大人になるって、面白い。 遊びと「共育」で子どもが夢を描けるまちを。

まちづくり、遊び、教育(共育)の3つの軸で、アーバンデザインやコミュニティデザイン、ボードゲームカフェの運営、ソーシャルデザインゲームの開発など幅広く活動する安藤さん。つまらないと感じていた子ども時代を抜け、仕事に楽しさを覚えていましたが、大学の教え子や同期、仕事で関わる子どもたちから聞こえてくるのは、働くことへのネガティブな言葉でした。なんとかしなければと感じた安藤さんが行った取り組みとは?そして描く未来とは?お話を伺います。

安藤 哲也

あんどう てつや|まちづくりコンサルタント
明治大学大学院理工学研究科建築学専攻修了。不動産ベンチャー企業を経て株式会社首都圏総合計画研究所に入社。2015年、NPO団体わくラボ設立。ボードゲームカフェ武蔵新城を開店、店長を務める。同年、退職しコミュニティデザインラボmachi-kuを設立。2017年より、柏アーバンデザインセンター(UDC2)副センター長に就任。「子どもサンカク広場」にて2020年グッドデザイン賞を受賞。楽しみながら憲法を学ぶボードゲーム「kenpogame -kenpoバリアで日本を守れ!-」を制作。

くすぶっていた日々


千葉県で生まれました。年の離れた姉が2人いる、3姉弟の末っ子です。姉たちは同級生と遊ぶことが多く、近所に年の近い友達もいなくて。いつも一人で庭で遊んでいました。寂しかったですね。一方で、独立心というか、自分で決めて自分で動くことが当たり前だったので、小学校の高学年の頃には「社長になりたい」と口にしていました。

小学校では、先生から理不尽なことを言われて押し付けられるのが嫌でたまらなかったです。「これは学校のルールだから」と言われても納得できない。そのルール自体が間違っていることもある。なんでも大人が正しいというのはおかしいと思いました。「子どもだからってそういうのはおかしい」と口ごたえすると、先生に目の敵にされて。何をしても僕だけ前に立たされて怒られることもありました。

月曜日はいつもブルー、夏休みがずっと続いて欲しいと思いましたね。学校に行きたくなさすぎて、しょっちゅう仮病を使って休んでいました。

中学、高校と進学しても、つまらない感覚は無くなりませんでした。成績はよかったですし、運動系も芸術系も、人並みよりできました。部活に入り、友達も彼女もいて、幸せな生活だったと思います。でも、どこか歯車が合わないような、ずっとくすぶっている感覚がありました。

ようやく人生が始まった


とはいえ進学校だったので、進路を考える時期になるといろいろな大学を見始めました。その中で、「都市環境デザイン」という学科名に惹かれたんです。まちを作っていくシミュレーションゲームが、小さい頃から好きだったんですよね。現実のまちを作るのも面白そうだなと感じ、分野を絞って受験。都内の私立大学の建築学科に進学しました。

建築の授業が始まり、面白いといいなと思っていたものの、始まってみると窓の形や手すりの位置について解説されるばかり。空間とはこうあるべきだ、という感じの話。僕がやりたいこととは違ったんですよね。やっぱり全然面白いと思えませんでした。

2年生になった時、設計の課題を出してきたある先生に言ったんです。「先生、僕は建築学科だけど、建築の空間が大切だと全然思えない。人が空間をどうやって使うか、そういうところを考えたい」と。どうせ否定されると思っていました。しかし、その先生は「それなら、そのままでいいんじゃない。やりたいことをやりなよ」と言ったんです。

衝撃を受けました。これまで「こうしなさい」と言う大人が多かった中で、生まれて初めて自分を受け止めてくれる大人に出会ったんです。その言葉に背中を押されて、次の課題は自分の思うままに取り組みました。

課題は、「高さの違う2本の木が立っている空き地に、自由に建築物を設計せよ」という内容。建物を建てろという課題なのはわかっていましたが、僕は2本の木を主役に広場を作ろうと決めたんです。建物は建てずに、木の間に穴を掘り、木を眺めながら人が歩き、休憩できる場所を作りました。A1サイズのケント紙2枚に手書きで、芝などもびっしり細かく書き込みました。

