ヘルシーなお弁当、すぐに届けます!ナスの着ぐるみから覗く、たくさんの笑顔。

渋谷をナスの着ぐるみを着てお弁当配達をすることで徐々に知名度を上げている山田さん。もともとは飲食業界で働いた経験もほとんどなく、業界自体への興味もあまりなかったそうです。そんな山田さんが今の仕事に辿り着くまでにどんな背景があったのか、お話を伺いました。

山田 真広

やまだ まさひろ|ヘルシー弁当配達サービス運営
オフィスにヘルシー弁当をファーストフード並の価格で宅配ピザより早くお届けする「渋弁.com」のCNO(Chief Nasu Officer)。」

渋弁.com
渋弁.com(Facebook)
渋弁PV「ナス山田の独占インタビュー!!」

石川に収まる人間じゃない!


石川県の田舎で生まれ育ちました。
母親が教育熱心なこともあり、小さいころから様々な習い事をやっていたのですが、
特に親から勧められて中学まで続けていた剣道には本当に没頭し、県大会で常に上位の成績を収める程でしたね。

でも通っていた中学が荒れていたこともあり、だんだんとやんちゃをする友達とつるむようになっていきました。
そして中学3年生のときに部活で禁止されていたにも関わらず茶髪に染めたんです。
最初はなんとかスプレーで隠していましたが、すぐにそれがばれてしまいました。

当時僕は剣道の推薦で進学する高校も決まっていたんですね。
ところが茶髪が原因で進学は取り消しになってしまったんです。

中学3年生の後半のことだったので、今更行く高校もなく、困ってしまいました。
でもそのとき、ふと中学2年生くらいから友人の影響で始めていたギターのことを思い出し、
これで食べていけないかと考えたんですよね。

「自分は石川の田舎に収まっているような人間じゃない!」とも思っていたんです。(笑)
だから単身東京に出て、音楽の専門学校に進学することに決めたんです。

上京後は、専門学校に行きながら通信制の学校に通う生活を始めました。
1日10時間くらい、朝から晩までギターの練習をしていましたね。
でも半年くらいやってみて、やっぱり自分には音楽の才能はないと気付いてしまったんです。

そこで専門学校を辞めて、アルバイトをして過ごしていたのですが、
1年ほど経ち親の勧めもあって結局石川に戻ることになりました。

地元に戻ってからはそのまま通信制の高校に通い続け、ショップの店員をしたり、バイト先の仲間とバンドを組んだりして好きなように過ごしていました。
でもある時、バイト先の店長に「お前は頭は悪くないんだから、大学を目指してみてはどうか」と言ってもらったんです。

それまで大学に行こうとは思ってもみなかったのですが、
高校が通信制だった僕はキャンパスライフに強く憧れ、大学受験をすることに決めたんですよ。

それからは、行きたかった大学の受験科目に絞って必死に勉強し、
第一志望こそ落ちてしまったものの、無事東京の私立の大学に現役で合格することができました。

実力主義で目標達成する楽しさ


東京に上京してみると、せっかく出て来たのだからとにかく楽しみたいという気持ちでいっぱいでした。
誘われるがままにいろんなサークルに顔を出してみたり、イベントに参加したり。

でも、なんだか思っていたキャンパスライフと違ったんですよね。
そんなに楽しく感じなかったんですよ。

いろんな所に顔を出すうちに、むしろ自分でイベントを企画した方が、
もっと儲かるし、おもしろいことができると感じたんです。
高校時代からアルバイトなど色々とやっていた経験もあって、そんな発想が常にありました。

そこで、それなら自分でやってしまおうと思い、イベントサークルを立ち上げ、
クラブを貸し切ってイベントをたくさん企画しました。
採算が取れず大変だったこともよくありましたが、とにかく面白いことがしたかったし、
みんなが楽しんでくれているのが嬉しかったんですよ。

他にも大学生の間に、学生向けの不動産仲介や、ホストなど様々な仕事を経験しました。
自分の時間を売って対価を得るのではなく、自分の頑張った分だけ稼ぐことができる仕事がとても楽しかったですね。

