大学に入ったものの、友達はいないし外にも出たくないから、引きこもって1日20時間くらいゲームをやっていました。やりすぎて左手の親指がコントローラーの十字キーの形にへこむくらいでした。

ゲームばかりしていても面白くなくなり、もっと何か意味のあることをしたいと思うようになりました。でもそれが何だかわからず、ずっとモヤモヤしていました。

大学3年生のときに、ふとアカペラをやってみようと思いました。一般人のアカペラを取り上げたテレビ番組を観て影響されたのもありますし、元から歌うのは好きだったんです。

インターネットの掲示板でアカペラ関係の募集を見つけて、募集していた人に会いに行きました。会って話してみると、たちまち意気投合したんです。そこからアカペラグループで活動をするようになり、少しずつ人の輪が広がっていきました。その中で、以前音楽会社に勤めていて、インターネットテレビの事業を立ち上げたいと考えている人と出会いました。ビジネスプランを聞き、面白そうだと思って僕も自分の考えるプランを提案。すると、一緒に事業をやろうと誘われ、その人と起業することになりました。

全くなんの経験もないところからの起業はかなり大きな挑戦でしたが、大学に入学してから3年ほど何かしたいとずっとモヤモヤしていたので、「ここでいかないと俺死ぬな」と思ったんです。後悔どころじゃない、「このままだと自分の存在意味がない」とまで思って。

起業をしていたころはちょうど、ストリートアーティストが次々にメジャーデビューして活躍していた時期で、大学近くのアーケード街にも東北中から夢を持ったストリートアーティストが集まっていました。僕はその人たちの発表の場を作りたいと考え、東北のストリートアーティストのビデオクリップを作り、インターネットテレビで発表の場を作ることにしました。

大学生になってから初めて熱中できるものを見つけて、ものすごい働きました。就活する気はなく、この会社と心中するんだと思っていました。

ところが、ある日突然、共同創業者の社長がお金を持って逃げたんです。どうすることもできず、資金がなくなって会社は潰れてしまいました。こんなことが起きるのかと衝撃を受けました。

しかし、そのままでいるわけにもいきません。じゃあ何をするかと考えたとき、テレビ局に行きたいと思いました。もともとノンフィクション作家の沢木耕太郎さんが大好きだったため、その影響を受けて就職をするならメディア系がいいと思ったんです。

普通、ドキュメンタリーやノンフィクションでは、書き手は中立であり、取り上げる対象にはなるべく関与しないことになっています。でも、沢木さんは対象にすごいコミットするんですよ。一度表舞台を去ったプロボクサーがまた世界チャンピオンを目指す姿を描いた『一瞬の夏』では、沢木さん自身が試合のブッキングをしたり、ファイトマネーを出したりしていました。「この人やべえな、どんだけリスクを背負ってこんなことをやってるんだ」と驚きましたね。

彼の対象への取り組み方には一種の狂気を感じて、そこまで深くコミットできることを尊敬しました。しかも、最終的にちゃんと作品として形にしているのが本当にかっこいいんですよね。「俺も沢木さんみたいになりてえ」と思っていました。

就活に転向したのが大学4年生になる直前の3月で、テレビ局の募集はほとんど終わっていました。その中で、NHKがまだぎりぎり募集していました。NHKのことは、小学校卒業以来一度も見たことがなく、どんな番組をやっているのかも詳しくは知りませんでしたが、ドキュメンタリーをやっていることはなんとなく知っていました。これは、自分が好きなノンフィクションに近いかもしれないと思い、急いで応募しました。

面接では、起業したら社長にお金を持って逃げられた話がめちゃくちゃウケて、その話ばかりしていました。それ以外話せることもなかったですし、リアルタイムで進行していたので、「続きは二次面接で」みたいな感じで話を小出しにしていたら、最終面接まで行けて。

その頃には持ち逃げされたお金も無事返ってきて、もう一度ベンチャーをやるという選択肢もありましたが、僕はNHKへ入社したいと伝えました。これまでは、信頼がないのでなかなか人に会ってもらえませんでした。誰でも名前は知っているNHKなら、名刺の力でたくさんの人に会える。そういう環境の中で経験を積みたいと思ったんです。それを正直に話したところ、内定をいただくことができました。「一度も番組を見たことがない」って言っているやつを採るんだから、NHKすげーなと、懐の深さに心から感謝しました。