すると、その課題で優秀賞を受賞することができたんです。嬉しかったですね。それまでずっと周りの環境と歯車が合わない気がしていました。でも、自分を認めてくれる人と出会って評価してもらえて、ようやく「人生が始まった」と感じました。自分の思うようにやっていいんだ、アクセルを踏んでいいんだと思うことができたんです。

まちづくりを仕事に


そこからは、やりたいと感じたことに積極的に取り組むように。先生も研究室の先輩も、背中を押してくれました。

大学3年生の時、代々研究室でやっていた商店街のお手伝いを引き継ぐことに。これまでの研究室の先輩たちはお手伝いをネガティブに捉えて受動的な活動しかできていない現状があったので、自分たちで主体的に活動できる環境を作ろうと、新しくまちづくりサークルを立ち上げました。大学に呼びかけ有志を募ると、30人くらいが集まって。みんなでアイデアを出し合いながら、商店街を支援していきました。大学4年生からは、機会があって別の大学の活動にも参加させていただくことになり、輪が広がりました。

自分で考え動いているので、「楽しい」しかなかったですね。商店街の人に会いに行ったり、その度にお酒をたくさん飲んだりするのが大変なこともありましたけど(笑)それも含めて、何もかも楽しかったです。お手伝いした方々にも喜んでいただけて、まちづくりを仕事にしようと考えるようになりました。

しかし、今は大学生だから商店街やまちの方々にちやほやしてもらえるだけで、社会人になったら違うだろうという気持ちもあって。大人になってもまちの人たちと交渉していけるように、まずビジネスを学ぼうと思いました。

そこで、大きくお金を動かすイメージがあった不動産業界のベンチャーに就職。2、3年働いて、自分で土地を購入し、物を建てて売却するところまでやったら辞めようと考えていたんです。

ところが、入社してすぐにリーマンショックが起こり、3カ月後に会社が倒産してしまいました。世の中は不景気になり、次の就職先はなかなか見つかりません。5カ月ほど仕事を探し、ようやく就職先が決まりました。

しかし入ってみると、そこは真っ黒なブラック企業だったんです。出社すると机の上にパソコンと住所録があり、「ここに電話して」と指示されました。入社前に受けた説明とは全く違い、ひたすら電話をかけて顧客メリットの感じられない商品を売りつける仕事でした。

だんだんと胃の痛みが止まらなくなり、最終的にはお医者さんから精神安定剤を処方されるように。10カ月ほど働いて耐えられなくなり、退職を決意しました。大学時代の恩師に心配をかけていたので、「こんなことになって申し訳ない」と退職の報告をしました。すると、「心配していました。ちょうど都市コンサルタントの事務所が募集を出しています。あなたに合っていると思いますよ」と仕事を紹介してもらえました。応募すると即採用していただき、都市コンサルタントの事務所で働けることになったんです。まちづくりを終の仕事にしようと思っていたのですが、思いの外、早くはじめることになりました。人生ってこんなものかもしれないと大きな流れを感じましたね。

子どもたちの現状をどうにかしたい


その頃、やっぱり心配をしてくださっていた、大学時代の別の恩師と先輩と飲む機会があり、自分の状況などさまざまな話をしていました。その中でふと、「安藤くん、君は何がやりたいの?」と聞かれました。「まちづくり」と答えると、「じゃあ執着することは?」と。

「やりたいことと執着してしまうことは違うんだよ。『これをどうにかしなければならない』とどうしても思ってしまうことはある?」そう言われて、僕は自然と「日本の子どもたちをどうにかしたい」と答えていたんです。僕の中で言語化されていなかったけれど、子どもたちの置かれている現状に課題感を持っていたんだと、そのとき気がつきました。

思い返してみると、修士論文のテーマは「通学路環境に置ける子どもと大人の認識のずれ」。大人が「ここは危険だ」「ここは楽しいだろう」と感じる場所は、子どもにとって本当にそうなのか?を明らかにしていく内容でした。

その調査の中で、都心の学校に通う子どもたちは、遊ぶ場所がなくひどい環境に置かれていると感じていたんですよね。子どもたちは放課後になると、学校には残っちゃいけないと追い出され、学校の近くの通学路では、見回りに来る地域の大人に早く帰れと言われていました。でも、電車通学で友達とは利用する駅が違うから、結果的に学校の最寄りの駅のホームで遊ぶしかないと話していたんです。そんなところで遊ぶしかないなんて、なんとかできないかと感じていました。

