目指すは器の広い「いい女」。居場所を見つけるサポートがしたい。

学生時代から社会へ反発心があり、組織で働くことにも苦しさを覚えていたという内田さん。フリーランス・起業の道を選んだことで自分の居場所を見つけられた経験から、誰かの居場所をつくるサポートをしたいと語ります。その想いの原点とは?お話を伺いました。

内田 ともえ

うちだ ともえ|てなわん株式会社 代表取締役
大学卒業後、広告代理店や化粧品メーカーで営業・商品開発に従事したのち、マーケティングコンサルタントに転身。その後起業し、営業支援や制作・イベントディレクションを軸に、業界問わずさまざまな企業へ価値提供を行う。人材育成のコンサルティングや、人間関係や仕事に悩む方にパーソナルプログラムを提供するコンサルティングも展開中。

社会へ抱いた苛立ち


福井県福井市で生まれました。3姉妹の長女です。幼い頃は、人見知りで愛想がなく、みんなの輪の中へ入っていくのが苦手な子どもでした。一方で、感受性が強く、テレビで悲しい番組を見ていると周囲の子よりも激しく泣く、繊細な部分もありましたね。

身体を動かすことが好きだったので、小学生からスポーツに打ち込むようになります。フットベースボールのチームに所属して、6年間休みなく練習に励みました。夏休みですら、毎日朝のラジオ体操が終わったらすぐに練習をはじめ、日が暮れるまで練習漬けでしたね。

そんなハードな日々でも、チームメイトと一緒に優勝を目指して頑張ることが楽しかったです。みんなの中心にいるタイプではありませんでしたが、仲間と連携し協力して勝利を目指すチームプレーが好きでした。

地元の中学校に進学すると、命や人生について漠然と疑問を持ち「なぜ人は生きているの?」と、考える時間が増えていきました。同時に、身近な学校生活や、世の中全体で起きている理不尽な出来事が目に留まるようになりました。

部活での上下関係、大人たちの型にはめようとしてくる言動、政治家の不祥事…。本質的な解決をしようとせず、筋が通らない多くのことに、納得できませんでした。世の中を冷めた目でみるようになりましたね。勉強にもなんの意味があるのかわからず、授業中も上の空。しかし、好きな部活だけは熱心に取り組みましたね。クラスメイトからは、「放課後だけ熱い女」と言われていました。

恩師からの言葉「いい女になりなさい」


高校に入っても、社会への反抗心は消えませんでしたね。それでも、学校には真面目に通っていました。しかし、2年生になった時、私たちの学年の成績が芳しくないということで、3年進級時に「成績順のクラス替え」をすることが決まったんです。「成績だけで人を判断するような大人」に対して、強い怒りが生まれました。そんな大人ばかりがいる学校に行くことに意味を感じられず、学校をサボるようになりました。

ただ、担任の先生だけは、他の先生とは違いました。30代の男性の先生で、教師だからといって頭ごなしに怒ったり、正しさを押し付けたりせず、私の感情や気持ちをじっくり根気強く聞いてくれたんです。放課後の教室で毎日毎日、日が暮れるまで生きている中で感じる疑問や怒りを先生にぶつけていましたね。

先生は私を、「生徒」とか「問題児」といったラベリングをせず、一人の人として接してくれました。周りがなんと言おうと、気にしなくていい。あなたの人生はあなたのものだから。そんなふうに言ってくれ、味方になってくれました。心強く、嬉しかったですね。

あるとき、「これからいろんな経験をして、器の広い、いい女になりなさい」と言葉をかけてくれました。その一言が、すっと入ってきて、心に残ったんです。自分を受け入れてくれる存在から贈られた言葉だったからこそ、響きましたね。先生に出会えて良かったな、と素直に感じられました。高校受験に失敗しなければ、先生には出会えなかった。そう思うと、挫折や失敗にも、意味があるんだなと思えました。

