自分を認め、無理のない生き方で。長崎・壱岐島で土地や人との繋がりを作る。

長崎県の離島・壱岐島で、地域おこし協力隊として活動する藤木さん。見栄を張らずに自分らしく生きることを大切にしていると言います。福岡で働きながら、消しゴムはんこ作家としても活動していた藤木さんが、壱岐に移住したきっかけとは?お話を伺いました。

藤木 彩乃

ふじき あやの|長崎県壱岐市地域おこし協力隊・消しゴムはんこ作家
福岡県で栄養士、保育士として勤務した後、地域おこし協力隊として長崎県の壱岐島へ移住。消しゴムはんこ作家としても活動。今の自分を認め、そのままの自分でいることを大切にしている。

うまくできない自分への劣等感


福岡県の芦屋町で、2人兄妹の妹として生まれました。小さい頃は甘えん坊でわがままで、保育士の母によく遊んでもらっていましたね。幼稚園の年長のとき、自衛隊員の父の転勤で、家族全員で沖縄県の宮古島に引っ越しました。

島では父がよく海へ連れて行ってくれて、一緒に魚を釣ったり貝を採ったりしました。私は泳ぐのが好きで、小さな魚から大型のエイまで、いろいろな生物がいるサンゴ礁の海を泳ぐのがすごく楽しかったです。

泳ぎは得意でしたが、体を使った表現は苦手でした。伝統芸能の踊り『エイサー』を始めましたが、上達せず、親から強制されるのも嫌で、すぐやめてしまいました。私と違って、兄は体を使った表現が得意で、エイサーもすぐに上達して周りの人たちから褒められていました。エイサーだけでなく何でもできる社交的な兄と自分を比べてしまい、強い劣等感を持つようになりました。

私が住んでいたのは、全国から集まる自衛隊員やその家族が生活している団地でした。同年代の子もたくさん住んでいて、一緒に遊んだり、私より小さい子たちの面倒を見たりしていました。

小さい子たちのお世話をしていると、周りの大人たちから褒めてもらえました。「小さい子のお世話をする」というところに関して、兄より認められた感じがして、とても嬉しかったです。

宮古島との大きなギャップ


小学生時代は宮古島で過ごしましたが、父の仕事の都合で中学校進学と共に芦屋町に戻りました。自分が生まれた福岡に戻ってきたはずなのに「宮古島にもどりたい」という思いが常に心の中にありました。

宮古島と芦屋町の生活には、大きなギャップがあったんです。転校してきたばかりの頃、流行っていたプロフィール帳を書いてほしいとクラスメイトに渡したことがありました。プロフィール帳には「好きなものは?」「趣味は?」など色々な質問が書いてあり、渡した人に答えてもらうんです。

返ってきたプロフィール帳を見て、とてもショックを受けました。「あなたにとって一番大事なものは?」という質問の答えの欄に「お金」と書く子がいて、初めての価値観で驚いたんです。宮古島では「家族」「友達」と書く子がほとんどだったので、お金よりも人を大事にするという感覚が当たり前だと思っていました。

そういう経験もあって、宮古島に帰りたいという気持ちが芽生え始めました。時々、空を眺めて「この空は宮古と繋がっているんだなぁ」と思いを馳せていましたね。

中学校の卒業前になると、進路について考える機会が多くなりました。昔から子どもと遊ぶのが好きで、小さい子の面倒をみていると褒められた記憶もあり、母も保育士だったことから、漠然と保育士になりたいと思いました。

普通科の勉強より、好きなことを学びたい気持ちが強く、専門的な勉強ができる高校を選びました。高校には被服コース・食物コース・保育福祉コースの3コースがあり、保育福祉コースを選びました。

様々な知識をまんべんなく学ぶ中で、栄養学がすごく楽しいと感じるようになりました。高校卒業後の進路で保育と悩みましたが、周りは保育に進む子が多かったので、みんなと違う道に進んだ方が面白いかなと思い、栄養を学ぶことにしました。

自分らしく生きるということ


短大に進学してからも、小さい頃に抱いた兄への劣等感がずっとありました。特に、兄のように親からの期待に応えられていないと思っていたんです。そんな時、短大である友人に出会いました。

その子は「無理しなくていい」という考えを強く持っていて、自分の興味のあることを自由に楽しんでいました。一緒に観劇したり、見知らぬ人とハグをするフリーハグの活動に参加したりして、価値観が広がりましたね。その子はいつも「彩乃が彩乃らしくいられるのが一番いいよ」と言ってくれました。その言葉を聞くうちに、「そのままの自分でいいんだ」と思えるようになり、楽になった感じがしました。

在学中に成人式を迎え、一度、単身で宮古島に行きました。小学校の友達が「来ないの?」と声をかけてくれたんです。8年ぶりの宮古島でしたが、「帰ってきた」という感じがしました。「ずっとここにいたい」と思いましたが、就職もあり福岡に戻ることにしました。

短大卒業後は、子どもが好きだという気持ちがあったため、保育園の給食室で栄養士として働きました。仕事はとても楽しかったですが、職場での人間関係でトラブルがあったんです。人が本当に怖くなりました。

栄養士としての仕事はすごく楽しかったですが、給食室の外に出たいと思いました。給食室の業務が終わったあと、子どもたちの部屋に行ってずっと遊んでいましたね。もっと主体的に子どもたちと関わりたいと思うようになったので、保育士を目指そうと退職して保育の短大に行きました。

卒業してから保育士として勤務するようになりましたが、正職員として勤めたのは最初の半年だけ。その後は週に4、5日パートとして勤めました。以前の職場でのトラブルがトラウマになってしまい、正職員で働くのはつらかったんです。

