決められた型ではなく、自分で見つけた美しさ。犬と人、異なるものが共存する社会を。

犬と人間との幸せな関係性を築くため、犬の靴・靴下などの商品企画開発や情報発信を行う中野さん。化粧品会社に就職したものの、大勢が求める型通りの「美しさ」に違和感を覚えるように。中野さんが見つけた本当の美しさとは。そして犬と美との関係性とは?お話を伺いました。

中野 由美子

なかの ゆみこ|docdogプロデューサー
株式会社ディライトクリエイションで、犬と人間との幸せな関係性を築く「docdog」事業のプロデューサーを務める。

美しいって何だろう?


京都府木津川市で生まれました。5つ年上の姉に対して、常にライバル心を燃やしている子どもでした。姉ができて、自分にできないことがあるのが悔しかったんです。例えば、姉は電話台の上に乗っている電話帳を軽々取ることができましたが、身長の小さい私は手が届きません。でも、どうしても自分で取れるようになりたくて、椅子を転がしてきてその上に乗って手を伸ばし、椅子から落ちて怪我をする、というのを繰り返していました(笑)。

姉の方が体が大きくてできることも多かったけれど、できないと決めつけられるのがすごく嫌だったんですよね。背伸びしただけでは電話帳に手が届かなくても、何か道具を使えば届くかもしれない。年齢や身長でカテゴリ分けしないでくれ、個人として見てくれよって思っていました。

一方で、綺麗なものや踊ることが好きだったことから、3歳からバレエを習い始めました。幼稚園を卒園して小学生になると、放課後はすぐバレエの練習へ。一面が鏡の部屋で、ひたすら踊り続けました。特にダンサーになりたいという夢はありませんでしたが、バレエのストイックさが好きだったんです。体力を極限まで消耗して練習し、みんなで一つの演目を作っていくのは、「生きている」という感じがしました。

特に最高なのは舞台の高揚感でした。舞台に向けて体を作るので、実は本番を迎えた時、体力的にはヘトヘトの状態です。それでも、幕が開いてライトが自分にあたり、観客の黒いシルエットが見えた瞬間、疲れなんて忘れるほどの、ものすごいアドレナリンが出るんです。チームで互いを高め合いながら、これまで自分が練習してきたものを、ただひたすら発揮する。大きな達成感を得ることができました。

バレエを続ける中で、「美しさ」について考えるようになりました。先生や先輩が踊ってくれる型を見ると美しいと感じるのですが、自分でやっても同じように思えないのです。そんな時、「どこが違うんだろう?」と先生や先輩と自分とのギャップから、美しいとはどういうことなのかを考えるようになりました。

全力で生きるものが共存する美しさ


バレエにのめり込む一方で、校内のコミュニティにはほとんど参加しておらず、学校では一人でいることが多かったです。よく読書をして過ごしていました。

小学4年生の時に、いろんな種類の犬が載っている『犬種図鑑』を読みました。そこには、昔から人間社会に寄り添って進化を遂げてきた、犬の歴史が書いてありました。こんなに人間と寄り添って生きてきた動物がいるのなら、私も一緒に生きてみたい。そう思い、犬を飼いたいと両親に訴えました。「通信簿でオール5だったら犬をもらってきてあげる」と言われ、なんとか条件をクリアして犬を迎えることになりました。

ちょうど父の知人の家で子犬が4匹生まれたところで、その中の一匹をもらうことに。行ってみると、3匹が仲良くじゃれあっているのに対し、1匹だけ隅で遊んでいる子がいました。周りをあまり気にしないその様子に惹かれて、すぐにその子をもらうことにしたんです。

必要以上に近寄ってこない、自分の時間を大事にする子でした。同じ部屋にいても「お互いの生活を持とう」とでも言うように、私たち人間に干渉してこないんです。そんな姿勢も好きでした。

一緒に散歩に行く時間が最高に楽しかったですね。田舎だったので、空間には田んぼと私とその子だけ。人間の友達だと気を遣わないといけないことが多いけれど、犬はこちらに気なんか遣いません。今したいことを、全力でするだけです。だから私もその時間、全力で自分の思うままに過ごすことができました。今をそれぞれが全力で生きて、共存できている。その時間を美しいと感じました。そしていつか、犬に関わる仕事がしたいと思うようになったんです。