そんなことを思い出して、だから手段としてまちづくりの仕事を選んでいるんだと納得したんです。それ以来、都市コンサルタントの事務所で仕事をしながら、子どもたちに向けて何かできないかなと考え始めました。

そんなある日、ネットでたまたま海外のボードゲームを見つけました。そういえば小さい頃はこういうゲームが好きだったな、と思って、奥さんと一緒に遊ぶ用に買ってみたんです。やってみたら、衝撃的な面白さでした。ゲームの内容が面白いのはもちろん、木製の駒や美しいゲームボード、手触り、デザイナーの誇りさえ感じられるところに惹かれましたね。

この面白さをもっと広められないかと考えるようになりました。その中で、「おもちゃコンサルタント」という資格があることを知って取得したんです。おもちゃコンサルタントになると、団体から補助を受けて海外のおもちゃを借り、おもちゃの広場というイベントを開催できるようになります。いろいろな場所でおもちゃの広場を開催しました。そのうちに、ある小学校から「ボードゲームを学校でやってみないか」とお声かけいただき、ワークショップを開くようになったんです。図らずしも、子どもたちに向けた仕事ができることになりました。

やっているうちに、ボードゲームは子どもの教育に活かせると実感しました。まちで子どもたちをみていて、公園に集まっているのにずっとゲームをやっていたり、友達と一緒にいるのにスマートフォンで自撮りしていたりする光景に違和感を覚えていました。大人も同じですが、目の前の人間とのコミュニケーションではなく、スマートフォンやゲームと向き合う時間が増えているんですよね。

でも、海外ではスマートフォンが流行してから鬱病が大幅に増加しているという調査結果があったり、精神科医が「人間の精神を安定させるには、運動と睡眠と人間同士のつながりが大事」と話していたりします。画面と向き合う時間ではなく、人とコミュニケーションする時間を増やし、対人の中での感覚を磨く。ボードゲームの良い意味でのアナログさ、不便さは、そんな時間を生み出せるのではないかと思ったのです。

まずは大人が変わらなきゃ


小学校でのボードゲームは好評。子どもたちはすごく楽しいと言ってくれました。しかし何回か続けるうち、これじゃだめだとわかってきました。

子どもがボードゲームの楽しさを知っても、経済力や決定権はないのでそこで終わってしまうんですよね。「今日学校でボードゲームをやって楽しかった」と伝えても、親が「よかったね、宿題やんな」とスマホを渡していたら何も変わらないんです。大人のマインドが変わらないとダメだと思いました。

そこで、大人も対象とした講演会&体験会形式に内容を変えていったんです。子どもがボードゲームで遊んでいる間、大人には「育脳」をテーマにしたレクチャーをします。スマホの危険性や、アナログでのコミュニケーションの大切さなどを話した後、大人たちにもボードゲームを体験してもらう。まずは大人だけで遊ぶことが大切です。大人は子どもと一緒に遊ぶと手加減をするからです。それではボードゲームの本当の楽しさを理解できません。そのことを知ってもらった上で、最後の1時間は大人も子どももミックスします。前半で大人もエンジンがかかっていますから、みんな本気で遊びます。本当に楽しそうな時間が流れます。そんな風に少しずつ、ボードゲームを通して遊びの中で気づきを得る、講演会のスタイルを作っていきました。

その頃、社会教育やアクティブラーニングの文脈で、母校の大学で講師をする機会もいただきました。大学生が地域の小学生と一緒にまちづくりのプログラムに取り組む授業だったのですが、教え子から「これから就活だ、就職したら人生終わりだよな」という声が聞こえてきたんです。僕は働くことが楽しいと感じていたので、すごくショックでした。

一方で、大学時代の同期と飲み会をしても、会社や上司、社会に対する愚痴が増えていました。建築系の仕事は激務が多く、精神を病んでやめてしまう人も。教え子たちも同期も働くことに対して非常にネガティブで、「これはなんとかしなければ」と危機感を覚えました。

