつなげる“CollaVol”というサービス。毎月1万円を寄付する10人のメンバーが集まり、トータルで10万円以上を共感した団体に寄付をする、“SOIF”などNGOに不足している「ヒト・カネ」のリソースを提供する事で、「NPOの継続的な活動」を支えるプロジェクトに力を入れています。
そして、この“場”では世界遺産に指定された「三保の松原」を活性化させるプロジェクトが企画されたり、アーティストによる「綿棒の茶室」が制作されたりと、とてもクリエイティブな活動が生まれています。
幸いなことに芸術家の村自身もこれらのプロジェクトによって、有給職員を募集できるだけの事業規模となりました。これからも、どんどんと新しいソーシャルビジネスを創っていきたいと思っています。
2014.07.15