大企業の中から外から、可能性を探り続けるために。 人生を「パーティー」する!

社会課題解決のための新規事業開発に携わりつつ、様々な有志活動を通して、自らの想いを形にし続けてきた佐藤さん。チームで活動することを大切にする佐藤さんが、社内外での幅広い経験を通して見出した、人生の新しい可能性とは。お話を伺いました。

佐藤 伸剛

さとう のぶたけ|株式会社プライムアシスタンス(本籍:損害保険ジャパン株式会社)新事業開発室長 コーポレートブランドエバンジェリスト
1978年生まれ。新卒で大手ITベンダーに入社し、ソリューション営業やSE、プロジェクト管理などを担当。大手保険会社の損害保険ジャパン株式会社に転職後は、ITプロジェクトを多数推進。その後シンガポール大学及び海外現地法人にて経営全般を学び、保険以外のサービスを手がける関連事業会社プライムアシスタンスのIT部門や持ち株会社SOMPOホールディングスの経営企画を経て、プライムアシスタンスへ再度出向。現在は、新規事業の開発を手掛けつつ、社外での有志活動も並行して行う。

将来の夢は「国を動かす人」


生まれも育ちも、神奈川県の平塚です。友達の家に「今日遊べる?」と電話をかけまくって、いろんな子と遊んでいるような活発な子でした。兄と姉がいるのですが、少し歳が離れていてあまり相手にされなかったので、自分で遊び相手を探していましたね。

小学校でも、段々目立つようになって生徒会長になりました。朝の全校集会などで壇上から見る景色が、すごくいいなと思いましたね。数百人に向けて話をするのが面白かったです。正直モテたかったという面もありますが、クラスをまとめるとか、みんなでワイワイやることが好きでしたね。

将来の夢を聞かれた時、周りがパン屋さんとかスポーツ選手を挙げる中で、自分は「国を動かす人」と書きました。みんなをまとめながら、やりたいことを実現していくのが、性に合っていると感じていたんです。

中学から高校時代にかけては、バスケットボールに打ち込みました。ポジションは、中学の時がセンターで、高校はポイントガードでしたね。身長の伸び方も影響して、対照的なポジションに変わったんです。この頃は、部活も遊びも、いつもバスケ部のメンバーと一緒でした。

高校の体育祭にも力を入れ、夢中になって取り組んでいましたね。体育祭では3学年をまとめたブロックがあって、自分は副ブロック長でした。ほぼブロック長不在の状態だったので、実質的なトップとして130人くらいをまとめるのが仕事です。夏休みに入るとみんな受験勉強に入ってしまうのですが、それぞれに声掛けしてモチベーションを高め、練習に来てもらうように働きかけました。一人ひとりと昼夜問わずコミュニケーションとりながら、関係性を深めることを徹底的に意識しました。だから、クラスの人間関係や恋愛の話も全部知っていたんですよ(笑)。

そうして一人ひとりと信頼関係を築いていくと、自然とチームができあがっていきました。最後体育祭が終わったときには、胴上げされ、全員で大泣き。最高のチームでしたし、それを作りあげられたのが素直に嬉しかったです。

自分ができないことでも「やりたい!」と声をかけたときに、一緒に頑張ってくれる仲間がいたのも大きかったです。リーダーだからって全部できるわけじゃない。自分は衣装も作れないし、ダンスの振り付けもできない。だから、そこは得意な人たちに任せてやってもらいました。このとき、一人では達成できないからこそ、みんなの力を借りてやる、という体験ができましたね。

旅先で聞いた「想う、願うは、叶う」


大学時代も勉強はそこそこに、クラブチームで好きなバスケットボールを続けて、一時は市の選抜チームにも入るほどに。ほかにも、地元・平塚のお祭りに参加して、友達の輪を広げたり、居酒屋バイトで仲間と工夫して店舗改善に取り組み、リーダーとして優良店舗賞をもらったりなど、忙しく過ごしていました。居酒屋の仕事では、休みの日も集まって、DIYでお店の修理などもしていました。一人ひとりに自分がやりたいことのイメージを明確にしてもらって、それに向かって一緒に頑張る、という体験ができたので、本当に楽しかったですね。

