キャリアを捨て、能の道へ。平和のために、能の思想を広めたい。

観世流能楽師として活躍する宮内さん。官庁で働いていましたが、32歳で能の道に進むことを決め、異色の経歴で能楽師となりました。一生役所で勤め上げるつもりだった宮内さんが、なぜ能を極めることにしたのか。お話を伺いました。

宮内 美樹

みやうち みき|観世流能楽師
中央官庁の原子力担当として7年間勤務した後、32歳で能の道を志す。8年間の修行を経て独立し、現在は観世流能楽師として舞台公演、被災地慰霊公演、能の普及活動などを行う。

自分の人生は自分で決めるべき


茨城県水戸市に生まれました。『水戸黄門』で知られる徳川光圀の血筋を引く家で、武士の世界のしきたりが残っていました。例えば、家庭内での会話はすべて敬語、食事の席は、父と弟が壇上で、母と私が壇の下になっており、男尊女卑的な価値観が当たり前の生活でしたね。

親の言うことは絶対で、学校も習い事もすべて親が決めたことに従っていました。自分の意思を持たなくて済む方が楽なので、縛られた生活は嫌ではなかったです。

唯一自分から興味を持ったのは剣道です。家に飾ってある戦の絵を見て、どうして人はこんなに簡単に殺し合うのだろうと疑問を感じていました。主君の命令があれば、相手が初対面でも、何の恨みもなくても命がけで斬り合うことが理解できなかったのです。武士の気持ちを理解したくて、剣道を始めました。親からは、女がやる習い事ではないと反対されましたが、泣いてせがんで、なんとかお稽古に通わせてもらいました。

試合に出るようになると、武士道の前には個人の感情は二の次であると気がつきました。剣道には、心身を鍛えるための勝負という大義があります。武士の世界も同じで、個人の感情の上に、天下統一、天下泰平という大義があったから平気で斬り合えたのじゃないかと思いました。

主君に忠誠を誓うのが役割なので、たとえ斬られても、それが自分の天命だったと捉えることが、武士の生き様なのだろうと感じました。武士のように、自分の意思や感情よりも、忠や孝を優先する考え方だと、悲惨な戦争が起きてしまうかもしれないと怖くなりました。

また、剣道は1対1のものなので、誰の力も頼れない孤独感がありました。自分の力でなんとかしなくてはならない状況になって初めて、親の言いなりで生きようなんて甘い考えは捨てて、自分の人生は自分で決めていかなくてはいけないと思ったのです。

「自分で決めなければ」と思うと、自分自身についてより深く考えるようになりました。自分とは何だろう、何のために生まれてきたのだろうと答えを探す日々。しかし、いくら考えても答えは出ません。自分が生きる意味を見つけるために、より自分の頭で考えるようになりましたね。

心が弱いから対立が起きる


地元の高校に進学し、大学受験を控えている時期に、国際政治がテーマの講演会に参加しました。その中で、登壇したアメリカの国防総省の参謀が「今後の国際政治は、文明対立が大きな問題となる。文明の異なる人間同士は永遠に解り合えないから、宗教戦争が起こるだろう」と話すのを聞いたのです。

軍の参謀になるほど影響力のある人が、戦争を示唆する発言をするとは夢にも思っていなかったので、ものすごくびっくりしました。みんな同じ考えになったら、武士の時代のように戦争が繰り返される未来になってしまうかもしれない。想像すると怖かったです。

すると、日本の学者が「文明の違う人同士だって、駆け引きという外交で解り合えるはず」と反論したのです。アメリカの学者の言うことに流されず、より良い未来を作ろうとする姿勢に感動し、その先生のいる大学で勉強することに決めました。

大学では、その先生の国際政治のゼミに入りました。先生は学生の意見に鋭いツッコミを入れる、非常に厳しい方でした。しかし、「自らの意見を持つ」ことに全く慣れていない私を我慢強く見守ってくださいました。おかげで、意見を言うだけでなく、なぜ自分がその意見を持つに至ったのかまで深く考える習慣がつきましたね。

その結果、国際政治に対する自分の考えも固まっていきました。国際政治がメディアなどで語られるときは、国の利益を超えた国際交流が大事だといわれがちです。しかし、それは表向きのパフォーマンスであって、国家は自国の利益を考えている。国と国同士の損得がぶつかり合う中で、妥協点を探ることが政治の本質だと思いました。

なぜ損得勘定で政治が動くのか考え続けた結果、人間は弱い生き物だからだという考えに至ったのです。心が弱いからこそ、相手を信じられず、損か得かによる判断に逃げてしまうのだと思いました。

