医療を正しく、わかりやすく伝えるために。切り開いたメディカルイラストレーターの道。

医療に特化したイラストを描く「メディカルイラストレーター」として活躍するtokcoさん。絵を描くのと同じくらい動物が好きだったことから一度は獣医の道へ進みますが、メディカルイラストレーターへの夢を捨てきれず転職。たくさんの困難にぶつかりながら、好きなことを仕事にしてきたtokcoさんの人生について伺います。

tokco

トッコ| 株式会社LAIMAN代表取締役
兵庫県生まれ。幼少期は、動物と絵に夢中になる。北海道酪農学園大学卒業後、兵庫県神戸市の研究施設で獣医師として働く。2008年よりデジタルハリウッド専門学校グラフィック科に1年通い、メディカルイラストレーターとして独立。10年間のキャリアを通して、業界や職業のあり方に課題を感じて2013年に株式会社LAIMANを起業。

動物と絵に夢中だった女の子


兵庫県生まれです。曾祖母、祖父、両親、兄と私の6人家族で、賑やかな家庭でしたね。普段の生活の中で姿勢や所作、目上の人への礼儀などを厳しく教えられました。

自宅では大きなハスキー犬を3匹飼っていて、野良猫もよく遊びに来ていたので、動物が大好きでした。お絵描きも好きで、いろいろな動物に触れ、図鑑を見ては動物の絵を描いていましたね。夏休みの宿題などもほとんどが動物をモチーフにしたものでした。

動物の骨や爪を描いていると、なるべくしてその形になっていることがわかるんです。そういった体の仕組みを観察することも好きでした。

将来は絵を仕事にしたいと思っていました。しかし、大手自動車メーカーでカーデザイナーをしていた父から「絵で生活するのは厳しい」と言われて。カーデザイナーは絵を描く人の中では人気のある職業で、父は普段から天才的に絵が上手な人を見ていました。その実感からくる言葉だったと思います。

私の家族は理系出身者が多く、祖父は化学者、母は薬剤師、兄は医師、といった具合でした。そこで、絵がダメなら家族のように手に職をつけようと、大好きな動物と関われる仕事である獣医を目指すようになりました。

ダイエットが思わぬ事態を招く


中学校は、幼馴染が入部したことがきっかけで剣道部に入りました。筋トレやランニングなど、自分が不要と思ったことは極力やりたくなかったので、部活に熱心ではありませんでした。一方で、学校の成績はトップクラスをキープしていました。

中学生の時に、体型を気にする年頃になってダイエットに興味を持ちました。中学生の私は正しい知識を持っておらず、「とにかく食べないダイエット」や「ドリンクで一食だけ置き換えるダイエット」をしていましたが、だんだんとエスカレートしていました。

自宅で食べないと家族に変に思われるので、食卓では一旦食べて、ばれないようにこっそり吐いていました。無理にでも明るく元気に振るまっていたので、家族にも異変を気づかれなかったようです。自分では特におかしい事だと思っていなくて、すぐにやめられると思っていました。

高校は、医学部や獣医学部を目指す理数系の特進コースのある公立高校へ進学しました。中学まではトップクラスの成績でしたが、高校では周りのレベルが高く、上には上がいるのを実感すると「学校でトップを取ろう」という執着心がなくなりました。あくまで、私の目標は獣医になることだったからです。摂食障害は日に日に酷くなり受験勉強に取り組むのは大変でしたが、予定通り北海道の酪農学園大学へ進学することができました。

自分の力だけでは、どうにもならない


摂食障害は大学に入るとさらに悪化しました。一人暮らしになってからは家族に気づかれる心配もなくなり、1日に何度も吐いていました。食べることが怖くてカフェや飲み会に行けないので、友達付き合いも難しかったです。

いずれ治ると思っていたので、特に心配していませんでしたが、症状はますます悪化していました。果物1つ、クッキー1枚でも何かしら胃袋に入っていることに恐怖心を持つように。食事で栄養を摂れないので体重は当然落ちますが、身体の栄養バランスが乱れ、顔がパンパンにむくんでいました。なので、見た目からは摂食障害と気づきにくかったのだと思います。自分自身もまだまだ太っているように見えて、さらに食べなくなる負のスパイラルが続きました。

大学3年生の頃には動くのが辛くなり、ついに耐えきれなくなりました。ようやく自分の力では摂食障害から抜け出せないことに気づいたんです。これまで、小中学校の絵のコンクールではほぼ毎回賞をもらい、勉強でも順調に結果を出してきました。そのため、何かあっても自分でなんとかできると思っていたんです。しかしこの時、「自分の力ではどうしようもないことがあるんだ」と人生で初めて気づきました。

病院に行きましたが、その頃は摂食障害の専門外来が少なく、最初に行った2つの病院では医師から心ない言葉を受けて、ショックが大きかったです。勇気をふりしぼって受診したのに、うつ病の薬しかもらえませんでした。

