誰より心配性だからこそ、誰より準備と努力を。 「心の満足」を追求し、安心を届ける。

【第一生命保険株式会社提供】全国に約900人のお客さまがいる生涯設計デザイナーの武井さん。人見知りで引っ込み思案、心配性だという武井さんが、保険の仕事を始めたきっかけとは。そして、たくさんのお客さまと関わる中で見つけた生きがいとは?お話を伺いました。

武井 真由美

たけい まゆみ|第一生命保険株式会社 生涯設計デザイナー(シニアエキスパートデザイナー)
第一生命保険株式会社大宮支社大宮公園営業オフィス勤務。2015年から、生命保険と金融のプロフェッショナル組織「MDRT(Million Dollar Round Table)」会員。 第一生命保険株式会社 生涯設計デザイナーRECRUIT WEBはこちら >>http://dai-ichi-life-career.jp/

人見知りの負けず嫌い


栃木県足利市に生まれ、群馬県佐波郡東村(現伊勢崎市)で育ちました。一人っ子で、家の中では活発に過ごすものの、外に出ると人見知りをし、知らない人の輪の中に入っていくのが苦手な子どもでした。

一方で、負けず嫌いな面もありました。小学校ではミニバスケットボール、中学校では剣道に打ち込み、「負けたくない!」と一生懸命練習しました。何事も、やり始めると夢中になってしまうんです。ただ、人に見られるのは恥ずかしかったので、努力はこっそり影でしていました。

高校でも剣道を続けたくて、剣道部が全国レベルの高校に進学しました。しかし、練習があまりにもハードで、入部して10日間で7キロも痩せてしまったんです。結局倒れてしまい、部活を続けることができませんでした。練習についていっている同級生もいたので、自分は逃げたのだという意識が強かったです。

剣道ができなくなってしまったので、興味が湧いたワープロ部に入りました。ワープロにも没頭し、タイピングの速さや正確さを競う大会に出場して優勝しました。やるからには勝ちたいと、目標に向かって努力する過程も楽しみました。

結婚・出産後の孤独


高校卒業後は、剣道をもう一度始めたい気持ちもありましたし、安定している印象があったので女性警察官になりたいと思っていました。しかし、試験を受けると不合格でした。そこで民間企業への就職を目指し、地元の企業に就職しました。会社では受付や庶務をすることになりました。

全国からお見えになるお客さまにお茶を出したり、書類の整理や計算をしたりと、様々な仕事をしました。しかし、ずっと社内で働いていると、頻繁に外に出ていく営業の人たちが自由に見えて、いいなと思うようになりました。自然と、営業の人たちの仕事を目で追っていました。

その後、25歳を過ぎた頃に結婚し、出産しました。働く女性に対し、社会は厳しい時代。私の働く会社でも、産休や育休中に、肩たたきに合い仕事を辞めてしまう同僚が多くいました。私も例外ではなく、上司から退職を促されました。でも、それはおかしいと思ったんです。仕事をするのは当然の権利なのに、なぜ仕事を辞めなければならないのか。疑問に思うことはそのままにできない性格でした。

会社と、とことん協議し、女性社員への対応を変えることができました。しかし私自身は会社に残らずに、退職して埼玉県に引っ越しました。

仕事を辞めて、全く知らない土地に来たとき、社会から取り残されている孤立感がありました。友人はキャビンアテンダントをしていたり、大企業で活躍していたので、自分だけ取り残されている気がしたんです。社会と繋がりたくて、新しい仕事を始めようと決意しました。

しかし、10社以上面接に行っても、なかなか雇ってもらえません。

そんなとき、たまたま近所に住む女性から、保険の仕事を紹介されました。その方は保険会社で働いていたのです。正直、一番やりたくない仕事だと思いました。私はノミの心臓と言ってもいいくらい心配性で人見知りだったので、初対面の方に保険の営業をするなんてできないと思ったんです。

