受託開発から共創へ、SIerを変えていく。 一人で解決できない課題に挑む、つながりの力。
ITを活用し、顧客の経営や業務の課題を解決するSIer(エスアイヤー)に入社し、そのあり方に向き合う瀬藤さん。周囲の人が幸せであるために試行錯誤を続ける中、仕事を始めて出会ったのは、受託開発型のビジネスだけでは、お客様は幸せにならない、という業界の課題でした。瀬藤さんが考える未来とは?お話を伺いました。
瀬藤 亮太
せとう りょうた|日鉄ソリューションズ株式会社
福岡県出身。九州大学経済学部を卒業後、日鉄ソリューションズ株式会社入社。ITインフラ領域の新規顧客開拓を5年ほど担当し、現在は主に金融機関に向け、IT人材の確保から事業計画の策定まで伴走し支援する。全社の縦横斜めを繋げる社内団体「takibito」の立ち上げメンバーであり、大企業の若手中堅有志団体の実践コミュニティ「ONE JAPAN」にも所属。
強烈な自己否定
福岡県で生まれ育ちました。物事にとことん打ち込む性格で、勉強もスポーツも一生懸命取り組んで得意になりました。友達にも恵まれて、順風満帆な生活を送っていましたね。
転機が訪れたのは小学校5年生のときでした。突然、いじめが始まったのです。遊ぶことが大好きだった僕にとって、友達に無視されるのはとても苦しかった。誰にも相手にされない日々が続き、辛かったです。
そんなある日、いじめのボスの子が亡くなってしまったのです。そのとき、心のどこかで少しだけホッとしている自分がいました。そのことに自分自身が衝撃を受けました。「友達が亡くなってしまったのに涙も出ないし、ホッとしてしまうなんて最悪な人間だ」と感じたんです。この日以来、自分は嫌な人間だ、生き生きとしてはいけない、と強烈な自己否定をするようになりました。このトラウマは中学に進学しても続きました。
中学校は福岡の進学校を受験。勉強に力を入れる人が多い中、スポーツが得意なことで周りから一目置かれたり頼りにされるようになりました。自己否定する一方で、それがすごく嬉しくて。誰かのために何かをしていれば、自分の居場所を持てると感じられたんです。人に認められたいという気持ちが大きくなって、誰かのために何かしたいと思うようになっていきました。
文化祭で体感したビジネスの可能性
中高一貫の男子校だったので、高校はそのまま進学しました。少し変わった学校で、文化祭も独特。各出店の収益は生徒のものになり、プチビジネスを体感できる仕組みになっていました。出店ごとに収益を競い合うのが恒例なのです。
高校2年生のとき、リーダーとして仲間を集めて焼き鳥屋を出店しました。串が焦げるなどのトラブルがあって、苦戦しながらも頑張りましたね。
文化祭の後、全校生徒が集まった場で、売り上げ上位の店の発表がありました。僕たちのチームは売り上げが悪くて、後輩のチームにも負けてしまって。チームのみんなは悔し泣きをしていました。自分のためにこのメンバーが集まって協力してくれたのに、彼らの幸せに貢献できなかった。僕はそのことがとても悔しかったんですよね。
だから高校3年生の文化祭では、また同じメンバーでリベンジを目指し、出店することにしました。みんなでお客様が幸せになる商品、メンバーの適材適所、損益分岐からPR方法まで必死で考えました。その結果、16万円の売り上げ、10万円の収益を生み出し、悲願の売上一位をとったのです。
体育館で僕らのチームの名前が呼ばれたとき、みんな嬉し泣きしていました。最高の瞬間でしたね。この瞬間、この達成感を味わうためならいくらでも頑張れると思えました。お金を稼ぐのはもちろんだけど、共に汗水垂らして頑張った仲間を幸せにできたら最高だなと、ビジネスに興味をもつようになったんです。
そして、個人だけでなくチームが認められたことで、自分に自信もつきました。トラウマを引きずり自己否定していましたが、こんな自分でもメンバーを幸せにできるんだと思えたんです。自分を肯定できるようになっていきました。
ビジネスで直面した人を動かす難しさ
親が病気がちだったこともあり、将来は医者になりたいと考えていました。周りも医学部進学者が多く医学部志望でしたが、文化祭でビジネスに興味を持ったことで文系へ。東大を目指し浪人したのですが、結果は不合格で、地元の国立大学の経済学部に進学しました。
入学してからは、高校の同級生がキラキラした大学生活を送っているのを見て焦り、絶対に負けるものかというハングリー精神で頑張っていましたね。しかしある日、大学の教授に経済学をビジネスにどう役立てるのか尋ねると、「経済学というのは机上の空論だから、どう役立つかはやってみて初めてわかるんだ」と答えが返ってきたんです。ならば実践あるのみとNPOの活動を始めたり、実家の家業のネットショップを立ち上げたりと、起業家思考でいろんなことに挑戦しました。