そう考えると、弱さを抱えて生きている、先生や先輩や友達など、自分の周りのすべての人を愛おしく思えるようになりました。一方で、人間の弱さを自覚しないまま国際政治が進むことに危機感を抱きました。弱さを自覚して克服しようと努力しないと、争いは減らないと思ったのです。そこで、就職活動では国際政治にかかわる仕事を探すことにしました。

そんな時、日本がフランスから、原子力発電の燃料としてプルトニウムを輸入するというニュースを先生から聞きました。プルトニウムは核兵器の原料にもなりうるものなので、諸外国では大ニュースになりました。しかし、日本ではあまりニュースにならなかったんです。

大学の先生方の間では、政府による情報統制がなされているという噂でした。こんな大事なニュースが国民に届かないことに危機感を抱きました。国際政治の動きを目の当たりにできる環境に身を置きたいと考えるようになり、原子力関連の仕事をする官庁へ就職しました。

良心の呵責に苦しむ


入庁後、希望通り原子力の部署に配属されました。当初は原子力に関する国際会議の運営や、国会答弁の想定問答集の作成などの仕事をしていました。

働き始めて半年後、福井県にある高速増殖炉原型炉「もんじゅ」で事故が起こりました。すぐに現地のトラブル対応に向かいました。「あんなもの人間に扱えるわけない」と原発撤退を要求する地元の方々を「大丈夫ですよ」と説得して回る業務です。

事故が起きた時点で、心の中では、原発の安全性に疑問を持ち始めていました。しかし、組織の方針に異を唱える勇気はなく、地元の方々の前では「安心してください」と話していました。

原子力に携わる人達の中では、事故が起きてから良心の呵責に苦しんでいた人が多かったと思います。しかし、原発の安全性に対して意見できるような雰囲気は全くありませんでした。私も何も言えなくて。一人ひとりは良心を持っているのに、集団になると言い出せなくなってしまう。人間の心の弱さが最悪の形で証明されてしまっていると感じました。

原発の稼働体制は改善されないまま時が過ぎ、4年後、茨城県東海村で再び事故が起きました。その時、どこかで「やっぱり起きてしまったか」と思う自分がいたのです。自分たちがきちんと安全性への疑問を口に出していたら事故は繰り返されずに済んだと思うと、とてつもない罪悪感に襲われました。これから原発の政策に一生を捧げても、お詫びしきれないと感じました。

直感を信じて能の世界へ


東海村の事故から3年後のある日、能の鑑賞に行った上司の忘れ物を届けに、能楽堂に行きました。能には全く興味がありませんでしたが、上司から「客が少ないだろうからサクラとして最後まで見ていきなさい」といわれたので、渋々客席についたのです。

能の内容を全く理解できなかったので、見始めてすぐに眠ってしまいました。120分の公演のうち、100分ぐらいは寝ていましたね。目が覚めたとき、衝撃の光景がありました。寝始めた頃と、起きた時の演者の立ち位置が変わっていなかったのです。100分間もほとんど動かないなんて、観客を馬鹿にしているような気さえしましたね。

しかし、考えてみると、こんなつまらないものが650年も続いているのです。なぜなのか不思議で興味が湧き、翌日、能の本を読み漁りました。しかし、何が書いてあるかさっぱりわからず、能楽堂に電話してどうやったら理解できるか聞いたのです。担当者から「習うことが一番近道だ」といわれ、能の教室を紹介してもらいました。

すぐに連絡して、能の教室に通い始めました。要領よく勉強することには自信があったので、能の上達も早いだろうと高をくくっていました。

習い始めて3カ月後、発表会がありました。自信満々で舞台にあがった瞬間、頭が真っ白になったのです。3分間の舞台中、ほとんど棒立ちになってしまい、最後は師匠に引きずり降ろされました。この時に思ったのです。もしかしたら能は、私の予想をはるかに超えた奥深い芸術なのでは、と。

もっと能を勉強したいと居ても立っても居られなくなり、舞台が終わった後、師匠に「能が持つ力、能の魂を知りたいです」と思いをぶつけました。すると、「お月謝を払う稽古では教えられません。能を極めるためには、習い事としてではなく、社会的地位もプライドもすべて捨て、私のもとで住み込み修行をしないといけません」と言われました。

能の世界は、室町時代から続く世襲の能楽師がほとんどで、大人になってから玄人修行を始めた前例はありませんでした。私はすでに32歳だったので、師匠には「能の世界に入るのは勧めません。女性に能は無理。万が一プロになれても、食べていけませんよ」と言われました。能の世界をもっと知りたいと思いながらも、師匠の言葉は重くのしかかりました。また、私は原発事故への責任感から、官庁で一生勤め上げるつもりだったので、すごく悩みました。3カ月間悩みましたが、自分だけでは仕事と能のどちらをとるかを選べませんでした。

