全ての物語をハッピーエンドに。コーヒーショップからノーベル平和賞を狙う。

小さい頃から人を喜ばせることが好きで、一時はその想いが強すぎてうまくいかないこともあった神定さん。それでもやりたいことが諦められなかった結果、選んだ道とは。お話を伺いました。

神定 祐亮

かんじょう ゆうすけ|Tadaima Coffee 店長
高校卒業後、スターバックス コーヒー ジャパンにアルバイトとして勤務。その後、社員となり新店舗立ち上げに従事。2018年11月に、「Tadaima Coffee」に転職。現在は店長として勤務する。

自分の作ったもので人を喜ばせたい


茨城県日立市で生まれました。母、兄、祖父母と一緒に住んでいました。小さい頃は家族の喜ぶ顔を見るのが好きで、絵を描いて見せたり、料理を手伝ったりしていました。また、テレビで見た映画や番組の面白かったシーンを紹介したりしていました。

とくに映画を見るのは大好きで、毎週末放送されていたものはジャンルを問わず、欠かさず見ていました。中でも好きになる映画のタイプは最後にハッピーエンドで終わるもの。途中悲しいことがあっても、最後には幸せになる展開に勇気をもらい、自分もそうありたいと思っていました。

逆に、ハッピーエンドではない映画は、なんでそうなっちゃうんだろうと疑問に思っていました。互いに相手を喜ばせようとすれば自然とハッピーになるのに。なんとなく世界平和について関心を持つようになりましたね。

小中学校でも周りの人を喜ばせたいと思い、活発に行動していました。自然とクラスの輪の中心にいることが多かったです。特に自分が描いた絵で友達に喜んでもらうのが好きで、授業中もずっと絵を描いて、自信作を友達に見せたりしていました。

高校3年生のとき、将来の目標を漫画家に絞りました。なんとなく、母からは、良い大学に行って、大企業に入ってという堅実な生き方を望まれている気がしましたが、サラリーマンは忙しそうで常に時間に追われているイメージがあって嫌でした。それよりも、自分の作ったもので人を喜ばせる仕事がしたいと思ったのです。正直、クリエイターであれば作るものはなんでも良かったですね。

東京の出版社へ作品の持ち込みを始めました。親には伝えていませんでしたが、卒業したら上京しようと思っていました。

ところが、卒業間際に祖父が亡くなりました。そんな状況で上京すると、家族を余計に寂しがらせてしまうと思い、地元に残ることに。ある程度実績を積んでから、あらためて上京しようと思いました。

卒業後1年間は、アルバイトをしながら漫画を描き、完成したら東京に行って担当者に見せる生活をしました。

人の心を豊かに


同じ頃、地元に有名コーヒーチェーン店ができました。すると、友人4人から「オープニングスタッフをやったほうがいいよ」と連絡が来たんです。人に喜んでもらうことが好きな自分の性格と、そのコーヒーチェーン店の経営理念がマッチしていると言われたのです。

興味を持って、その会社の経営理念を調べてみると「人々の心を豊かで活力あるものにする」という言葉が目に飛び込んできました。学生時代に無意識にやっていた、「人に与えて喜んでもらう」ことにリンクしていて、とても共感しました。

漫画家を目指していることは変わらないけど、どうせバイトするなら理念に共感している会社がいいと思い、オープニングスタッフのアルバイトに応募しました。

面接の際、幼少期から漠然と抱いていた世界平和に貢献したいという思いも伝えました。人が人を喜ばせることが世界平和を実現するための第一歩で、自分はコーヒーを通してそれがしたいと話したのです。その結果、500人の応募の中から採用されました。自分の性格と会社のやりたいことが合致していたから、うまくいったんだと思います。

実際に働いてみると、お客さんが自分が淹れたコーヒーを笑顔で飲んでくれる、「美味しい」と言ってくれる瞬間がすごく楽しかったです。

あるとき、目と耳が不自由なおばあちゃんがお客さんとして店に来ました。その方は注文の際、僕の手に「コーヒー下さい」と書いたんです。コーヒーを届けたあと、ブラックでは苦すぎるだろうと思い、お砂糖も持って行きました。そして、おばあちゃんの指をお砂糖に突っ込んで舐めてもらって、入れるかどうか確認しました。その接客をしている瞬間は、店内に僕とおばあちゃんだけしかいなくなり、周りの時間が止まったように感じました。

後日、店舗に手紙が送られてきました。手紙は点字と文字で書かれていて、内容は「店員さんにこういうことして頂き助かりました」という感謝の内容でした。さらに「今度は孫を連れてきます」と書かれていました。差出人の名前はなかったのですが、私にはすぐにあのおばあちゃんだとわかりました。

おばあちゃんにとっては、手紙を書くのも大変だっただろうに、と思うと、お礼の手紙をいただけたことをすごくうれしく思いました。自分の接客で人に喜んでもらえることは、漫画家としてやりたかった、自分の作品で人を喜ばせることと同じだと感じました。

もっと人を喜ばせられる人が増えれば世の中が良くなるなと感じ、そんな人を採用したり育てたりできるようになりたいと思いました。そのためにはマネジメント職や、人事になる必要があると思い、社員になることにしました。

周りとのギャップが生んだ体調不良


アルバイトから社員になり、アシスタントマネージャーとして働き始めました。店長のサポートをしながら店舗運営のノウハウを学んでいきました。

しばらくすると、新店舗の立ち上げメンバーを任されました。会社として力を入れているプロジェクトだったので、全国からたくさんの社員が集められていました。そんな会社の期待に応えたいと、気合いを入れて挑みました。