こうして大学の外での活動に没頭してしまい大学からどんどん足が遠のき、
4年生で留年が決まりました。

ただ、段々と周りの友人たちの就職が決まっていき、このままじゃダメだと思うようになったんです。

就活のことなんて何もわからなかったのですが、とにかくまずは何かしなければと思い、
とりあえずインターンの選考を受けることに決めました。

飲食業界はおもしろい


そんな経緯から、まず1社受けに行ったのですが、あっけなく落とされてしまいました。

でもその会社の人に、「君に合いそうな会社があるから受けてみないか?」と、
別の会社を紹介してもらったんです。

そして言われるがままにその会社の選考を受けに行くと、面接でラーメンが出てきたんですよ。
これはおもしろいことをやってそうだと、とても興味がわきました。

よく話を聞いてみると、全国の人気ラーメン店の商品を通販で取り寄せることができる「宅麺.com」というサイトを運営している会社でした。

話を聞くうちに、飲食業界のイメージを変えていこうとする会社の思いに共感したし、
会社のサービスが立ち上がって間もない時期だったので、初期から働いていれば自分の好きなように仕事ができるのではないかと考え、
その会社でインターンをすることに決めたんです。

やってみると、やはり営業の仕事は楽しく、学生時代の経験も活かすことができ、上手くいっていましたね。
そしてインターン期間を終え、そのまま入社することに決めたんです。

もちろん大変なこともたくさんありました。
なかなか相手にしてくれない営業先に、目の前で店のシャッターを下ろされ、追い返されたりしたこともありました。
それでも、最終的には店主と仲良くなることができ、だんだんと飲食という仕事の面白さもわかるようになっていったんです。

また、営業で成果を上げることだけではなく、お客様対応等の業務をする中で、
ラーメンを通してお客さんを喜ばせることができている、と感じられるのはもっと嬉しかったですね。

飲食の魅力は何といっても顔が見えることなんですよ。
直接お客様に美味しかったとかありがとうと言ってもらえるのが何よりも嬉しいし、やっぱりそれが魅力でしたね。

ところが、そうやって仕事に没頭して行くうちに、尊敬している上司が営業から少し離れてしまったり
だいたいの仕事が一通り自分でできるようになってしまったりしたことで、
なんだか自分の目指すものがなくなってしまい、物足りなさを感じるようになっていました。

営業だけではなく他業種とのコラボ企画など新しい事業を任せてもらったりもして、仕事に不満は全くなかったのですが、
もっとお客さんが喜んでくれて、自分にできることがあるのではないかという思いがどんどん強くなっていったんです。

もっとみんなが喜んでくれることができそう


そんなとき、もともと違う会社をやっている友人が会社を辞め、新しく事業を立ち上げるという話を聞いたんです。
その事業というのが「渋弁」でした。

オフィスで働き食事が偏ってしまう人々や、美容師などのあまり食事に時間をかけられない人たちのために、ヘルシーなお弁当を素早く提供する、
という事業内容を聞いて面白いなと思いましたね。

また今までの飲食業界の営業の知識や経験を活かして、また1から自分のやれることを増やしていけそうだと感じたんですよね。

そこで3年半勤めてきた会社を辞め、「渋弁」の立ち上げを一緒にすることに決めました。

始めてみると、営業だけではなく、自分で自転車をこぎ、お客さんのところに手売りしに行くので、
今まで以上にお客さんの喜ぶ顔が見れるのは嬉しいですね。

また、もっとお客さんに渋弁のことを知ってもらいたいと思うようになり、どうしたら目立てるかを考えるようになったんです。
そんな時、大根の着ぐるみを着てマラソンに出走することで注目されている社長の事を思い出し、そこにヒントを得て、自分もナスの着ぐるみを着て配達するようになりました。
茄子はヘルシーな野菜なので親和性もありますし、渋谷のセンター街をナスが走っていたら面白いじゃないかと。

すると、どんな場所に配達に行くにも着ぐるみを着ているので、段々と渋谷の配達地域の中では、
「ナスの渋弁」という形で知ってくれている人も増えてきていることを実感するようになりました。

まだまだ配達できる場所は限られていて認知度の高まりも一部ですが、今後も領域を広げていきます。
だから今の夢は世界一のお弁当屋さんになることですかね。

食を楽しむ人をこの事業を通してどんどん増やしていきたいし、僕はもっともっと多くのお客さんの喜んでくれる顔が見たいんです。

2014.07.04

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