東京都国立市で生まれました。生まれたときからアトピーとアレルギーがあり、食べ物に気を使わなければいけない生活でした。

一人っ子で、小学校にあがる前に両親が離婚し、母子家庭に。父とは定期的に会えましたし、祖父母の家も近く、学童保育がない間などは面倒をみてもらえていたので、そこまで寂しさは感じなかったです。母子家庭だからかわいそうと思われるのも嫌で、結構活発に頑張っていました。同情されたくなかったんだと思います。

離婚は責めようがないし、アレルギー体質なのも受け入れるしかないと思っていました。周りの人と違う自分だったからこそ、違うのが当たり前だと思うように。むしろみんなと一緒が嫌でした。人とは違う色のランドセルを欲しがったり、ちょっと背伸びして周りの子が持っていない大人っぽいものを買ってもらったり。周りがマネし出すとやめてしまうような子どもでした。「変わってるね」が褒め言葉に感じていました。

離婚やアレルギーなど、自分ではどうしようもできない状況があっても、「今与えられたところでどれだけ頑張れるか」というのが自分にとってのテーマでした。

何かの本で読んだ、ガンジーが言ったとされる「世界を変えたいなら、まず自分を変えよ」という言葉や、ヘレン・ケラーの「今まで世の中を変えてきた人に悲観論者は一人もいない」という言葉は、本当にそうだなと思っていて。周りの状況は変えられないから、自分の考え方を変えるしかないと思っていました。

小学校高学年ごろになると、与謝野晶子や杉原千畝が好きになりました。世の人のために自分が正しいと思ったことをするという勇気や行動力を尊敬していたんです。

社会問題に興味が出てきて、休み時間には原爆のことを描いた漫画やアウシュヴィッツ収容所に関する本を読んだり。貧困や環境、戦争などの問題について知れば知るほど、何だかんだ言いながら現代の日本で平和に暮らしている自分は幸せなんだと思うようになりました。だからこそ、世界で困っている人たち、辛い人たちをなんとかしたいと思ったんです。

もともと、何かしなければならないことがあるとき、黙ったままでいるのに耐えられない、そのまま見過ごせないという性格でした。例えば教室で先生が全員に対して質問したとき、誰かが答えるだろうとみんながシーンと静まったときは、まず最初に手を上げるんです。

気付いたことをなかったものにはできない。環境問題も貧困や戦争の問題も、多くの人が目を背けがちだからこそ、私は目を背けない、背けたくないという気持ちがありました。