問題から目を背けず、自分にできることを。会社の良さを発信して変革のきっかけをつくる。

株式会社東芝の広報・IR部にてオウンドメディアを担当する竹中さん。幼少期から世界の環境や貧困などへの問題意識が強く、社会インフラに携わることができる企業へ。入社した会社の理想と現実のギャップに直面したとき、竹中さんが選んだ道とは。お話を伺いました。

竹中 花梨

たけなか かりん|株式会社東芝 広報・IR部
東京都生まれ。幼少期に両親の離婚を経験。幼いころから世界の環境問題、貧困問題に関心が高く、何かしなきゃという使命感を持ち続けていた。東京学芸大学卒業後、株式会社東芝へ入社。本社広報・IR部オウンドメディア担当、社内有志団体「OPEN ROOTS」の代表、大企業有志団体のコミュニティ「ONE JAPAN」の広報も務める。

与えられた場所でどれだけ頑張れるか


東京都国立市で生まれました。生まれたときからアトピーとアレルギーがあり、食べ物に気を使わなければいけない生活でした。

一人っ子で、小学校にあがる前に両親が離婚し、母子家庭に。父とは定期的に会えましたし、祖父母の家も近く、学童保育がない間などは面倒をみてもらえていたので、そこまで寂しさは感じなかったです。母子家庭だからかわいそうと思われるのも嫌で、結構活発に頑張っていました。同情されたくなかったんだと思います。

離婚は責めようがないし、アレルギー体質なのも受け入れるしかないと思っていました。周りの人と違う自分だったからこそ、違うのが当たり前だと思うように。むしろみんなと一緒が嫌でした。人とは違う色のランドセルを欲しがったり、ちょっと背伸びして周りの子が持っていない大人っぽいものを買ってもらったり。周りがマネし出すとやめてしまうような子どもでした。「変わってるね」が褒め言葉に感じていました。

離婚やアレルギーなど、自分ではどうしようもできない状況があっても、「今与えられたところでどれだけ頑張れるか」というのが自分にとってのテーマでした。

何かの本で読んだ、ガンジーが言ったとされる「世界を変えたいなら、まず自分を変えよ」という言葉や、ヘレン・ケラーの「今まで世の中を変えてきた人に悲観論者は一人もいない」という言葉は、本当にそうだなと思っていて。周りの状況は変えられないから、自分の考え方を変えるしかないと思っていました。

小学校高学年ごろになると、与謝野晶子や杉原千畝が好きになりました。世の人のために自分が正しいと思ったことをするという勇気や行動力を尊敬していたんです。

社会問題に興味が出てきて、休み時間には原爆のことを描いた漫画やアウシュヴィッツ収容所に関する本を読んだり。貧困や環境、戦争などの問題について知れば知るほど、何だかんだ言いながら現代の日本で平和に暮らしている自分は幸せなんだと思うようになりました。だからこそ、世界で困っている人たち、辛い人たちをなんとかしたいと思ったんです。

もともと、何かしなければならないことがあるとき、黙ったままでいるのに耐えられない、そのまま見過ごせないという性格でした。例えば教室で先生が全員に対して質問したとき、誰かが答えるだろうとみんながシーンと静まったときは、まず最初に手を上げるんです。

気付いたことをなかったものにはできない。環境問題も貧困や戦争の問題も、多くの人が目を背けがちだからこそ、私は目を背けない、背けたくないという気持ちがありました。

社会インフラで世界に貢献したい


高校は家から近い進学校に通いました。将来は、ジャーナリストになりたいと思っていましたね。国際問題、社会問題に興味があって、そういったテーマの雑誌を定期購読したり、模擬国連や国際交流プログラムなどにも参加したりしていました。

世の中の不平等を何とかしたいという想いから、大学は国際理解教育について学べるところを選びました。日本人として何かしたい、しなきゃいけないという使命感があり、世の中に貢献したいと考えていました。

ただ、どこかの地域に学校を建てたり井戸を作ったりすることにはあまりピンと来なくて。対象を特定の地域や活動に絞ることができなかったんです。

できるだけ多くの人々の役に立ちたいと考えた結果、最終的に社会インフラに行きつきました。中でも興味を持ったのは水です。水がないと人間って生きていけないじゃないですか。エネルギーと違って代替物がないし、有限な水が一番大事なんじゃないかと思って。

また、日本のものづくりで世界に貢献できたらいいなという気持ちもあったので、インフラ系のメーカーに進むことを考えました。はじめのうちは水ビジネスや水道関係の企業を見ていましたが、総合電機ならいろいろなことができて面白そうと思ったんです。水道もやっている一方で全然違う家電や半導体を扱っているし、作ったものは世界中で使われているし。いろいろできる方が自分に合っていそうという理由で、第一志望は総合電機にすることに。

就活をする中で、東芝の人や雰囲気が一番好きで合っていると感じていたところ、ご縁あって内定をいただくことができました。

他責にしていては何も変わらない


株式会社東芝へ新卒で入社、配属先は複合事業所の総務部です。幅広い仕事ができそうだと感じて総務を希望していたので、希望通りの配属でした。契約書や事業所ニュースを作成するなど、契約管理や広報の業務を中心に担当していました。

入社して2年たったころ、東芝の不正会計の問題がニュースになりました。私は新聞を見て知り、ニュースだから大げさに言っているだけだろうと、はじめは楽観視していました。

