高校中退からの難関大学合格と起業。 人生は何歳からでもやり直せる。

タピオカの夢の国をテーマにしたテーマパーク「タピオカランド」仕掛け人の大池さん。学生の頃は仲間たちとの遊びに明け暮れましたが、ある出会いをきっかけに「人生はやり直せるんだ」と一念発起。猛勉強の末、難関大学に合格します。さらには大学在学中に起業。ターニングポイントには何があったのか?お話を伺いました。

大池 知博

おおいけ ともひろ|STARS株式会社 代表取締役社長
高校を中退後、心機一転し法政大学へ入学。様々なイベントを手がけその後法人化、学生時代は10000人を動員し、多数のマスメディアに取り上げられる企画を仕掛ける。現在は、様々な企業や商業施設のイベントの開催やPRを担当し、六本木ヒルズ夏祭りの制作や東京スカイツリータウン7周年記念企画の主催など、様々なイベントを手掛けている。

人生はやり直せるんだ


東京で生まれました。幼い頃は難病を抱えていて、幼稚園に入った頃に手術をしました。何回か入院してたので、幼少期はほとんど病院の記憶しかありません。

地元の小学校に入学しましたが、クラスは学級崩壊していました。自分も少しずつ荒れていき、中学校には入学当初からあまり登校していませんでした。集団行動をしたり空気を読んだり、人に合わせるのが苦手だったので、学校自体が合わなかったのかもしれません。気の合う仲間と遊んでいるのが楽しかったです。

高校には進学したものの、結局退学。ただ、高卒認定は取っておいた方がよいだろうと考え、通信高校に通い始めました。年に3回くらいしか登校する必要ない場所です。そのかたわら、肉体労働をメインとしていくつか仕事も始めました。

ある時、通信高校の授業で3泊4日の地方合宿にいきました。クラスメイトは、キャバ嬢や学位をと取り直してるおじいさん、ヤンキーなど、出会ったことがないような人たちがたくさんいました。そんな中、同じグループの中に、30歳くらいのカラオケ店の店長がいたんです。その人は、高卒認定を取るために通信高校に通っていて、専門学校に行って資格が取れたら、自分のやりたいことを一からやるんだと言っていました。

話していて、人生ってやり直せるんだってすごく思ったんですよね。高卒認定を取るために合宿も来て、30歳からやり直すってすごいじゃないですか。自分は、高校を退学して将来のことも決まっていない。ちゃんと切り替えなきゃいけない、変わらなきゃって思いました。

学校に通うかたわらやっている仕事も、肉体労働がメインで、真夏に中腰で重い鉄を運ぶなど過酷を極めていました。次の日は必ず、体にガタがきます。そんな日々から抜け出したいとも感じていました。

偏差値底辺から難関大合格へ


変わるためにどうしようか考えた末、大学受験を本気でやろうと心に決め、難関大学を目指すことにしました。それくらい高い目標じゃないと、切り替えられないと思ったんです。

まず中学の勉強から始めました。それまでまともに勉強したことがなかったので、英語のbe動詞もわからないレベルでした。予備校に通おうと思い、一番下のコースのお試し授業を受けてみましたが、全くついていけなかったですね。もう自分でやるしかないと思い、参考書を買いあさり、独学で勉強を始めました。

誘惑を断ち切るために、全ての繋がりを切り、携帯も捨てました。孤独でしたが、後に引けない状況を作ってしまえば、やるしかないですよね。

しかし、夏頃に過去問をやり始めると、自分の実力を痛感。合格までの距離が遠すぎて絶望しました。そこでモチベーションがプツンと切れたんです。本当に受かるのかな?と思い始めて、勉強が手に付かなくなり、1週間ずっとゲームをしていました。

そんな中、唯一連絡を取っていた彼女にフラれたんです。完全にひとりぼっちになってしまいました。でも、それをきっかけに吹っ切れましたね。逆に「これでダメだったら崖から飛び降りる」と腹をくくりました。

猛勉強の結果、1浪して、難関大学に合格することができました。自分でも一からやればできるんだってすごく自信が付いて、嬉しかったです。踏ん切りがついて、新しい世界に踏み出すことができました。

何が本当の幸せなんだろう


入学してまずは友達を作らなきゃと思い、人との繋がりを増やすために、サークルに入りました。在学期間中は自分探しの旅だと考えていたので、やりたいことを見つけるためにいくつかの企業でインターンもしました。

高校時代の肉体労働の仕事や専門学校で見ていた世界と、大学の世界、ビジネスの世界。そのどれもが違って、いろいろな価値観の人がいましたね。

ある鳶職人は、16歳で家庭を持ち、家賃5万のボロボロの狭い部屋に住んでいましたが、すごく幸せそうでした。一方で、起業して成功し、たくさんのお金を稼いでいても、独りで辛そうな人もいました。また、人づてに、小学校のときよく喧嘩しながら尊敬していた友人が道を踏み外し、幸せとは言えない状態になっていると聞きました。あんなに人望も人脈もある彼がどうしてこんなことになったんだろうと思ったんです。