しかし、せっかくの機会であり、ご縁であると思い行ってみると、働いている皆さんの雰囲気がとても良い感じがしました。時間の融通が利き、子育てと両立できそうなところにも魅力を感じました。それに勇気付けられて、第一生命保険で生涯設計デザイナーとして働き始めました。

仕事で見つけた、認められる喜び


危惧していた通り、最初はお客さまとなかなかお話ができませんでした。周囲の人はできているのに、自分はできない。周囲と比べて何が悪いのか、「服の色が暗いのかしら、表情が硬いのかしら」と細かい部分まで比較するくらい悩みました。切羽詰まって、お客さまに「私のこと嫌いですか?」と聞いてしまうこともありました。

考えた結果、単純にみんなと同じ仕事量で目標を達成できないなら、人の三倍仕事をしようと決めました。とにかく訪問量を増やしました。あと一軒訪問したら、もしかしたら保険を検討しているお宅かもしれない。もしここで立ち寄らなかったら、他の保険を検討されてしまうかもしれない。そんな思いから、一軒、また一軒と訪問数が増えていきました。三倍どころではなかったかもしれません。「努力は無限にできる」をキャッチフレーズにして、ひたすら努力しました。そうやって行動すると、「目標を達成できないかもしれない」という不安を払拭することができました。

行動した結果、徐々に成果がでるようになりました。成果が出ると、社会の中で自立した一人の人間として認めてもらえた感覚がありました。働いているからこそ得られる、生きがいが見出せた感じがしたんです。お客さまから問い合わせがあり、「武井さん、お電話です」と言われた時の高揚感が忘れられず、仕事に打ち込むようになりました。

「ありがとう」と言ってもらえる人になりたい


そもそも、仕事は、子育てと生活のために収入を得たいという考えから必要に迫られてしていました。家賃や光熱費など生活費の支払いのことを考えると、休むことが怖くなるくらいでした。

入社して三年目ぐらいが経つと、自分にプレッシャーをかけるようになりました。お客さまとお話しするとき、「いつかお客さまに感謝されるように」と自分に言い聞かせてから営業するようにしたんです。一度思ったことは必ずやり遂げる。自分を奮い立たせて、お客さまのために行動するように心がけました。

私は心配性なので、何手も先を考えていないと不安で仕方がありません。お客さまがどんなことを考えているのか常に気を配り、何通りも展開を用意していきました。それから、お客さまを説得しないように気をつけました。私自身、説得されるのは好きではありません。営業側の意見を押し付けるのではなく、お客さまが保険についてしっかり理解され、納得されることを大事にしました。そうやってお客さまと接していくと、最終的にはお客さまから「ありがとう」と感謝のお言葉をいただけるようになりました。

さまざまな人との出会い、つながり


お客さまとの繋がりが増えると、さらにいろいろな方とご縁も広がっていきました。その中で骨髄バンクの創設者の方ともお会いすることができたんです。お互いの使命に共感し、保険と骨髄バンクの大切さを啓発するセミナーを開催することができました。

お客さまが増えると、病気や不幸に立ち会う場面も増えました。お付き合いが深いお客さま の不幸は、私にとってもつらく悲しいものでした。ある日、お客さまの不幸に直面して泣いていたところ、親族の方から「サポートしなきゃいけないあなたが、泣いていてどうするんだ」とご指摘を受けました。

その通りだなと思いました。私はお客さまをサポートさせていただく立場です。悲しくても、一緒に泣いてはいけないのです。お客さまから学ばせていただくことはたくさんありました。それからは心の置き場所を考え、一緒に悲しむのではなくそっと見守るようになりました。今泣いているお客さまは、何に一番困っているか。一番辛いその時に、そっと手を差し伸べられるよう、心がけてお付き合いさせていただくようになりました。

お客さまである若い歌手の方が突然「末期腎不全」になってしまったときには、できる限り寄り添い、手続き等も迅速に対応しました。お客さまに少しでも安心してもらうために、とにかく親身でいたいと思っていました。

