プログラマーから広告プロデューサーへ。「常に時代の最先端に」という僕の哲学。

新卒でシステム系の会社に入りプログラマーとして働くも、転職を経て現在は外資の広告代理店に勤務する巽さん。業界的にも珍しい経歴の背景には、高校時代に出会ったある考えがありました。

巽 弘樹

たつみ ひろき|外資系広告代理店デジタルプロデューサー
外資系広告代理店にデジタルプロデューサーとして勤務。

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司馬遼太郎との出会い


小学校からバスケを始めて以来、中学・高校も部活に入り、ずっと没頭していました。
特別勉強が好きだということもなく、ごく普通の学生でしたね。

しかし高校生になり、将来の役に立つのではと、たまに経営者の書いた本を読むようになったんですね。
すると、経営者になるような人は、司馬遼太郎の本を好きで読んでいることが多いということに気づいたんです。

そこで自分も読んでみようと思い、司馬遼太郎の『国盗り物語』を読んだんです。
すると、斎藤道三や織田信長などといった主人公の生き様を知ることができ、
更にそれだけではなく司馬遼太郎自身の考え方にも触れることができたんですね。

そこには、「時代の流れをいち早くとらえ、新しい技術を習得する人が、歴史上勝ち上がっていく」ということが書いてあったんです。

僕はこの考え方に衝撃を受け、一気に魅了されてしまったんですよ。
それからは司馬遼太郎を中心に、歴史文学を好んで読むようになりましたね。

そのため、大学受験の時期になると迷わず歴史文学を学べる大学に行こうと考えました。
学びたいものがはっきりしていたので、他の学部に行こうというような選択肢はほとんど考えませんでしたね。

これから必要になるものをまずは身につける


大学に進学してからも、サークルに入ってバスケを続けました。
また、周りの影響から半年間海外に留学したり、大学生活を純粋に楽しんでいましたね。

一方大学の専攻だった歴史文学も、ちゃんと勉強していました。
しかし、わざわざ授業を受けなくても自分で本を読んだ方が学ぶことが多いな、と感じてしまっていたんですよね。
自分で読めば本には全てが書いてあるし、授業は受けるものの、個人的に読む方がやっぱり好きでした。

そんな大学生活を送り、僕が就職活動の時期を迎えた時は、
ちょうど数々のITベンチャーが興った、ITバブルと言われる時期でした。

そこですぐに歴史文学から学んだ、新しい技術を習得する人が歴史上勝ち上がっていくという考えが頭に浮かんだんです。
これは自分も、ITの世界で生きていく力を身につけるべきだと感じたんですよね。

しかし、文系だったこともあり、プログラミングなどを学んだこともなかったので、
会社に入ってからしっかり技術を身につけさせてくれる会社でなければダメだと考え、
研修体制が整っていて、一から技術を教えてくれる大手のシステム系の会社に入社することを決めたんです。

入社すると、研修期間を経て、プログラマーとしての力を身につけることができました。
誰もが知っているような物流システムの中身を構築したり、大きな仕事に従事することもできてとても充実していましたね。

でもだんだんと働くうちに、何か物足りなさを感じるようにもなっていったんです。

システムの構築はどうしてもBtoBになってしまい、自分の作ったものを誰かに見てもらったり、評価してもらいづらいんですよね。
もっと一般の人に向けてダイレクトにメッセージを伝えることができ、
自分のやっていることが何の役に立っているのかが知れる仕事がしたいと思うようになりました。

そこで、自分のプログラマーとしての経験を活かし、プログラムの技術力の高い広告の制作会社に転職することにしたんです。
大手から小さな会社に行くことには少し不安もありましたが、
20代である今力を付けなければ、後々生き残れないという考えに至り、踏み切ることにしました。

自分が力を付けていった先に見えた課題


そして転職先ではフラッシュ広告のプログラムを作る仕事をすることになり、
やりたかったBtoCの仕事ができるようになりました。

これまではシステムという「中身」を作っていたので同業者の作ったものを見ることすらできなかったんですよ。
でも今度はそれが見えるようになって、自分がいいものを作れたときに評価してもらえるようになったのが、
とてもうれしかったですね。

ただ、フラッシュ広告を作るときに自分が関われるのはプログラムの部分だけであり、
デザインの部分には別のデザイナーの方に入ってもらうことでやっと広告が完成になるんです。
自分に足りない技術があるのが嫌で、今度はデザインの方も全部一人で作ることができる力を付けたいと思うようになっていきました。

そこで2年程経ったころ、今度は広告のデザインの制作会社に転職し、webディレクターという仕事につくことにしたんです。

ディレクターの仕事とは現場監督のようなイメージで、プロデューサーが決めた枠組みを形にし、
実際に広告を作っていく上での全てに関わります。
自分はプログラマー出身であり、そのようなキャリアの広告ディレクターがあまりいないため、
プログラムとデザインの全てに携われることは自分の強みになっていましたね。
お客さんのサイトをブランディングから考えて作ったりするのは、やはりとても楽しかったです。

しかし、そうやって働く中で、また新たな課題が見えてきたんです。
それは日本の広告業界が海外から完全に取り残されているという現実でした。

海外の広告業界は、自国だけで完結せず、いろいろな国に外注するなどして製作を分けることが多いんです。
その方が、安く済む場合もあるし、単純に海外も含めた方が選択肢も増えて、
いいものがつくれる可能性が高いんですよ。

一方日本は、国内で全てをまかない、国内に向けてしか売らないというスタイルがほとんどなんですね。
また、日本の広告業界はアイデアを出すことができる人はいるのですが、
実際にどうやって作るのかまで理解して指示できる人は少ない状況です。
それは制作と広告の設計が分離されているからで、
制作出身の人はデジタル分野ではこれから非常に重要になってくると感じました。
 
今までは自分に足りない技術があることで、それを身につけるために次のステップに進んできましたが、
今度は自分が関わる広告業界というもの自体に危機感を覚えるようになっていたんですよ。

海外には安くて優秀な人材がたくさんいる中で、これからは日本のプログラマーやデザイナーの価値が下がることを考えると、
どうにかしなければ思うようになりましたね。

常に最先端に触れ、日本の広告業界を変えていきたい


そこで私は、外資系の広告代理店に転職することに決めました。
前職で2社製作会社を経験していたことで、日本の広告代理店が製作会社に全て丸投げしてしまう構造に課題を感じていたんですよ。

そこで自分が今まで身に着けてきたプログラマーとしての力や、
広告ディレクターとしての強みを活かして代理店で働けないかと思ったんです。
また、その中でも外資の代理店で働くことで、海外の知識やノウハウを習得しようと考えました。

若いうちに常に最先端の領域に携わりたいという思いは変わらずあり、まだまだ代理店はテレビなどが主流である中で、
歳をとってから手の付けづらい分野だからこそ今やっておく必要があると考えて、
あえてデジタルマーケティングという分野を選びました。

また広告業界は今デジタル化がすごいスピードで進んでいます。
たとえばデジタルの分野では、最近ウエアブル端末やカーナビ、家電のデジタル化などです。
消費者とのコンタクトポイントが増えてきており、広告業界への
デジタル施策への期待は高くなるでしょう。
以前のマスメディアからデジタルの分野が主流になることはほぼ確実です。
ちょうど時代の変化点にいると思います。

将来的には、カンヌ国際広告祭で賞を取りたいと考えていますが、今は海外に出ていって仕事をするつもりはないですね。
日本の広告業界にはまだ課題がたくさんあるので、まずは日本からと考えています。

これからも歴史の偉人たちの言葉に倣い、常に時代の最先端に居続けたいですね。

2014.07.07

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