3つ目の病院の先生は、彼らとは違ってむやみに薬を出さず、まず家族に話すよう勧められました。治療についても、イラストで図示しながら摂食障害によって乱れたホルモンを整える方法などについて教えてくれたので、専門知識の無い私にもすごく分かりやすかったです。これまでの先生とは全然違って、話しているうちに自然と「家族に話してみよう」と思えました。

私が摂食障害に悩んでいたことを知った母は、特にショックを受けていました。摂食障害の本には、母親が原因と書かれたものが多くて。私は母のせいだとは全く思っていなかったので、情報の不確実さを感じましたね。家族に話してからは、少しずつ食べることへの恐怖心を無くすために行動するように。自然と空腹を感じるのを待ってから少しずつ口に食べ物を入れるため、母は1日に何時間もウォーキングに付き合ってくれました。

即断即決の方向転換


獣医になるためには大学6年間で学び、獣医師国家試験に合格しなければなりません。家族にカミングアウトした時点で残り3年間あったため、体力的にはかなり厳しく、中退を考える瞬間が何度もありました。改めて、絵描きという進路も視野に入れて、両親と話し合いましたが、まずは獣医免許を取ることにしました。漠然と、獣医免許を取っているのといないとでは、将来が変わると思ったんです。体力的な限界もあったため、要領よく短時間で国家試験の勉強もしなければなりませんでした。文字を読むより自分にとってわかりやすかったので、イラストを使って勉強を続けました。獣医免許を取得したときは、嬉しさよりも「6年間がようやく終わった」という思いが強かったです。

卒業すると、教授の紹介で地元に戻り、兵庫県神戸市内の研究施設で獣医として働き始めました。親身になって摂食障害のことも理解してくださった教授には感謝の気持ちで一杯でした。

勤務時間中は、朝から夜まで食べる暇もないくらいに忙しく、お昼ご飯も少しつまむくらいでずっと働きましたね。気がつくと、自然にお腹が空いていて。15年ぶりに自然な空腹を感じました。働きながら2年かけて、ゆっくりと摂食障害を克服していきました。

ある日、テレビを見ていてアメリカの「メディカルイラストレーター」という職業を知りました。幅広くイラストを手掛けるイラストレーターと違って、メディカルイラストレーターは医療に特化したイラストを描きます。医師や研究者とコミュニケーションを取りながら、体の器官の位置や形状、機能などを適切に表現するのです。イラストは、論文や専門書、子どもの教材などに使われていました。

それを見た時、「私がやりたいのはこれだ!」と思ったんです。子どもの頃は動物の体の構造を描いて遊んでいたし、学生時代にはイラストで理科や科学の勉強をしていたので、イラストがあることでいかに物事が分かりやすくなるか実感していました。おまけに、獣医師免許を持っていて、医学知識もある。まさにピッタリの職業でした。

「メディカルイラストレーター」になるため、すぐに仕事を辞めました。ただ経験はまったく無かったので、東京デジタルハリウッド専門学校グラフィック科への入学を決めました。勉強しながら、もといた研究機関などから仕事を受注し、メディカルイラストレーターとして活動を始めました。

最初は仕事の取り方も、出版社との付き合い方も、まったく分かりませんでした。しかし、獣医師免許を持っていることや、実際のオペの経験などを活かして徐々に仕事を受けられるようになりました。しかし仕事の中で、契約書すら用意されない待遇や案件単価の安さから、イラストレーターの社会的評価の低さを感じるようになったんです。

そんな時、東北大学で開かれたサイエンスアートの講習に参加して、著名なサイエンスアーティストの方と出会いました。日本の科学雑誌ブームの第一線で活躍した後、アメリカを拠点にして30年間、世界を代表する絵描きとして活動されてきた先生です。私がメディカルイラストレーターとして活動していたこともあってたちまち意気投合し、その先生に弟子入りすることにしました。

先生は、30年前と今で日本のビジュアル教育がまったく変わっていなかったことに驚かれ、日本のビジュアル教育を変えたいと危機意識を持たれていました。その先生との出会いをきっかけに、私もメディカルイラストレーターの根本的なあり方を変えていきたいと思うようになりました。

LAIMANの代表に


メディカルイラストレーターとして活動して数年経った頃、娘を出産しました。しかし、それと同じタイミングで夫が病気になってしまったんです。夫は、獣医として動物病院で働いていました。異変に気づいたのは私です。本人はなかなか病気と認めませんでしたが、仕事を辞めてもらい治療に専念させました。

おむつや荷物を山盛りベビーカーに積み、生まれたての赤ちゃんを背負い、夫を引っ張って遠方まで専門医のいる病院に行き、1週間泊まり込むことも。病気の夫には様子を見ながら接し、赤ちゃんには笑顔で接するといった応対の使い分けが大変でした。夫が大変な状況にある今、自分が稼ぐしかありません。通院や育児もありましたが、イラストの仕事は自宅でできます。とにかく寝る時間がありませんでしたが「自分が倒れたらまずい」という思いで必死で描きました。