そのとき勤めていた職場は「やりたいことをやりなさい」と言ってくれる環境で、副園長先生も主任も「彩乃ちゃんはそれでいいのよ」という考えでした。すごく救われましたね。無理をしなくていいんだ、自分らしく生きていいんだって。

人へ肯定感を与える、消しゴムはんこ


保育士として働く傍ら、消しゴムはんこ作りにハマっていました。目の前に消しゴムがあったから、小学生の時にゴム版の年賀状を作ったことをふと思い出して、試しに彫ってみたんです。軽い気持ちで始めましたが、続けるうちに上達しました。

消しゴムはんこは、自分と向き合う時間、ヨガみたいなものです。彫っている間は心が落ち着いて呼吸が整ってくるので、心にいい効果をもたらしていると感じます。

ある日、偶然立ち寄った小さな雑貨屋さんに納品させてもらえることになり、そこから副業として、消しゴムはんこを雑貨屋さんやケーキ屋さんに卸すようになりました。

イベントやマルシェへの出店、ワークショップの開催、参加者の年齢やイベントに合わせ、彫るところからやったり、ハンコを捺すだけにしたりと、いろいろな形でワークショップをしましたね。

どのワークショップでも心がけていたのは「とにかく褒める」こと。私自身、兄への劣等感や栄養士時代のいざこざで、自己肯定をあまりしてこなかったんです。でも「自分は自分のままでいいんだ」っていう自己肯定がすごく大事だと気づきました。

子どもは褒められる機会が多いけれど、大人になると褒められることは少なくなります。大人にも自己肯定感を高めてほしい。そう思って「褒める」ことをすごく意識しています。

憧れ続けた宮古島にそっくりだった壱岐


保育士として働き出してから、もう一度宮古島に行きました。宮古島に行くと「やっぱりいいな、ここに住みたいな」という思いが湧き上がってきました。しかし、現実的に難しいと思ったんです。親や親戚に何かあった時にすぐに戻れる距離ではなく、飛行機代も安くないので宮古島に住むのは諦めていました。

消しゴムはんこ作家としてイベントに出店した時、2人の女性に出会いました。2人はよくゲストハウスに行くそうで、興味を持って話を聞いているうちに「ゲストハウスは楽しいよ、あなたに合うと思う!」と勧められたんです。早速、佐賀県のゲストハウスへ行きました。

佐賀のゲストハウスでヘルパーという存在を知りました。ヘルパーとは、住み込みのお手伝いさんのような存在です。ゲストハウスによりますが、宿の手伝いをする代わりに、宿泊費・食費を提供してもらえるのです。

私もヘルパーをしてみたいと思って、海があって自分が行ったことのない場所にあるゲストハウスを調べたところ、漁師と海女さんがやっている長崎県の壱岐島のゲストハウスがヒットしました。海女さんに会ったことがなかったのですごく興味が湧いて、ヘルパースタッフとして壱岐に行きました。

壱岐に着いて驚きました。ずっと憧れ続けた宮古島にそっくりだったんです。島の規模感や環境、人口などもそうですし、何より空気感が似ていました。宮古島にいるときのように気張らずに過ごすことができ、壱岐で自分がすごく癒され元気になっていくのを感じました。

ヘルパー生活を終えて福岡に帰ったあと、周りから「なんか生き生きしてるけど、どうしたの?」と言われました。それくらい劇的に変わったんです。

宮古島は旅費やアクセスの問題がありましたが、壱岐では全く問題になりませんでした。時間もかからず、実家のある福岡へのアクセスもいい。壱岐に移住を考えるようになったんです。

移住という選択肢が浮かんでから、他にも移住先を検討し、色々な場所や他の島にも行ってみました。悩む中でたまたま、長崎県のある島のパンフレットに友人が載っているのを見ました。読んでみると、「島でうまくやるコツは見栄を張らないことだ」と書いてあったんです。

その言葉が響いて「自分にとって見栄を張らないでいられる場所はどこだろう?」と自問した結果、出てきたのは「壱岐」でした。それがきっかけで、壱岐に移住しようと決めました。移住というと大きな決断に聞こえますが、自分にとっては引っ越し感覚でしたね。ヘルパー生活を通して出会った心強い仲間たちの存在もあり、不安はありませんでした。

等身大の自分で


現在は壱岐で地域おこし協力隊として、空き家活用促進担当をしています。壱岐の4つの町の一つ、芦辺町では、芦辺浦地区にある移住促進の民間団体と共に、まだ住居に使えそうな空き家がないか探したり、空き家バンクへの登録を推進したりと、空き家活用を促進する活動をしています。また、移住希望者の補助金申請のお手伝いや、空き家に興味がある人の内覧の同行などもします。壱岐に来るきっかけになったゲストハウスも、この芦辺浦地区にあるんです。

地域おこし協力隊として着任したばかりで業務が忙しく、消しゴムはんこ作家としての活動はまだできていません。業務が落ち着いてきたら、ワークショップやマルシェ、イベントの出店などをやっていきたいと考えています。

私が活動する上で大事にしているのは「誰かを想って何かをする」愛情、人の暖かみや繋がりです。今、壱岐で共に活動をしている人たちはみんな、壱岐への愛がある。だから一緒にいてすごく心地いい。自分が本当に好きな壱岐だから、人に自信を持って勧めています。先輩移住者の話を聞いたり他の場所も見たり、検討した上で、壱岐を気に入った人に来てもらえると嬉しいですね。

これからも自分を認めて、見栄を張らずにそのままの自分で生きていきたいです。ヘルパー時代にできた仲間たちと一緒に、地域おこし協力隊としての空き家推進の仕事をやり遂げたいと思います。もう必要ではなくなった家を、必要としている人へ渡す、架け橋的な存在を目指しています。

2019.08.05

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