ただ、事業はなかなかうまく行かず。ひとまず就職活動を進める中で東京を訪れた際に、あるIT企業の社長と会う機会があったんです。そこで、海外で始まった、ウェブサイトを通じて空き部屋を宿泊先として旅行客に貸すサービスを、日本に導入して各地で展開するという話を聞きました。
やってみたいと立候補し、まずは福岡でレンタルに出せそうな物件を探しました。はじめは5物件からスタートしましたが、最終的には沖縄から北海道までおよそ100物件をマネジメントする経験ができましたね。一方で就職活動も進め、数ある会社の中、「最も顧客のことも社員のことも真剣に考えてくれる」と思った日鉄ソリューションズに決めました。採用過程で出会う社員みんなが、自分なりの意見・意志をもって仕事をしていることが伝わり、非常に魅力に感じましたね。
そんなある日、実家の家業が行き詰まって、経済的に厳しい状況にあることがわかりました。薄々何かおかしいとは気づいていたのですが、僕を安心して大学に通わせるために、親は黙っていたようでした。ショックでしたが、「こんなに家族が困っているのに、僕はのうのうと大学生活を送っていていいのか。今助けなくてどうするんだ」と使命感が芽生えたんです。
入社直後からこまめに実家に帰り、銀行を回るなどして事業継続のためのお金を工面しました。さらに、学生時代にやっていたレンタル物件の宿泊サービスを、家業の一つに加えたんです。
僕自身が東京で働き始めていたので、夜な夜な電話でパソコンを使い慣れていない母に、宿泊予約システムの使い方などをレクチャーしました。僕も母もストレスが溜まっていて、よくケンカをしていました。
ビジネスは基本的にロジックで動いていくんだろうなと思っていたのですが、やってみるとそんなことなくて。母から「できない人の気持ちが分かるのか!私にも感情がある!」と激昂され、胸に刺さりました。僕は親を追い込みたいわけではなく幸せにしたいのに、何でうまくいかないのだろうと悩みました。正論だけではない、人を巻き込むことの難しさをひしひしと感じながら過ごしていました。
結果として、5年ほどかかりましたが事業は軌道にのり、借金は無事返済できました。やりきった感はありましたが、「本当にこれは家族のためだったのか」というモヤモヤが残って。どうやったら人を巻き込んで、みんなが幸せに生き生きワクワクと働けるのか、というテーマをひたすら考えるようになりました。
人を動かすのではなく、人とつながる
新卒で入社した日鉄ソリューションズでは、営業部に配属されました。ある日、隣の部署に配属された仲良しの同期と話しているときに、お互いの仕事内容についてあまり知らないことに気づいたのです。何千人もの従業員がいる会社に入ったのに日々チームの10人ほどとしか話さず、隣の部署が何をやっているかすら知らないのはもったいない、という問題意識を抱きました。
同期と一緒に先輩に相談したところ、営業部全体で課題に取り組んでみたらどうかと背中を押してくれました。そこで、若手営業がそれぞれのお客様のことを考えるイベントを開催することにしたのです。
小さく始めるうちに、意外とみんなが協力してくれるんだ、ということに気がつきました。加えて、「来てください」と人を動かそうとするよりも、人と繋がって「僕はこう思っているんですけど」「こんな課題があるんですけれど」と話すことで、背中を押してくれたり共感してくれる人が増えるということもわかったんです。
無理に動かそうとするのではなくて、人と人がつながれば、みんながひとりでに動き始めたり、化学反応が起きたりする。そのことに喜びを感じるようになりました。「人を動かすってどうすれば良いのだろう」という問いから、いかにみんなとつながって、みんなの意見や知識、想いをひとつの場所に吐き出せるかというテーマで考えるようになっていったんです。
営業同士の垣根をなくす、営業とSEの垣根をなくす。こうした活動を3年ほど続けた2019年2月、技術者同士が繋がるコミュニティの内部から、全社組織を跨ぐコミュニティを作ろうという動きが生まれました。そこに参加していた約50名の有志で、この新たなコミュニティの名称決め投票を行い、全社組織跨ぎ活動 「takibito(タキビト)」が誕生しました。
自然と人が集まり、あったかい空気感を共有するような焚き火をイメージしています。社員誰もが「やりたい!」と発信できる場、「やろう!」と共感する場、「やってみた!」を共有する場として、心理的安全性の高いコミュニティを目指しました。この場に参加すると、優秀で面白い社員にたくさん出会えます。「もっとみんなと繋がりたい!」という小さな想いを共有し、行動したことが、全社を巻き込むコミュニティの立ち上げにつながったことは、非常に嬉しかったですね。