お金があっても、成功しても、人と多くの繋がりがあっても、幸せとは限らない。幸せの物差しはたくさんあるのだということを学びました。何も知らなければ、「お金持ちになりたい」とか単純な夢に向かって頑張れたかもしれないですが、いろいろな世界を知ったがゆえに、何を目指すべきか悩みましたね。何が本当の幸せなんだろう?と考えるようになりました。

そんな中で、一つやりたいこととして浮かんだのが、塾を作ることです。自分は高校を中退してから、専門学校やバイト先でさまざまな人と出会ったからこそ、選択肢が広がった。でも、一度学校をやめたり、荒れたりしたら、その世界しか知らずに過ごす人がほとんどです。そういう人たちも、もしかして他の世界を知っていたら、違う道を歩めたかもしれません。例えばインターン先で出会った社長のように、ビジネスをやって花ひらく人がいたかもしれない。そんな選択肢を知らないのは勿体無いと思いました。だったら、そういう人たちのための塾を作って、選択肢を広げようと考えたんです。

ただ、それはまだ先だと感じました。塾を成功させるには、まず塾長に実績がないといけない。何かをやって成功してから、そんな塾を作ろうと決めました。

起業とタピオカランド


とは言え、具体的に何をするかは見つかっていませんでした。ただ、起業家との出会いも増え、主体的に行動している人に憧れるようになって、自分でイベントサークルを立ち上げました。そして大学3年生の時、そのサークルの友達3人と、勢いで起業したんです。企業への就職も考えましたが、そもそも集団行動が苦手だったことを思い出し、向いていないんじゃないかと思ったんですよね。それよりは起業だなと。

最初は何の事業をやるかも決めていなくて、完全にサークルの延長の感覚でした。BBQスペースの運営やイベント企画、キャスティングなど、依頼があったものは全てやりましたね。経営の知識もないので、やりながら学んでいきましたが、最初は失敗だらけで全くうまくいきませんでした。なんとか食っていけるレベルで、全く儲からなかったですね。失敗で周りにも迷惑をかけるし、仲間もやめていくし、ダメダメでした。

起業してしばらく経ったある時、知り合いから、その人が手掛けている施設で、夏に向け何か面白い企画ができないかと依頼がありました。夏にハマる企画でふと思いついたのが「タピオカランド」。タピオカジュースの販売はもちろん、タピオカに見立てた大きな黒いボールを入れたタピオカプールや、タピオカジュースの被りものなど、タピオカをテーマにしたものをたくさん用意し、写真が撮りたくなる空間を作ろうと思ったのです。

思いついたはいいものの、その時点で夏までにはあと2カ月しかなく、実際の準備期間は1カ月くらいしかありませんでした。関係者やクライアント、協賛企業の調整から始め、実際に準備が始められたのは、予定日として決めた開催の約1カ月前。準備期間がタイトで、とにかく大変でした。イベント企画は経験してきたので、ある程度の工数は計算していましたが、告知を出した時点でのメディアの反響が予想以上にすごかったんです。

メディアからの問い合わせがひっきりなしにきて、コールセンターみたいな状態でした。それで、計算していたよりもはるかに多くの工数がかかってしまいました。

実際オープンしてみると、これまた予想以上の反響で、テレビや雑誌、インターネットの各メディアから取材が殺到しました。話題になったのはうれしかったですが、大注目されたがゆえに、様々な角度からメディアに取り上げられました。「トイレがない」がツイッターのトレンド1位になってしまって騒ぎになることも。実際トイレはあったのですが、それを伝えられていなかったんです。

さまざまなハプニングがありましたが、結果的に約3万人の来場があり、現場ではクレームは一切なくイベントが終了しました。最後には別の企業さんからお声がかかったり、コラボレーションイベントなどを開催できるようになったんです。

変わるきっかけを与えたい


現在は、STARS株式会社の代表として、若者向けのイベント企画やPR企画などを行っています。今は広告代理イベント業として様々な相談が来るようになりました。

でも正直、大学受験と比べると、あれ以上に本気で会社をやれているかというと、そうではありませんでした。これまで、とにかく目についたことをいろいろとやってきた。イベントはもちろん好きなので、毎日楽しい。でも、覚悟がないので事業も成長しないし、仲間もどんどんやめる。本当に何がやりたいのか、一度立ち止まって考えた結果、自分の原点を思い出しました。

それは、遊びの中でさまざまな人と出会ったからこそ、今の自分があるということです。その繋がりがあったからこそ、自分は変化してくることができた。だからこそ、今度は自分が、いろいろな人にきっかけを与えたい!たくさんの影響力を与える会社を作りたい!と思ったんです。

今後は、より多くの人たちにきっかけを与えられるように、会社を経営していきたいです。ようやく自分の夢が見つかったので、今度は覚悟をもって、新規事業の準備もしているところです。きっかけさえあれば、そして覚悟を持ってやれば、人生は何歳からでも変えられると信じています。

2020.02.13

インタビュー・ライティング | 湯浅 裕子
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