あるとき、お付き合いさせていただいている中古車販売の会社の屋根が大雪の被害に遭い、大きな損害が出ました。しかし、頼みの損保会社は、他の企業への対応で忙しく親身に動いてくれなかったそうで、私に相談の連絡がきました。損害保険金が支払われるかどうかは、被害状況の調査の仕方によって変わることがあります。その企業が受けた損害の分が適切に支払われるよう、私が保険担当の従業員になったつもりでアドバイスさせていただきました。その結果、会社はしっかりと保険金を受け取ることができました。

その出来事から、その会社の社長さんに信用していただくことができました。それまでは「出入りしている保険会社の人」でしたが、いろいろな機会にお招きくださり、お知り合いの方に保険の紹介をさせていただけるようになりました。家族のようなお付き合いができるようになったんです。

念願のMDRT入会


入社して10数年経った頃、ある先輩から、国際的な保険の資格「MDRT」の取得に挑戦してみたらどうかと声をかけられました。世界70カ国の保険や金融のプロフェッショナルが所属する、国際的な組織の資格です。社内にも会員がおり、その人たちは憧れの存在でした。まさか自分が挑戦できるとは思ってもいなかったので、無理ですと返すと、その先輩は「武井さん、できるわよ」と言ってくださいました。

会員になれるものなら、なってみたい。先輩の一言に背中を押され、会員資格の取得を目指すことにしました。取得のためには、クリアすべき基準があります。やるからには徹底的にやりたい性分なので、それらを達成するために、計画的に動きました。

とはいえ、勤続年数が短い私が取得するには、かなり高いハードルがいくつもありました。資格取得を目指していると周囲に話すと、多くの方が協力してくださいました。私のような一社員が取得した例がまわりにない中で、上司がとても協力的で、大雪のときご提案させていただいた中古車販売会社の社長さんからもたくさんの助言をいただきました。「武井さん、応援するから頑張りましょう。夢をかなえましょう!」と目標に向かって一緒に歩んでくださったんです。

無我夢中とはまさにこのことで、年末に必要な基準が達成できたときは、まるで夢のような心地でした。多くの方々のおかげで、憧れの資格を取得することができました。

お客さまの安心とQOL向上を目指して


今は、第一生命保険株式会社で、生命保険を中心に損害保険やがん保険など、幅広い保険を扱うコンサルティング営業をしています。北海道から鹿児島まで、全国に約900人のお客さまに恵まれました。今は、全国のお客さまから新しくお客さまをご紹介していただくことが増えています。とてもありがたいですが、新規開拓の時間がないのが不安でもあります。心配性なので、今の恵まれた状態がいつまで続くのかを考えてしまいます。お客さまにきめ細かに対応しつつ、どうやって時間を作るかが課題です。

お客さまからお寄せいただく相談は、保険だけではありません。就職や転職の紹介や、企業同士のマッチング、ときにはお見合いのセッティングまでいろいろな相談があります。むしろそっちの方が圧倒的に多いかもしれません。できない約束はしませんが、できると思ったら徹底的に準備します。放っておけないんです。「武井さんじゃなきゃだめ」と言っていただけることが、何より嬉しく励みになります。QOL(Quality of Life)の向上を推進することで、お客さまにしあわせな人生を実現していただけるように、微力ながらお手伝いさせていただきたいと思っています。

今後は、自分が歩んできたことの証として、MDRTの終身会員を目指したいです。10年連続で条件をクリアすることで、終身会員になることができます。目標を達成することで、お客さまに安心をお届けすることが出来るような存在になりたいと思っています。お客さまから「お母さんみたい」と言われることもあります。そんな風に、家族のように、本当に辛い時に手を差し伸べられる一生涯のパートナーとして、寄り添っていきたいです。


※この記事は、第一生命保険株式会社の提供でお送りしました。

2019.12.16

インタビュー・ライディング | 粟村千愛
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