夢や目標が見つからない


進路を決める時期に差し掛かりました。進学クラスだったこともあり大学進学が当たり前の環境でしたが、社会への反抗心もあって興味がなくて。

とはいえ、やりたいことも見つからずどうしようかと思っていたところ、日本人の女子プロテニス選手が世界大会でベスト4に入る快挙を成し遂げたニュースを目にしました。世界を舞台に活躍する、かっこいい姿に釘付けになります。その勢いのまま、今からプロテニス選手を目指す!と周りに宣言しました。

でも、テニスは週末に父と趣味でやる程度。コーチに指導を仰ぎ本格的に練習をしたわけでも、大会に出場したわけでもありません。そのため周りからは「そんな甘い世界じゃない」と呆れたように反対されました。それでもどうしても気持ちを抑えられず、ついには、アメリカに行く!と後先考えず言いだす始末。どんなに無謀でもやってみないとわからない。挑戦してみないと納得できない。そんな気持ちが大きかったです。
現実的な道として、福井で有名なテニスコーチの出身大学である東京の体育大学への進学を勧められました。周囲も、「一度やってみなさい」という感じで認めてくれましたね。

大学には無事合格し、テニス部に入ります。しかし、入部早々、夢は絶たれました。部員は、全国から集まってきた強豪選手ばかり。周囲のレベルの高さに圧倒され、現実を思い知らされます。どれだけ努力しても勝てないと悟り、熱かった想いも一気に冷め、退部を選びました。それからの学生生活は、バイトに明け暮れました。

就職活動の時期を迎えても、特にやりたいことは見つかりませんでした。思春期からずっと社会への反抗心があったからか、就職というレールに乗ることに抵抗感がありました。

そのため卒業後は、非正規雇用を選んで働くことにしたんです。ただ、その中でさまざまな人と関わっていくうちに、考え方が少しずつ変わってきました。働くのであれば、非正規雇用よりも正社員の方が働きやすいのかもしれない。福利厚生やカレンダー通りの休みがある、会社員として働いてみようと、営業職として就職しました。

組織での苦しみ、自分らしい働き方


化粧品メーカー勤務のときは、100人以上のクライアントを1人で対応するなど、営業としてバリバリ働き、商品開発にも従事。クライアントと話し合いながら一緒にものを創っていく感覚が楽しくて、夢中になって経験を積んでいきましたね。

でも、組織の中で裁量を持って働けば働くほど、社内の人との距離が近くなり、ストレスを感じることが多くなりました。私は仕事とプライベートは分けて、上司や同僚ともビジネスライクな関係がちょうどいいと思っていました。でも、飲み会や遊びを断ると評価を下げられることもあり、納得ができませんでしたね。

加えて、馴れ合いの関係が嫌だったので、相手が誰であろうと思ったことはストレートに伝えていました。会社にとって本質的な問題解決ができていないと思ったら、「どうして解決しないんですか?」と社長に直訴することも。その場で喧嘩になることも珍しくありませんでした。組織にはあまりいないタイプだからか、馴染むことができず、組織の中での生きづらさを感じるようになったんです。
そんな自分を、会社のために一生懸命なやつなんだ、とフォローしてくれる先輩もいました。クライアントのために一生懸命になる姿や、会社を想っての発言だと認めてくれる方がいたことはありがたかったです。それに辛いときは、高校の担任の先生に言われた「いい女になりなさい」という言葉が脳裏に浮かび、成長し続けたいと踏ん張ることができました。

その後、人材会社に転職し、マーケティングコンサルタントとして外資系自動車メーカーの販促プロモーションプロジェクトに携わりました。担当領域は、西日本全域にまでに広がり、やりがいを持って働いていましたね。クライアントがフォローしてくれることもあり、助けられる部分が大きかったです。

でもやはり、社内の人たちとの衝突が避けられず退職しました。そして、次の職場を探そうとしたのですが、ふとこのまま会社員として働き続けることは難しいのでは?と思うようになります。組織で働くことが合わない自分にとって、心地の良い働き方は何だろう?考えた末、独立してフリーランスになることを決意しました。最初からフリーランスになりたい!と意気込んでいたわけではなく、消去法のように仕方なく選んだ選択でした。