英語教育を志すも、挫折


中学校に上がると英語が好きになり、カナダへ短期留学しました。しかし、文法をガチガチに固めて行ったにも関わらず、全然話せなくて。こちらを指差して他国の子が「日本人ってなんで英語ができないんだ」と笑っていました。それがすごく悔しくて、さらに勉強して高校の1年間、ドイツへ交換留学することにしました。ドイツは世界的にみて英語話者率が高い国なので、現地の公立高校で実際に英語教育を受けてみたいと思ったのです。

今度は英語を話せるから、通じ合えると思っていました。しかし、言葉はわかっても、話が通じないんです。感覚が共有できないんですね。私は「文化的前提があまりにも異なる相手」に対して、英語で考えを伝えることがうまくできませんでした。ホストマザーと喧嘩になり、最終的には追い出されるような形で帰国することになってしまったんです。

この経験を通して、日本の子どもたちが海外の人とコミュニケーションを取れるようになるためには、日本の英語教育自体を受験目的ではなく、「文化的背景の異なる相手と共通言語で意思疎通すること」に変えなければいけないと考えるようになりました。
一方で、バレエに対する情熱は冷めていきました。日本では、踊り続けるには体重制限があるため、私は170センチ近く身長があるにも関わらず、45キロを超えないようダイエットやトレーニングをしなければなりませんでした。

しかし、ドイツで出会ったバレエダンサーたちは、体型にはこだわっていませんでした。太っていたり背が高かったり、いろんな女性がいましたが、「自分は自分だからそれでいい」とありのままに個性が受け入れられていました。それでいて、全体がうまく行くよう、みんなが作用し合っている。心地の良い全体主義が流れていました。

その雰囲気を知って日本に戻ってくると、日本のバレエは決められた型にはめられているように感じて違和感を覚えました。ストイックに互いを高め合う醍醐味は味わってきたし、学ぶべきことは学んだという満足感もあったので、この先は違うことをしたいと思いました。

バレエをやめ、英語教育が学べる大学に行くため受験に専念。意志を持って海外へ行き学んできた自負があったので、学力だけでなく志望理由や面接などで評価してもらえるAO入試を受けました。

しかし、結果は不合格。同じ学年の別の子が合格しているのを見て、ものすごいショックを受けました。その子は、学校内のコミュニティで周りとうまく打ち解けていて、部活に打ち込んでいました。バレエに打ち込んだり海外留学したりしていた私が体験してこなかった、いわゆる普通の高校生活を送っていたんです。その子の方が選ばれたことで、自分のやってきたことが否定された感じがしました。挫折感の中、結局望まない大学へ進学することになりました。

決められた美への違和感


大学4年間は、単位をとるだけで全く勉強せず、本ばかり読んで過ごしました。大学受験という一つの審査を通らなかったことで、英語教育への夢もすっかりしぼんでしまいましたね。暗黒時代でした。

せめて就活で、受験のとき負けた人たちを見返したいと思いました。もともと、型にはめずに個人の実力を評価してほしいと望んでいたことから、実力主義の外資系の営業を志望。中でも身近だった、化粧品の会社に入りました。

最初に任されたのは、トリートメントやカラー剤を下ろす代理店営業。ヘアサロンの閉店を夜9時まで待って、10時から商談を始めてそのまま飲みに行くような、泥臭い世界でした。しかしそれは苦ではなく、自分の名前で営業ができることが楽しかったですね。

しばらくすると、デジタルに精通した上司に声をかけてもらい、デジタル統括本部に異動し社内外の調整を行うようになりました。仕事の中で、化粧品を使用するインフルエンサーとやりとりすることが増えました。インフルエンサーたちは、流行りの美しさ、可愛さを発信していました。それを見ていて、「それは本当の意味での美しさなのか?」と疑問を感じるようになったんです。

美容業界は、何年も先に流行るカラーやトレンドなど、美しさの基準が決まっています。そのころは目鼻立ちがはっきりして二重、ブロンドで唇が分厚い西洋人の顔が「美しい」とされていました。みんながそれに迎合しているのが、すごく気持ち悪く感じたんです。例えば肌が綺麗なら、あえてアイメイクをしないで肌を一番綺麗に見せるとか、髪が綺麗なら髪を目立たせるとか、見せ方も本当は一人一人違っていいはずです。なのに、みんな同じものを美しいと定義して、それを良いと思っている。そのことにモヤモヤしながら毎日を過ごしていました。