問題が明るみになるにつれ、社長もやめてしまって、退職する社員も出てきて。いよいよ「どうなっちゃうの?」という空気が漂い始めました。私たち社員一人ひとりは頑張っていたのに、経営陣の問題に巻き込まれている感じがあって。どうしてこんな目に合わなきゃいけないんだろうと思いました。

転職も考えましたが、職場の人も好きだし、仕事にも慣れてきたところだったし、他のところに行きたいという強い熱意は湧いてきませんでした。このまま他の会社に行っても、何かできる感じもしなかったんです。

そんな時、同期に誘われて、東芝グループ社内コミュニティとして立ち上げられた有志団体「OPEN ROOTS」のイベントに初めて参加しました。その日のワークショップのテーマは「会社をより良くする方法を考える」というものでした。

参加してみて驚きました。そこにいたのは、会社を変えるためにはどうすればいいかを真剣に考えている人たちばかりだったんです。東芝のことが好きで頑張っている人がいる。この人たちと一緒に力を合わせば、変われるんじゃないかと希望が持てました。

これまでは、自分たち社員は会社の問題に巻き込まれた被害者だと思っていました。でも、被害者だからといって何とかしてもらうのを待っていては、何も変わらないと気が付いたんです。責任を押し付けているだけじゃいけない。考えて行動することで、会社を変えていこうと思いました。

そこからOPEN ROOTSの事務局に入り、イベントの企画などに携わりました。メンバーの中では最年少でしたが、副代表を務めることに。

しばらくすると代表の先輩が退任することになり、代表就任のお話をいただきました。最初は「私なんかでいいの?」と思いました。でも、先輩が「経験は浅いけど、花梨ちゃんが人前に立つとみんな話を聴く。人を惹きつけるものを持っているのはすごい」と言ってくれて。自分なりに一生懸命やっていたことを認めてもらえて、すごく嬉しかったです。先輩の思いを受けて、代表になりました。

良いところを自分で伝えたい


代表を務めるようになると、リーダーシップの取り方に悩むようになりました。あまり人を引っ張るのが得意なタイプではなかったんです。そんな時、社内の先輩からアドバイスを受けました。

「リーダーには、自分が引っ張るタイプとみんなに応援してもらうタイプがいる。君は後者なんじゃない?みんなに応援してもらいながら組織のあり方を作っていけば、自分がいなくなっても長く続く良い組織を作れるよ」と。それを聞いて、自分なりのリーダー像ができた感じがしました。私なりにやってみようと、いろいろな企画を考え実行しました。

例えば、社内の活性化のためのワークショップです。「本音から始まる本当のコミュニケーション」というワークショップでは、社内の様々な職種、世代の人が参加してくれて、心理的安全性が保たれることでだんだんと会場の空気が温まっていくのを実感できました。参加者から社内のコミュニケーションにも活かそうという声も出て、「やってよかった」と感じましたね。

また、社員にあまり知られていない社内の良いところを知ってもらうためのイベントも企画しました。例えば、社内のデザインセンターとのコラボイベント。デザインセンターは商品のデザインだけでなく、商品のコンセプトや営業ツール、展示会のデザインからデザイン思考の指導まで幅広い活動を行なっていましたが、社内の認知度が高いとは言えなくて。良いものなんだから広く伝えたいと企画し、様々な人に知ってもらうことができました。

OPEN ROOTSの活動に力を入れる一方で、入社5年目になると本業に対するモチベーションが下がってきました。もっと会社をより良くするために活動したいのに、日々の仕事はルーティンワークが多い。自分の立場をもどかしく感じ、キャリアに悩んでいたんです。もっと楽しい仕事があるならとそちらへ行こうかと、転職も考えました。

しかし、ちょうど悩んでいる時期に、広報に異動できることに。「じゃあもうちょっと頑張ろう」と思い直しました。本社の広報だったら会社全体を見られるし、新しい動きを作る立場になれると思ったんです。

会社がこのままなのは嫌だったんですよね。東芝は、経営が上手くいっていなかったという部分はあるものの、良い人もいるし、良い技術もある。それなのに、「東芝といえばあの不正会計でしょ」というイメージがつきまとってしまうのが何だかとても悔しくて。

従業員の人たちみんなも好きだし、やっぱりこの会社が好きだったんです。

情報発信で会社の変革のきっかけを


現在は、本社の広報・IR部に所属し、OPEN ROOTSの代表も務めています。

広報としては、社内向けの広報誌、社外向けのメディア両方で、コンテンツ企画から取材、掲載まで幅広く携わっています。

OPEN ROOTSでは、社外や元東芝の方々とコラボレーションする機会が増えてきました。一緒にビジネスをしたい、新しい動きをつくりたいと思っている人たちと積極的につながり、社内外問わず、人がわくわく成長できるような、一歩踏み出すきっかけを提供できるような場にしたいと考えています。

広報、OPEN ROOTSの活動を通して特に力を入れたいのは、東芝が変わっていっていることを社内外に見せることです。東芝ブランドを噛み砕いて伝えることで、悪いイメージを払拭し、正しい情報を正しく理解してもらえるようにしたいですね。

良い会社だと思って入って、良い人に恵まれていたのにいろいろな問題が起きて。これで終わるのは悔しいので、今は世界に貢献するよりもまず会社を変えなきゃという思いが強いです。会社をより良くすることで、世の中にも大きな影響を与えられるのではないかと思っています。情報を発信できる今の立場を生かして、自分が知ったこの会社の良いところを、より多くの人に様々な方法で伝えていきたいです。

2019.03.14

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