「好きなことを好きな奴らと」仲間の幸せの先に見えた、自分の幸せ。
地元群馬県高崎市で会社経営を行う傍ら、地域活動にも取り組む清水さん。就職活動で得た内定を辞退し、複数の会社の経営を行う中で見つけた、自分にとっての幸せのために必要なこととは、どのようなものだったのでしょうか?
清水 明夫
しみず あきお|シェアハウス・web製作事業運営
複数の会社経営に携わる傍ら、地元群馬の地域活動に取り組んでいる。
Roots株式会社
Murabito株式会社
株式会社Village Works
端っこにいる人が気になってしまう性格
中学からギターを始め、高校では軽音楽部でギターやドラムに熱中していました。
将来はミュージシャンを目指していたのですが、TVドラマの『GTO』に憧れて、
教師にも関心を持つようになったんですよね。
勉強は特に好きでなかったのですが、漠然と「熱い感じ」に惹かれました。(笑)
そんな背景から、両方追いかけることができそうだという理由で、東京の大学の教育学部に入ることに決めました。
大学に入ってからも音楽は続けていたのですが、
実際に教育学部に入ってみると、教師ではなく、カウンセリングやコーチングに関心を持つようになったんです。
昔から、端っこにいる人が気になってしまう性格で、
盛り上がっている輪に入りたくても入れない人や、盛り上がりたくないのに盛り上がっている人達を、
「なんとかしたい」と思ってしまう性格なんですよね。
自分自身、何度も悩んだ経験があったし、他の人との「対話」に関心があったんです。
特に勉強が教えたい訳でもなかったし、よく考えてみれば、『GTO』には勉強を教えるシーンなんて無かったですしね。(笑)
そんな背景もあり、教師ではなく、カウンセラーになりたいと思うようになりました。
俺はやりたいことをやろう
ところが、どうやったらカウンセラーになれるか分からなかったこともあり、
大学3年生になってからは、就職活動を始めました。
そこで色々な人に会う中で、学生ベンチャー等が流行っていた時代だったこともあり、
段々と、ベンチャーの方が面白そうだと感じるようになりました。
「自分の力で何かを成し遂げようとしている感じ」
が魅力的だったんですよね。
自分自身、起業にも興味を持ち始めたのですが、
なんとなく、「3年は会社に勤めろ」というような言葉が頭にあり、
人材系のベンチャー企業に就職することに決めました。
ところが、その後、自分が運営していた就職活動支援の学生団体のつながりで、自分のメンターのような方に出会ったのですが、
その人は自分のやりたいことを最初から続けてきたような人だったんですよね。
「やりたいことを最初からやっていいんだ」
ということに、衝撃を受けました。自分に許しを出せたような感覚でした。
それからは、「3年は会社に勤めろ」というのも、「10年は会社に勤めろ」というのも、
「すぐに起業しろ」というのも自分の道を正当化したい人のアドバイスのように感じるようになり、
「どうでもいい、俺はやりたいことをやろう」
と考えるようになったんです。
大学の卒業2ヶ月前、僕は内定の辞退を決めました。
親からは反対されましたが、同じようにやりたいことを最初からやる人を支援しようという思いから、
起業家支援のスクールを運営することに決めたんです。
何をしたらいいか分からない
しかし、自分の思いを形にした事業では生活できるほどにうまくいかず、
半年で事業をたたむことにしました。
また、並行してコーチングの活動を行い、「死にたい」と悩む方の相談を複数受けている中で、
ある時、自分自身の無力さを感じ、無気力になってしまったんでしまったんですよね。
事業がうまく行かず、自信がなくなり、先が見えなくなってしまい、
家に引き込もってしまうようになったんです。
それからは何もせず、本当にただずっと家で寝ていました。
何をしたらいいかが、分からなかったんですよね。
そんな状況を脱するキッカケになったのは、ルームシェアをしていた仲間の存在でした。
学生時代から一緒に住んでいたのですが、周りも皆起業し、それぞれのチャレンジを行っていました。
そんな仲間の挑戦を見ているうちに、自分も何かしたいと思えるようになったんです。
「俺もできる」
という活力が出てきたんですよ。
それから再び独立し、シェアハウスの会社を立ち上げることに決めました。
色々な人にコーチングをする中で、その場ではすっきりして帰るものの、
次に会う時はまた同じ悩みを持って帰ってくるんです。
そんな経験をする中で、自分らしくある環境を作らないと、根本の解決にならないと感じたんですよね。
また、家にいた間、自分「清水明夫」を放っておいたら何をするだろうというのをずっと考えていたんです。
自分はどんな人間なんだろうと。
そうしてたどり着いたのが、「場作り」や「人のつながり」を作ることを勝手にやってしまう人間だということでした。
それを形にできるのが、シェアハウスなんじゃないかという思いがあったんです。
窮地で思い出されたマザーテレサの言葉
ところが、シェアハウスの運営の仕方が全く分からなかったこともあり、
立ち上げてから約2年間、月給3万円くらいで経営をしていました。
もちろんそれだけの収入では生活ができないので、消費者金融に借金をしながらの生活でしたね。
そんな生活が3年程続いた頃、ついに消費者金融でも相手にされなくなってしまったんです。
ついにここまで来たか、という感覚でした。
何社も断られ、帰り道の駅のホームで途方にくれていました。
そんな時、
「主よ、私が空腹を覚えるとき、パンを分ける相手に出会わせてください」
というマザー・テレサの言葉の一節が頭に浮かんだんです。
「人に与えなければ自分には返ってこない」ということはわかっていましたが、
こんなに苦しいときにも尚、自分は人に与えることができるのかを試されているんだ、とそのとき感じました。
なぜだか突然思い出されたその言葉に後押しされ、思い切って自分のことは捨てて、
同じように悩んでいる周りの仲間のためだけに行動してみようと思ったんです。
それから1ヶ月間、自分の事業は放っておき、ちょうど苦しい時期にあった仲間の会社につきっきりでコミットしました。
その結果、なんとかその会社を軌道に乗せることができました。その後、その仕事で身につけたノウハウで、
たまたま大きな案件をもらうことができたんです。
そして、自分の会社も、なんとか立て直すことができたんですよね。
自分の幸せと仲間の幸せ
その後、webの事業を行う別会社を立ち上げ、2社の経営を行っていきました。
もう1つの会社では、仲間の事業活動の手助けになるようなweb製作やコンサルティングを行っています。
年齢を重ね、20代も後半になってくると、結婚する仲間も増え、一緒に遊べなくなったり、
夢よりも安定した道を選択するという仲間が出てきましたね。
その結果、一緒にいられなくなった仲間も増えました。
そんな中、周りを見てみると、好きな奴らといる人は好きなことをしているし、
好きなことをしている人は好きな奴らといることに気づいたんです。
だからこそ、自分が仲間と一緒に幸せでいるためには、
「周りの仲間が好きなことをして、好きな奴らといれて、毎日おいしくご飯をたべれている」
という環境を作りたい、と思うようになったんですよね。
もともといつかは地元に戻りたいという気持ちがあったこともあり、
東京の会社は他の仲間に代表を引き続き、自分は群馬に戻り、同じくいくつかの事業を運営しています。
今は仲間の事業活動を応援するweb関係の仕事や、好きな人といるための場作りとしてのシェアハウスを運営していますが、
これからは、より範囲を広げて、地元群馬の地域活動に力を入れていこうと思っています。
お祭りの実行委員や、青年会議所としての活動など、まだできていることは少ないですが、
もっと幅を広げていきたいですね。
2014.07.08