より多くの仕事を受けるため、事業を「LAIMAN」として法人化しました。大学や大手企業は法人の方が仕事を依頼しやすい、という事情があったからです。とにかく仕事を取り、寝ずに描きましたが、描ける枚数にも限界があります。仕事のやりすぎで突発性難聴になってしまいました。「これはやり方が間違っている」と思いましたね。このまま長く働き続けられるものではないと、システム化や組織化、さらには業界のあり方までを考えるようになったんです。

娘が2歳になって保育園に入ると、時間をつくってビジネスやマーケティングのプロに話を聞きに全国を飛び回りました。メディカルイラストレーターが、きちんと収入を得て生活していくためにはどうしたらいいか。トップクラスの方も含めて約1000名に会いましたが、その方法を知っている方はいませんでした。絵は、アートとして人気が出れば1枚100万、1000万で売れる場合がありますが、私が描いているのはアートではありません。自分ひとり売れて単価を上げるだけでは解決法にはならないのです。

結局、その答えはメディカルイラストレーターを始めてから10年目に自分で見出しました。ある日ふと、イラストレーターは、社会的地位の低さを自分たちの力で変えようとして来なかったということに気がついたんです。限られた数の仕事の取り合いを延々と続け、自ら業界や仕事の価値を下げてしまっているんです。自分の仕事を取るためにメディカルイラストレーター同士で争うのではなく、お互いが一致団結して、業界や仕事の価値を高め、社会的地位の向上を目指すことが大切だと気づきました。

10年のキャリアを通して、幸いメディカルイラストレーターの仲間は周りにいました。全員に最初から信頼してもらい、一致団結してもらえる訳ではありません。しかし、10年間奮闘してきたからこそ、ライバルではなくお互いに協力しようと言ってくれる人たちが周りにいた。そのことには、すごく恵まれたと感じています。


メディカルイラストレーターとして医療界に貢献する


現在は、株式会社LAIMANの代表を務めています。LAIMANでは、医師や研究者、出版社からの依頼を受けて、数人のメディカルイラストレーターがチームを組んで、解剖学、獣医療、バイオなどそれぞれの専門分野で取り組んでいます。表現方法も、手描きだけではなく、インフォグラフィック、CG、アニメーションとさまざまです。

最近は、患者さん用の説明イラストの依頼が多いですね。手術の説明をして同意書にサインをする際に、「患者さんが手術の内容を理解するのに、分かりやすい説明図を描いてほしい」という依頼です。ときには、実際に手術室に入り、手術を見ながらポイントだけをパッと描く機会もあります。単なる画力だけではなく、書籍や論文、ネットから必要な情報を精査して収集する力も問われますね。

また、ディレクションの役割もあります。例えば、「患者さんにはイラストのここだけを見せた方がわかりやすい」「この先生ならここまで見せよう」といった具合に采配します。そのため、医師や研究者とのコミュニケーションが重要になってくるんです。アニメーションやVR、CGで説明図を表現することもあるので、専門家と技術者との間に立ち、ベストな見せ方を調節するのも私たちの役割です。

今、目指す先は大きく分けて2つあります。一つは、メディカルイラストレーションの社会的認知の向上と、メディカルイラストレーターという職業の地位の確立です。ヨーロッパや北米では、メディカルイラストレーターは一つの職業として確立されています。しかし、日本ではまだまだ社会に浸透していません。単なるイラストの下請けではなく、海外のように「医療従事者の一員」という社会的なポジションを確立させていきたいです。そのために、メディカルイラストレーターとしてステップアップできる環境をしっかり整備し、職業のブランディングを行なっていきたいです。

もう一つが、メディカルイラストレーションによる医療のリテラシーの向上です。医療教育の面でも、日本は世界から遅れています。例えば普段、子どもたちと接していても、自分の体について知る機会は少ないと感じます。私自身のダイエットの経験を振り返っても、子どもの頃から自分自身の体のことを学ぶ機会を増やすべきだと思うんです。教育や知識の獲得、コミュニケーションのツールとして、イラストレーションは必須。これからの「人生100年」の時代、生涯健康のためにも医療リテラシーの向上を意識するべきです。小さい頃からイラストを見て医学について学ぶことが当たり前になったらいいなと思います。

途中でやめたいと思うことが何度もあったけれど、ずっと続けることで応援してくれる人がたくさんできました。自分が決めたことだからやり遂げたいと思っています。過酷な時期もあったけれど、これまでのことは1つも無駄になっていないし、全てのことが結びついています。私が忙しすぎて娘に寂しい思いをさせていることがたまに心苦しいけれど、世の中の役に立つ仕事をして、いつか「お母さんかっこいい」と言われるように、これからも努力を続けていきたいと思います。

2019.02.11

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