アルバイトの傍ら、休みのほとんどは海外旅行に費やしていました。行ったのは、中国、モンゴル、タイ、マレーシア、アメリカなど。中でも一番印象的だったのが、カンボジアでのある女性との出会いです。

たまたま宿が近かったので、現地で知り合った4人くらいで飲みながら話していたんです。そこに、その女性もいました。彼女は、30代で子どもや旦那さんもいる中で、一人で海外を放浪していたんです。聞けば、屋久島でひとりで過ごしていた時期もあるとのこと。衝撃でした。彼女はすごく生き生きしていて、「この人は、なんて自由なんだろう」と感じました。

とりわけ、彼女が言っていた「“想う、願う”は、“叶う”だよ」という言葉は、頭の中に強く刻み込まれました。以降、自分の座右の銘としても使い始めましたね。いい大学、いい会社に入らなければという思い込みから解放されて、そうじゃなくていいんだ、好きに生きていいんだ、人生なんとでもなるし、自由にやっていいんだと、自分の行動に自信が持てるようになりましたね。

アメリカでパーティーの面白さに開眼


大学卒業後は、そのとき時流に乗っていた大手ITベンダーへ入社。そこでIT基幹システムや社内情報サイトの構築、ITをベースとした新事業開発などをしながら、数年間はビジネスのイロハを学びました。

数年経った頃、周囲に海外へ出ていく人が増えてきて、自分も海外で新しいことを学ぼうと思いました。会社に留学制度はありませんでしたが、海外で学ぶ必要性を人事の方にプレゼンし、認めてもらったんです。休職して自費でアメリカに留学しました。英語漬けでマーケティングや国際ビジネスなどを勉強する日々でした。

元々飲み会やみんなでワイワイすることが好きだったので、頻繁にパーティーに行っていました。パーティーといっても、ホテルでやるゴージャスなものではなく、一緒に楽しく話をするだけの飲み会みたいなものです。何回も繰り返すうちに面白さに目覚め、自分でも開催するようになり、自由に人と関わり合い、みんなで楽しめるのがパーティーなんだと感じるようになりました。

アメリカ留学を経て、これからを考え直しました。ITを提供する側ではなく、もっとユーザー側の視点に立ってITを生かした取り組みをしたい、グローバルな会社で活躍したいと感じ、大手保険会社である損保ジャパンに転職しました。入社後は、IT戦略などを担当。部の代表として、会社横断の大きなプロジェクトにも取り組ませていただいたので、とても充実していました。

そんな中で、より上流の経営部分にも関わりたいと感じるように。自分の想いを話したら、部長が「こんなプログラムがあるから行ってきたら?」と、シンガポールの研修プログラムを提案してくれたんです。参加を決め、シンガポールではITから少し離れて、本質的な経営企画やプランニングに軸を置き始めました。

激務を経て見つけた、新たな道


シンガポールから帰国後、2年半くらい関連事業会社のプライムアシスタンスへの出向期間を経て、持ち株会社SOMPOホールディングスの経営企画部に異動。中期経営計画を担当しました。

経営企画では仕事への要求が高く、関わるのも上の立場の人ばかりだったので、激務で毎日ヘトヘトでしたね。体重も6キロくらい痩せてしまって。それまで毎日飲み歩いていたのに、二日酔いで会社に行くのが怖くて、飲みにも行かなくなりました。

早い時期にマネージャーに上げてもらい、出世街道を歩んでいた時に、この強烈な体験をしたんです。経営のノウハウや戦略を学ぶ機会にはなったのですが、このとき初めて、出世欲というか縦のラインを突き詰めるよりも、自分が大切にしていることがあると気づきました。自分は様々な人たちとつながりながら、楽しく働く方が性に合っていると感じましたね。