ダメ押しは、プログラムで関わった小学5年生の男の子の一言。雑談していた時、「やっぱり六大学ぐらいを出ないとろくな仕事につけねえよ」と言ったんです。小5の子がそんなことを言っているのに、がっくりきてしまって。それはその子の考えというよりも、おそらく彼の身近な大人が日常的にそう言っているんですよね。

こんな社会では、子どもが夢を描けない。子どもたちが夢を描けるためには、まずは大人が変わらなければいけない、と思いました。

遊びながら、大人の背中を見せる


そこで独立し、フリーランスとしていろいろな活動をするように。まずは大人がノンアルコールで楽しく集まれる場所を作ろうと、ボードゲームカフェを始めました。大学生の時に支援していた商店街のお店の方が、場所を貸してくださることになったんです。

ちょうど同じタイミングで千葉県柏市の駅前のまちづくりにも携わり始めました。柏駅周辺の20年後の将来像を描き実現を目指す、難しいですが大変にやりがいのある仕事です。

また、ドイツのミュンヘン発祥の「こどものまち」という取り組みに出合い、やってみたいと考えるように。子どもたちが自分たちでつくる仮想のまちで働き、遊びながら社会の仕組みを学べるプログラムです。ドイツでは「ミニ・ミュンヘン」と名付けた取り組みが行われていて、日本でも「ミニ・◯◯」と名付けたこどものまちが多くのまちで開かれていました。

横浜で「ミニ・ヨコハマシティ」が開かれると知り、視察に行ったんです。すると、アテンドしてくれた先生が僕が川崎に住んでいると知り、「ちょうど川崎のママが来て、何かやりたい」と言っていたよ」と教えてくれました。繋げてもらって、2人のママさんと「ミニ・カワサキ」をやろうと盛り上がりました。

その勢いで半年後、ミニ・カワサキ2018を開催。こどもたちのまちを作る、というコンセプトを面白がって、川崎にゆかりのある面白い大人が集まって、支援体制ができたことがよかったですね。

こどものまちで実現したかったことは2つ。一つは子どもたちがいろいろな関係性を築けるようにすることです。僕はこどもの頃、毎日がすごくつまらなかったけれど、もっといろんな大人に出会えていたら違ったんじゃないかと思うんですよね。大学で出会った先生のように、歯車が合う、認めてくれる人にもっと早く出会えたらこども時代に楽しく、夢を描けたんじゃないかと思うんです。子どもたちは環境を選べないからこそ、安心感のある場の中で様々な大人や他学年の子どもと出会って繋がって欲しいと考えました。

もう一つは大人が成長することです。こどものまちのルールの一つが「大人は口出し禁止」。そのルールに子どもたちがどれだけ喜ぶかをみていると、成長にとって大人がどれだけ邪魔か実感するんです。当日、子どもたちを見る親御さんたちは、「普段どれだけ口出ししていたかわかった」と話していました。

子どもたちへの様々な出会いの提供と、大人の成長。ミニ・カワサキでは両方とも実現できたと感じました。

子どもが夢を描ける社会をつくる


今は、コミュニティデザインラボmachi-kuの代表として、フリーで活動しています。引き続き、柏市にある柏アーバンデザインセンターでのまちづくり、ボードゲームカフェや講演などに取り組んでいます。

活動を通し、目指しているのは子どもが夢を描ける社会を作ること。まちづくり、遊び、教育(共育)と、それぞれの軸から実現したいと考えています。

たくさんの子どもたちと関わり、僕自身にも子どもが生まれました。その中で改めて思うのは、教育は一方的に教えるものではないということ。「教え、育てる=教育」ではなく、大人も日々アップデートしていく「共に育つ=共育」であるべきだと考えています。そのためには、ボードゲームや「こどものまち」の取り組みのように、遊びながら学べる仕組みが大事だと感じています。

今後は、そんな「共育」に繋がる活動を増やしたいですね。子どもと一緒に生き方を考えるような塾もやってみたいと思っています。子どもたちが「大人になるのが楽しい」と思えるように、夢を持てるような社会を作りたい。そのためには僕自身、大人になった今感じている楽しさを伝えていきたいですし、同じように感じる大人たちを増やしていきたいと考えています。

2021.12.02

インタビュー・ライティング | 粟村 千愛
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