お客様の幸せを実現するために
本業では、営業としてお客様である事業会社のIT部門の統括責任者、CIOの方々とやりとりをすることが多くなりました。ITの知識は積んできたけれど、経営や組織の知識がないと全く太刀打ちできなくて、経営大学院に通うなどして学び始めました。
様々な企業のCIOの方とお話しし、悩みをお聞きする中で、共通の課題が見えてきたんです。それは受託開発だけでは、お客様の幸せを実現することが難しい、という現実でした。
そもそも受託開発は、お客様から「こういうものを作りたいからこんな機能が欲しい」というリクエストを受けて、その要件を満たすよう、完璧にシステム開発していく仕組みです。以前はお客様から「こんなことをやりたい」という要望があり、お客様自身が課題とその解決策をわかっていることが多くありました。
しかし、世の中の変化が激しくなっている今では、お客様自身からやりたいことや答えが出てこないことが増えました。僕たちSIerも、言われたものをただ作るだけでなく、お客様と共に考え、共に課題を解決していく必要が出てきたのです。受発注の関係ではなく、一緒のチームとして課題解決をする。かなり大胆なマインド・スキルの変革が求められています。
事業会社にもエンジニアが多くいる海外とは違い、日本ではIT人材の70%がSIerにいると言われています。それが「言われたことしかできません」という人材ばかりになってしまっては、日本の未来が危ういと危機感を抱くようになっていきました。
目の前のお客様がこの同じ課題で悩んでいるのを見るうちに、SIerの構造を変革すべきだと考えるようになったんです。これは自社だけの問題ではなく、日本全体の問題だと気がつきました。
そんな中出会ったのは、ONE JAPANという大企業の若手中堅有志団体の実践コミュニティでした。参加しているメンバーの中には、僕たちにとってお客様に当たる企業もいます。普段会社で仕事をしているだけではわからない課題や悩み、変革へのマインドを知り、社内にインストールできるよう心がけながら参加するようになったんです。「お客様にあたる企業は、こんなにも変革に向けて挑戦しているんだ!僕たちも、もっともっと進化できる!」そんな気持ちで活動に取り組みました。
コミュニティの力で、SIerの可能性を拡げる
現在は、日鉄ソリューションズ株式会社で、特に金融機関の方々に向けたサポートをしています。IT人材の確保から事業計画の策定まで、パートナーとして伴走していますね。
本業の傍ら、takibitoとONEJAPANの活動にも力を入れています。特にtakibitoでは、場を通じて、誰かのチャレンジに共感して背中を押し合える文化を全社的に作っていきたいですね。僕自身、いろいろな方に背中を押してもらってきました。コロナ禍になって、takibitoで「新入社員歓迎会をオンラインでやろう」と提案したときは、200人ほどのメンバーが「いいね」を押してくれて。それだけですごく勇気がもらえて、開催へ踏み出すことができたんです。
だから、僕自身も何か新しいことに挑戦する人の不安を払拭できるような、勇気が出る一言をかけたい。相談してくれたら食いついてコミットしたい。それが相手の勇気になってアクションが生まれ、また新たな挑戦につながるようなコミュニティや会社全体の文化ができるといいなと思っています。
さらに今は、SIerのためのコミュニティ作りにも力を入れています。Sler同士、新しいビジネスモデルのあり方や日本の未来への貢献の仕方について、話し合う場を作りたいですね。どう解決すればいいかわからない難しい課題だからこそ、人をつなげて場を作り、そこで対話をしながら、答えをみんなで見つけていきたいと思います。
僕は、Slerをもっと生き生き、ワクワクできる業界にしたいという変革欲を持っています。Slerが言われた通りの仕事をこなすだけでは、日本の成長はありません。日鉄ソリューションズも、System Integratorから「X Integrator」へ自らを変革していくことを標ぼうしています。従来ビジネスも大事にしつつ、システムだけではなく、お客様の組織・業務プロセスを共に変革していくような存在になりたいと思っています。そのためにも、社内外問わず幅広く人と繋がり、コミュニティを拡げ「ITの力でお客様・日本を成長させるには?」という問いに向き合い続けたいと思います。
2021.09.13