独立後は、会社員時代の営業経験を活かし、営業支援をすることに。その後、クライアントとのやりとりが丁寧なことや調整・対応がスムーズなことを認められ、だんだんとディレクターの仕事がメインになりました。

クライアントワークは会社員時代と変わらず楽しかったですね。加えて社内の人間関係を考えずに仕事ができる「独立」という働き方は、自分には合っているな、と実感しました。その後、仕事の広がりを見据え、2018年に法人化することにしました。

周りに返していく番


現在は、てなわん株式会社の代表として、紙媒体の制作物やイベントのディレクション・営業支援を中心に、人事業務サポートや新人研修などを、業界問わず手がけています。大事にしていることは、「とにかく、わかりやすく」。それから、「レスポンスを早くすること」「相手の意見や価値観を尊重すること」です。

ディレクターの仕事は進捗管理や日程調整だけではありません。関わっているクライアントやクリエイターたちが、プロジェクトの進行状況を一目で把握できるよう、全体像を随時お知らせすることを心がけています。また関係者が多いと、それぞれに言い分があり意見が食い違うこともあります。そんなときも、自分の意見を押し付けるのではなく、違いを尊重して受け入れるようにしています。

そう思えるようになったのは、20代で業界をまたぎ、さまざまな人と一緒に仕事をしたり、自分自身の将来やキャリアに悩みもがいた経験があるからです。世の中にはいろんな人がいて、自分と価値観が異なる人もいるんだ、と肌で感じ、学べたことが今に活きています。プロジェクト完成のためには、関係者の間に入ったり、フォローをするのもディレクターとしての自分の役割。どのクライアントのことも、自分の会社だと思って動くように心がけていますね。

起業をして、これまでの自分の人生を振り返ると、多くの人に支えられてここまできたことを実感しました。私はやりたいことや夢もなく、キャリアを積み重ねてきました。さらには納得できないことや理不尽なことには腹を立て、ストレートに意見を言う性格です。そんな自分に理解を示してくれた高校の担任の先生、会社員時代にお世話になった人たちのおかげで、起業をして多くのプロジェクトを手がけるまでに成長できました。また、起業してからの取引先の人たちも、仲間として受け入れてくれつつも、私の性格を理解してくれ、心地よい距離感で、いろいろな仕事を任せてくださっています。周囲が自分の可能性を引き出し、導いてくれたんです。

だからこそ今度は、自分が周囲へ返していく番だと思っています。自分のために頑張るのも良いけれど、これからは周りにとってプラスになることを伝えられる活動をしていきたい。そんな想いから最近は、人材育成・キャリアコンサルティングの事業も始めました。

私は会社員時代、上司や同僚との距離感や人間関係で悩み、自分の居場所を持てずにいました。でも、独立してフリーランスや起業という働き方を選んだ途端、生きやすくなったと感じています。そんな経験を自分らしく働きたいと思っている方に伝えることで、自分らしい居場所を見つけるサポートができたらと思っています。

高校時代の恩師にかけてもらった「いい女になりなさい」という言葉は、今でも、自分がレベルアップするためのモチベーションであり、一つの指針になってくれています。今私が思う「いい女」は、どんな時代でも逞しくしなやかに生き抜いていける自立・自律した女性のことです。いつ何が起きるかわからないからこそ、仕事もプライベートも、自分でより良い選択肢を選べる逞しさ、しなやかさが大切だと思うのです。私自身がそうありたいし、周囲の方へのサポートも、自立・自律を大事にしていきたいと考えています。

これからもいろいろな経験を通じて、相手を受け入れ尊重できる、器の広い「いい女」を目指したい。そのためにも新しいことにチャレンジし続けて、去年より今年と、どんどん自分の価値を高められる自分でいたいですね。

2020.08.17

インタビュー・ライティング | 貝津 美里
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