結局、持ち株会社の経営企画を2年やった後、縁がありもともと所属していたプライムアシスタンスへ再度出向。経営企画室長を務めることになりました。環境が変わり、正直ほっとしたというか、だいぶ心に余裕ができましたね。そのときの社長が、自分を必要としてくれて、本当にありがたかったです。

そのころから会社の外にも目を向け始めました。グループ内の緩いつながりを作る社内有志団体SOMPO Cotton倶楽部の立上げをきっかけに、大企業の若手・中堅有志団体の実践コミュニティONE JAPANにも参画するようになりました。そして、広報としてONE JAPANの発信力やコミュニティバリュー向上のプロジェクトをリード。複業としては、興味を持ち始めていた「地方」「組織開発」をキーワードに、働き方と未来の組織を考えるWork Design Labのパートナーとして地方企業を支援したり、組織開発のスタートアップのサポーターをしたりなど、さまざまな活動を始めました。

会社の論理や常識に縛られずに、マインドを共有した仲間がいる、自分の味方がいるという環境ができて、とても安心感がありました。外にちょっと越境するだけで、人脈や可能性は広がるんです。

加えて、様々な場所で活動することで、おのずと自分ができることやスキルセットが可視化されましたね。どこまで自分がやって、どこから人に頼ればいいか、はっきり見えてきました。

人生をパーティーする


現在は、引き続きプライムアシスタンスに在籍して、新規事業を手掛けています。視覚障がい者向けのサービスや地域の足となるオンデマンド交通など、社会課題に向き合う事業へ取り組んでいるんです。何か困っている人がいれば、それに対してしっかりアシストする。そんな仕事をしていきたいと考えています。

社外では、引き続きONE JAPANやWork Design Labなどの活動を続けています。加えて、ポテトが好き過ぎて、日本フライドポテト協会のアンバサダーとして、フライドポテトの地位向上のために番組配信や歌を作ったり、ビジネス用語を分かりやすく解説するYouTubeチャンネルに挑戦したりなど、新しいこと、興味を持ったことはどんどんやっていますよ。

その中で、最近特に考えているのは、「外で活躍できる人は、中でも活躍できる」ということ。まずは、保険会社という古い体質と思われがちな会社の中で、自分がそのロールモデルになって、会社のみんなの刺激になるような存在を目指したいですね。大企業の中にいても変わっていけるし、年齢を重ねても頑張っていけると伝えたい。大企業だからこそ、社会課題に大きな規模で向き合えることもあります。

そのためにも、僕の人生には「パーティー」が必要です。「パーティー」という言葉には、「チーム」と「楽しむ」というふたつの意味が含まれています。

これまで世の中になかったものを新たに生み出すためには、やっぱりパーティーが不可欠。いくら素晴らしい企画や革新的なアイデアがあっても、結局そこに血肉を注ぎ込むのは、「人」だと思っています。

自分一人でやっていくのもいいけれど、みんなでワイワイ楽しく頑張って、仲間にもユーザーにも喜んでもらうのが一番好きなんです。根本で人が好きだから、喜んでくれる姿を見ると、本当に嬉しいんですよね。たくさんパーティーができる世の中にしていきたい。「人生をパーティーする」が、自分のモットーです。

縦社会の中では、組織の中に自分がいる、組織が存在していないと自分もなくなってしまう、という考え方になりがちです。でも本当は、意思のある個人と個人が繋がってチームができて、それが大きくなって企業になっていったはずなんですよね。外に出ていくことで、組織の中の自分ではなく、個人同士が繋がれるようになる。僕自身、「佐藤さんだから仕事がしたい」と言われるようになりたいですし、そういう仲間とパーティーを組みたいです。そんなパーティーがたくさん生まれた結果、個人も企業もよりよくなっていくと考えています。

自分は根は寂しがり屋で、やっぱり人が好きなんです。人とつながり、支え合いながら、これからも動き続けていきます。

2021.06.17

インタビュー | 伊東 真尚ライティング | 伊藤 達洋
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