このままじゃラチが明かないと思い、1週間の休みをいただいて、お坊さんに相談するために、和歌山県の高野山奥の院に行きました。写経やお堂の掃除をしながら1週間考えましたが、何も決め切れずにいました。帰る前日になってお坊さんから「もう十分悩んだから、明日の朝、起きた瞬間の気持ちで決めなさい」と言われました。翌朝、「能だ」という気持ちになりました。なぜそう思ったかはわかりませんが、直感を信じようと思いました。

32歳で修行スタート


32歳にして、修行の日々が始まりました。能の世界は修行年数で序列が決まり、能楽師の大部分は2歳頃からの英才教育を経てきます。はるか年下の人よりも下の立場でのスタートです。名前を呼び捨てにされ、能とは全く関係のない、プライドがズタズタになる理不尽なことを指図される毎日で、睡眠時間は4時間。自分の生きてきた32年間が否定された気分でしたね。

加えて、周囲の失敗はすべて一番下っ端の私の失敗になります。自分は何も悪くないのに、なんで謝らなければならないんだと思ってしまったらやっていけません。どんな時も土下座できるぐらいプライドを捨てないと生きていけない世界でした。理不尽なことばかりでしたが、「私のことを思ってくれているから敢えて意地悪するんだ」と自分に言い聞かせることで踏ん張っていました。

辛い毎日でしたが、修行を始めて5年ほど経つと、能の魅力を少しずつ理解できるようになりました。能は悲惨な人生を歩んだ負け組が主人公で、怨念を持って死んでいった彼らの霊を弔う芸能です。大きな流れとしては、罪を犯して地獄に落ちた負け組が、生前の行いを反省し、その気持ちを汲んだお坊さんが彼らを許し、来世に送るストーリーです。

劇を通じて、過去の人間の苦しみや悲しみを知って、未来をどう生きればいいか考える。これが能の醍醐味だと分かりました。

舞台に立ってみて、負け組を演じる能楽師の心意気にも気づきました。能の舞台は、足場がとても高く、一歩踏み外せば大怪我につながります。その舞台上を、ほとんど周りが見えない能面をつけ、重さ20キロにもなる衣装を着て舞うのです。舞台の上では、本当に死と隣り合わせ。この過酷な環境で演じるからこそ、負け組の苦しさを表現できるのかもしれないと思いました。

負け組のような惨い人生を経験してこなかった演者が、負け組を演じようとしてもやはり限界があります。修行から舞台の仕組みまで厳しい環境にさらされ続けるからこそ、負け組を演じきることができるんです。能の世界は全て繋がっているんだなと思うと、修行の辛さが気にならなくなりました。

8年間の修行を経て、観世流能楽師として独立することができました。

過去に蓋をせず反省し、未来へ生かす


今は能楽師として舞台に立ち、お弟子さんを取って稽古をつけています。

また、弔いという能の特性から、被災地での鎮魂の舞台、寺社での奉納公演も行っています。福島での復興祈願公演は、原発に関わった経験があるだけに特に思い入れが強いです。その想いを福島の人に伝えると「偽善だ」と叩き出されたこともあります。その一方で、慰霊公演が終わった後、遺族の方が涙を流してくれることもある。その姿を見ると、能の世界に来てよかったと感じます。原発事故の償いは私の使命です。役人の仕事から能の舞台に形は変わりましたが、一生をかけて続けていきたいです。

さらに、能の普及活動にも力を入れており、外国人や子ども向けに、能を身近に体験できる教室を開いています。能ほど、縄文時代から紡がれる日本人の感性や価値観を総合的に理解できる芸能はないと思います。ただ、稽古のような形で広めようとすると、多くの人は身構えてしまいます。だからこそ、能の教室を通じて、能を身近に感じてもらうことを意識しています。

普及活動を続けるのは、能の思想が世界平和のヒントになると考えているからです。能は、過去の人間の苦しみや悲しみにじっくり耳を傾けることによって、未来をどう生きるか考える芸能なので、この考えを国際政治でも活かせると思っています。国際政治においても、過去の歴史を十分に紐解かないまま、目先の損得勘定のみで動くことが多いと感じます。でも、それでは抜本的な解決にはならず、国同士の溝は深まってしまいます。多少の衝突が予想されても、お互いの本音を掘り下げた上で、未来の関係づくりに活かしていく姿勢が必要だと思うのです。

だからこそ、今後も能を通じて多くの人に、「過去と向き合い、その反省を未来に活かす考え方」を伝えていきたいです。

2019.07.12

インタビュー・ライティング | 伊藤 祐己
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