店舗がプレオープンしてからは、寝る間も惜しんで働きました。一生懸命働くうちに、だんだんと他の社員の考え方との間にキャップを感じるようになりました。

多くの同僚は、売上や業務スピードなど、効率の良い店舗経営のことばかり考えていました。しかし僕はお客さんの心を豊かにするために何ができるのか、もっとみんなで考えたかったのです。次第に話がかみ合わなくなり、疲れがたまるようになりました。

ある日、吐き気と頭痛が止まらなくなったんです。風邪かなと思いましたが、念の為病院に行くことに。診断の結果は軽度のうつ病。「このまま仕事したら鬱になるし、立ち直れなくなるよ」とお医者さんから言われました。黙って働こうかとも思いましたが、会社から診察結果を提出するようにという連絡が来たので、しぶしぶ報告しました。

会社、病院とやりとりした結果、2カ月間休職し、体と心を休めることになりました。

相手を喜ばせる楽しさを思い出す


休職中は、このまま復職すべきか、転職すべきか考える日々でした。ちょうどその頃、広島で豪雨災害があって、連日そのニュースが取り上げられていました。時間もあったし、何か自分のやりたいことを見つけるヒントになるかもと考え、ボランティアに行くことにしたんです。

現地でたくさんの被災者と話したり、自分の絵をプレゼントするなど、被災者を励ます活動をしていました。そこで改めて、自分が相手を喜ばせることが好きだということを思い出しました。

ボランティアから帰ってきた後、ふと地元にある「Tadaima Coffee」に寄りました。休職する前にも、同じコーヒー店ということで興味を持って行ったことがありました。

お店を出たあと、「Tadaima Coffee」のウェブサイトに載っている、店長の生い立ちが書かれた記事を見つけて読みました。同年代であることや、コーヒーに携わっているといった共通点があり、興味を持ったんです。

その記事には、成功談だけでなく、幼少期どんな人だったのかや、コーヒーショップを始める前の挫折の経験なども書かれており、面白くて引き込まれました。中でも「街の作り手」を増やしたいのだという言葉が、心に響きました。これまで何かを作って感謝をされることに喜びを覚えていたのですが、街を作ることも選択肢の一つだと納得したのです。

また、コーヒーショップのコンセプト「『ただいま』といえる場所を作る」という言葉にも惹かれました。僕も日立市出身であり、そんな場所が欲しいと考えていましたし、同じように考える人も大勢いるだろうと思ったのです。

休職期間が終わりに差し掛かり、「Tadaima Coffee」に行くか、復帰するかで迷いました。しかし、復帰後の仕事内容が自分の希望と折り合わず、復職は断念することにしました。

そこで「Tadaima Coffee」を思い出し、もう一度店主に会いに行くことにしました。退職を考えていることやそこに至るまでの経緯、さらには自分が人を喜ばせる仕事がしたいことなど心の中にあることを話しました。すると、店主は「手伝うか?」と声をかけてくれました。

迷いましたが、自分の弱いところも全部話した上で受け入れてもらえたことから、ここでなら無理せず自分のやりたいことが実現できるかもと考え、「Tadaima Coffee」で働くことを決めました。地元に住む親のことを考えると、地元で好きな仕事をして成果を出したいという気持ちもありました。

ノーベル平和賞をとりたい


現在、「Tadaima Coffee」の店長として働きだして約3カ月が経ちました。店舗でコーヒーの提供や豆の販売を行うことに加え、新メニューの開発や、備品の発注、管理をしています。最近は、感覚でやっていた人材採用や育成の分野を、言語化しマニュアルの制作などを行なっています。

お客さんが求めるサービスは人それぞれ違うと思っているので、接客時には家族構成や、どんな一日を過ごしているのかなど、普段の生活の様子を聞いています。そのおかげか、お客さんと仲良くなることができ、「かんちゃん」と呼ばれ、「かんちゃんのコーヒー飲みに来た」って言ってもらえるようになりました。

また、自分が好きで描いてきた絵を店舗に置かせていただいたりするうちに、地元の学校の先生から「名刺を作ってください」というお話をもらうようになりました。転職しなければ、ここまで人のつながりで仕事が広がっていくことはなかったと思います。フットワーク軽く、自分の得意分野で人と繋がれ、それが街の人のためになることにワクワクします。

自分からも街の人と積極的につながりを持つようにしていて、「今、日立には何が足りないと思いますか?」など聞いて回ったりしています。そのおかげでコーヒーや絵以外の事業の話を持ちかけられることが増えました。例えば、旅館の経営に携わっている人から「宿をやってみないか」といった声をかけてもらったり。

コーヒーや絵は人を喜ばせるためのツールの一つに過ぎないと思っています。引き続き、自分に何ができるのか考えながら、まずは地元のために、できることに挑戦していきたいと思っています。

まその挑戦が幼少期からの憧れだった平和への貢献にもなると思っています。その結果として、ノーベル平和賞を受賞したいと本気で思っています。地元の人々を喜ばせ、元気にすることができれば、次は県全体、日本全体、世界全体と、喜ばせられる人たちの範囲をどんどん広げることができ、そうなれば世界平和にも繋がると思っているのです。

そのためには、目の前の課題だけではなく、世界全体の政治や経済、紛争などにもアンテナを張りつつ、勉強していきたいと思っています。そんな自分の姿を見せることで、誰かが続いてくれればより一層世界は平和に近づくのだとも思っています。壮大な目標ではありますが、達成のために一歩ずつ歩んでいきたいです。

2019.04.29

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