沖縄で気付かされた、本当の美しさ


その後、沖縄で開かれたマーケティングに関するカンファレンスに参加する機会がありました。話し合いが続く中で1日だけアクティビティを楽しめる日があり、私は様々な体験の中からサンゴの養殖体験を選びました。

見学に行った先は、世界で始めてサンゴの養殖に成功した人が運営するサンゴ畑です。その人本人が、以前は美しかった海が、まるでモノクロテレビのように破壊されてしまったと話してくれました。私は気になって、「その美しさの定義ってなんですか?」と聞きました。すると彼は「例えば、鳥や魚や他の生き物、みんなが同じ場所でそれぞれの生活を持って共存していること。それが美しさだと思う」と答えたんです。

それを聞いてハッとしました。その通りだと思ったんです。私が求めてきた美しさは、多種多様な生き物が共存する、その姿にこそありました。自分が求めている美しさが何かわかると、改めて、みんなが同じものを美しいと思うのはおかしいと感じました。美しさとは、誰かに決められた型にはまったものではなく、個人が定義していくべきもの。今のまま美容業界にいては、その想いを世の中に投げかけることはできません。職を変えようと決意しました。

そんな時、たまたま見ていたSNSで、ベンチャー企業が出していた、犬に関する事業の求人を見かけました。子どもの頃からいつかやりたいと思っていた犬に関する仕事です。タイミングが合って心が動き、責任者に会いに行くことにしました。

会ってみるとその人は、「人と犬との幸せな関係の構築」を命題に、全力で事業に取り組んでいました。異なる種同士の幸福を、人間視点ではなく犬の視点で叶えようとする考え方を聞いて、この事業なら、私が思う美しさを実現できるのではないかと思いました。そして、なんの迷いも疑いもなく「私はこれが好きだから全力でやるの」と言い切る責任者の姿がかっこよくて、私もこうなりたいと思ったんです。一緒にいたら自分もそこに近づけるのではないかと思い、転職を決めました。

犬と人間が真に幸福な関係であるために


今は、「犬と人間の幸福な関係」を叶えるために、犬用のグッズの企画開発、販売、犬との暮らしに関する情報発信などを行なっています。私たちが自社開発しているのは、主に犬の足元まわりの悩みを解決する商材で、メインは犬の靴と靴下です。人間が靴を履くのに対し、犬には靴を履く習慣がありません。しかし実は日光を浴びて温度の上がったアスファルトの上を歩くと、犬は肉球を火傷しているんです。フローリングを走ると滑って脱臼してしまうこともあります。靴を履くって大事なことなんですよ。

しかしまだ犬の靴は一般的ではありませんし、ただのオシャレと認識されている部分もあります。そうではなく、本当に必要なものだと知ってほしいと思っています。そのために、今は情報発信を重視しています。

個人的に、最終的には保護犬のシステムを無くしたいと思っています。犬と人間との関係を考えていくと、保護犬というシステムを疑うべきだと思うんです。犬を保護する理由は、野犬を放置すると人が噛まれて病気になってしまうからですが、それは私たち人間のエゴ。自然は本来、強い者が勝ち弱い者が食われる弱肉強食が掟なのに、それを捻じ曲げてしまっているんです。保護して貰い手がなかったら殺処分をするというのも、人間の都合だと感じます。

とはいえ、一方的に今のシステムを外部から見ているだけだと、何もわからないし評価できないとも思っています。もっと保護犬のコミュニティの方々とも接して、繋がりを持った上で考え、事業にしていきたいですね。

犬は人間に寄り添って生きてくれているのに、人間は自分たちだけが幸せな世界を作ろうとしている。私はそれが、すごく嫌なんです。犬と人間も、自然の中に生きる対等な存在であるべき。それぞれが自分の生活を全うしながら共存できる、「美しい」社会を実現させていきたいです。

2019.11.14

インタビュー・編集 | 粟村 千愛
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